コンプレックスとは「現時点の自分に足りないものへの欲求」の裏返し



ナンパ関連の2ちゃんねるの話題になっているので、気になって見にいったら、「ヒデヨシ(ノブナガ)は大手銀行や学歴にコンプレックスがある」と書かれていた。

最近はブログとツイッターを切り離しているので、ブログを読まれていたことに驚いた。
ツイッターに発信しないものは基本的には、自分に向けた内省か、Googleの検索を意識したものだった。
嫌な思いをさせて申し訳ない。


これはおそらく、Museの記事を読んでの感想だと思う。

コンプレックスがあるように読めてしまったのかもしれないが、実は俺は、大手の銀行にコンプレックスは感じていない。

なぜかというと、自分の仕事とほとんど関係ないからだ。


俺が地方の小さな銀行に勤めていて、「本当はめちゃくちゃ大きな銀行行きたかったけど、行けなかった」なんて場合は、コンプレックスを感じるかもしれない。

努力したら手の届きそうなものに、手が届かない場合に、劣等感を感じることになる。

イチローやビル・ゲイツに対して劣等感を抱くことがないのは、手の届かないところにあるからだ。
それと同列の話で、自分とそれほど関係のない会社について、コンプレックスを抱くことはない。

どちらかというと、同じ仕事をしていて、めちゃくちゃ優秀な人に対しては、コンプレックスを感じる。
もっと頑張らなきゃいけないと思ってる。


次に、学歴の話だけど、一度、学歴のコンプレックスを感じたことがある。

就活のときだった。

ドヤ顔の高学歴大学生とグループディスカッションをしたときは、たしかに、何か言葉にできない劣等感を感じていた(就活に失敗したわけじゃないけどw)

その劣等感は、就職してから半年くらいは胸の中に残り続けた。
が、それも次第に消えていった。

なぜコンプレックスが消えたかというと、仕事の成果に学歴はほとんど関係ないことがわかったからだ。

闘う舞台が変わったと言ってもいい。

要は、何にコンプレックスを感じるかというのは、自分が立っているステージによって異なるということだ。

仕事も全然わからないようなときは、「学歴」というステージに囚われて、それによって劣等感を感じていた。

「ビジネスで金を稼ぐ」というステージに移行する頃には、そのようなコンプレックスは消えた。

今もし、何か劣等感を感じるとしたら、サラリーマンで、自分よりも圧倒的に金を稼いでいる同世代の人に会った時だろう。

そのときはまた、「足りない自分」に対して劣等感を抱き、悔しい思いをするかもしれない。

2ちゃんねるだとコンプレックスというのはダサいものとして書かれているけど、そんなに悪いものでもない。

コンプレックスを感じる瞬間は「自分に足りないもの」と向き合う良い機会だからだ。

自分に足りないものを見つめ、どうすれば手に入るのかを考え、真摯に努力していくことで、
自分を良い方向に改善させることができる。

俺には足りないものだらけで、悔しい。
もっと頑張らないといけない。


ここで一度、2ちゃんねるに書き込みをした人に問いかけたい。

あの記事を「コンプレックスを投影した記事」と読めてしまったあなた自身が、もしかしたら学歴や会社にコンプレックスがあるんじゃないだろうか。

人って、文章を「書き手の意図を汲み取るように読む」わけじゃなくて、「自分が解釈したいように読む」ものだから。

もしかしたら、あの記事が、あなた自身のコンプレックスを刺激してしまったんじゃないか、と思う。

社会人になってからも学歴をコンプレックスに思うのであれば、一度仕事に対する姿勢を考え直してもいいと思う。

学生のときから立っているステージが変わっていないということだからだ。


こういう風に書くと、腹が立って「ヒデヨシ頭悪い」と書き込みしたくなるかもしれない。

でも、そうやって聞き苦しいことを「頭悪い」と切り捨てるのは、思考停止に他ならない。

少し待って、一度立ち止まって、よく見つめてみてほしい。

俺に腹が立つのと、自分自身を見つめるのとは別問題のはずだ。


自分のコンプレックスの元にあるものを見つめてみよう。

自分の立っているステージ(=自分が大切に思っているもの)は何か?


ビジネスのステージにいる場合。

大手の企業のサラリーマンや高学歴の人よりも、「もっと金を稼ぐ」ことができれば、そのコンプレックスはきっと消える。


ナンパ師なら、大手サラリーマンや高学歴よりもモテまくれば、コンプレックスは消えるはず。

こうやって書かれると本当にムカつくかもしれないが、2ちゃんねるに発散する前に、一度自分自身と向き合ってみてほしい。

人は別のことで発散させると、それで満足してしまうから。
でも、それは根本的な解決にならない。

もっと、前向きに自分を改善していこう。


最後に、「ヒデヨシは最近痛い」と書かれていたが、そう書かれて俺も心が傷んだ。それでおあいこにしてほしい。


「痛い」というのは、「数を求めるナンパ」に対する違和感を記事にしたことについてだと思う。

なぜ「痛い奴」のように感じてしまったかというと、書き込んだ人と、俺の価値観が異なっているからだ。

だから、記事を見てイラッとしたんだと思う。

前の記事で、夜中まで即系を捕まえるために街を歩き、「即った!」とツイッターで報告することに対して、疑問を呈した。

そうやって承認欲求を満たしても、何も残らないと言った。

それに対して腹が立つということは、普段はそういう行動を取っている人だということだ。

自分が否定されたように見えるから、腹が立ったんだろう?
(だから、書き込んでいる人も、だいたい見当がつく)

でも、俺は誰かに向けて言葉を発したわけじゃないんだ。
自分自身の考えをまとめたんだ。

ところで、「痛い人」についてだけど、最近、恋愛工学クラスタと非モテ女子の戦争があった。

このとき最近多くの女性に標的にされたように、ナンパ師や恋愛工学者も、他の人から見たら相当「痛い人」に思われる。

それは、彼女たちの持つフレームと、ナンパ師や恋愛工学プレイヤーの価値観のフレームが異なっているからだ。

もしまた記事を見てくれるなら、一度「ナンパ師」というフレームを外して、記事を読むようにしてほしい。

せめて「恋愛を楽しむ人」という一つ大きなフレームで記事を読んでみてほしい。

俺はストリートナンパをやったり、クラブに行ったりもするけれど、
やっぱり「即」という行為に対して、強くコミットできないんだ。

「一回きりでさようなら」というのも好きじゃない。

即が悪いと思ってるわけじゃない。
時間の使い方や、女性に対するスタンスが違うってことだ。

ナンパ師を否定しているように見えたのかもしれない。
嫌な気持ちにさせてしまう書き方でごめん。

繰り返すけど、即を狙うナンパ師がダメだって言いたいわけじゃないんだ。

社会人になって、自由に使える時間が少なくなった。

そんな中、一晩中歩き回って、翌日の生産性を落としてまで即系を探すような時間の使い方を"俺が"したくないってことだ。

もっと仕事の時間を大切にしたいと思ってる。


異なる価値観を否定する必要はない。
色んな考え方の人がいるのは当たり前のことだから。


2ちゃんに「痛い」と書いたナンパ師の人だって、ナンパ師じゃない普通の友達もいるだろ?
その人達が間違ってるなんて思わずに、普通に友達付き合いをしているはず。

それと同じように、価値観が違ったって、きっとわかり合うことはできるはずだ。
わかり合えないとしても、理解はできる。

俺もこれからは、自分と違う価値観を否定しないで、違うものとして受け入れるように気をつける。嫌な思いをさせたことは反省して、気をつけるよ。


君も、もし君の価値観と異なる記事があったとしても、「こういう考え方のやつもいるんだな」と右から左へ受け流すようにしてほしい。

そしてできれば、君を嫌な気持ちにさせてしまったなら、その記事にコメントを入れてほしい。
「ここがこういう理由で、そこは間違っていると思います」と指摘してほしい。

俺もそのコメントの意味をよく考えて、反省する。
それが大人の建設的な議論だと思う。


価値観が違うと、ぶつかったりしてしまうこともあると思う。

俺も大事な友達とケンカしてしまったこともある。
後悔したこともある。

でも、ぶつかって、それを乗り越えて、
「考え方は違うけど、受け入れられる」ような関係になれたら、その時は混じりっけ無しの本音の付き合いができるはずだ。

どうせなら、そういう関係を目指していこうよ。

少なくとも、人の悪口を書いてストレス発散するよりは、自分のためにもプラスになるはずだ。

ぶつからないと人は変わらない。
勇気を出して、意見をぶつけてほしい。
俺もそのときは、勇気を出して、受け入れる。

それでも、どうしても嫌なときは、関わるのをやめるのもいいと思う。
ブログなんて見なければいいだけだ。
ツイッターはブロックすればいい。
そうしたら、お互いに嫌なものは見ずに、気持ちよく毎日を過ごせるはずだ。

2ちゃんねるに悪口を書くのは、少なくとも、カッコいいことではない。
人が嫌がることを書いたって正直自分も気持ちよくないだろ?

人が喜ぶことをしよう。
人が喜んでくれて、自分も楽しくなれるって幸せじゃないか。

俺もそうするから。

君を一度、不快にさせてごめんな。