俺の遺言を聴いてほしい

これは俺の遺言だ。

努力は歯磨きのように。

ツイッターで「モテるための努力」が話題になっていたのを見て、昔読んだ漫画を思い出しました。

たしかドラゴン桜だったと思うんですが、受験生の親に向かって、先生がこう言います。


「いいですか。社会に出たら、誰も過程なんて評価しないんです。

努力なんて誰も見てくれないし、興味を持たれない。
結果しか見られないんです。

努力を見てあげられるのは、親だけなんです」


うろ覚えではありますが、このような主旨のようなことを語っていた記憶があります。
僕も概ねこの主張には同意でして、少し付け加えるならば、努力を評価してくれるのは、親、あとは彼女だけだと思います。

彼女は横で自分の努力を見ていてくれますから。


全然話は変わりますが、自分が何も持っていないとき、何の成果も出していないダメなとき。
そんなときでも、文句も言わず支えて、自分を信じてくれた彼女がいました。


女の人には2種類います。

相手から何かを与えられたい人と、相手に何かを与えたい人です。

何かを与えられたい女の人は、男が何を持っているかを見ています。

彼は愛情を与えてくれるだろうか?
彼は成功してお金を稼ぐだろうか?
Facebookで自慢できる彼だろうか?
友達に話して恥ずかしくない自慢の彼氏だろうか?

自分が何をしてもらえるかに重きを置き、彼氏をアクセサリーのように扱う女。

逆に、「私が好きになった人だから」と、相手に喜んでもらえるように尽くしてくれる人もいます。彼が何かを与えてくれなくても、自分が彼に何かをしてあげたい、と考える人。

結婚するなら相手のために尽くせるような女の人がいいなと思うんですが、問題は、女の人は相手によって、どちらにも転びうるということです。

Aという男と付き合っていた時は、相手に与えられることを望んでいたけれど、
Bという男と付き合うときはいつも追いかけて、尽くして頑張っているという子はけっこういます。

結局、女の振る舞いは男次第ということだと思っています。
いかに「追わせる関係」を築くことができるかが大切なのでしょう。


話がそれました。


個人的な経験から間違いないと思っているんですが、どちらかと言うと、それまであまり努力していなかった人の方が、努力したことを語ろうとする傾向があります。

普段勉強していない人の方が、「今日は3時間勉強した。俺頑張った」というのと同じです。
でも、それって、普段から毎日3時間勉強している人にとっては「当たり前」のことなんですよね。
当たり前のことだから、語らない。
その人にとっては、歯を磨くのと同じだから。


努力というのは、単発でちょっとやるだけじゃ効果はないと思うんです。
習慣にして、毎日当たり前のようにできるようになって、初めて努力したと言えるんじゃないかと。

そして、努力が当たり前になる頃にはたぶん、「自分が努力している」とは思わなくなります。

「21日間同じことを続ければ習慣になる」

というのはビジネス書なんかではよく言われていることですが、努力はさっさと習慣にして、それを何年も当たり前のように継続することが大切だと思っています。


また話がそれるんですが、最近関係を持った女の子がいて、
その子の元カレは東大理三の人でした。

理三生とのデートの話は、聞いていて面白いものでした。

「私が寝ている間にひょいっと起きて、難しい本をいつも読んでた。
私より後に寝て、先に起きてるけど、その間に勉強してた」

みたいなことを言っていました。

彼曰く

「勉強しているつもりはなくて、楽しいからやっているだけなんだ」

とのこと。
僕が「勉強した!」とか思うレベルのことを、自然と、当たり前に、楽しんでやっているわけです。

まぁ勉強において、東大理三は別格すぎて参考にはならないかもしれませんが(笑)

でも僕たちは、恋愛の偏差値においては、東大理三以上を目指さなければいけません。

自分が闘っているフィールドでは負けるわけにはいかないのです。
そして、闘っているフィールドでの努力は、できる限り習慣にしていくべきなんじゃないかと思っています。

当たり前のようにスト値を上げる努力をして、当たり前のようにトークを磨く。
ハゲないようにシャンプーや食生活に気を使い、スタイルを保つために筋力トレーニングと炭水化物の節制を怠らない。

そういうのが当たり前にできるようになると、当たり前のようにモテるようになってるんじゃないかと思います。

恋愛に限らず、仕事でも当たり前の努力を、自然とできるようになりたいですね。