俺の遺言を聴いてほしい

これは俺の遺言だ。

無意識のうちに、周りの環境の影響を受けてしまう




周りの環境は、自分に大きな影響を及ぼす。
しかも多くの場合、影響を受けていることにも気付かない。

価値観や考え方というのは、外からの影響や、自分の内省をきっかけに、少しずつ、少しずつ変わっていく。


人は、自分の周りの環境を「正しいもの」として考えてしまう傾向がある。


自分の場合は、たとえば、中学生のとき。
ヤンキーが一番偉かったあの頃は、眉毛を細くして、眉間にしわを寄せて歩き、道行く(弱そうな人に)喧嘩上等をふっかけるのが正しいと思っていた。


チャラい奴とずっと一緒にいると、チャラい態度が正しいと考え、普段から軽薄な態度をとるようになる。大学生の時の俺だ。フラフラと女遊びしていることを、隠しもしなかった。そういう自分がカッコイイとすら思っていた。


ロジカルに考え、説明するのが当たり前の環境にいると、普段の生活も理屈っぽくなったりする。今の自分だ。

ごちゃごちゃモノを考えるようになっていて、昔ほど単純な感情(衝動)に従って動くことができなくなってしまっていることに最近気付いた。それが自分の殻であるとも思っている。殻を破って、思考よりも感情を表に出せるようになりたい。


恋愛工学に触れ、ツイッターに触れた。
色んな女の子に同時にアプローチするのが普通な環境を、長い間見てきた。

そこで行われていることが間違いだとは思わない。

ただし、そういう環境に長く触れていると「それが当たり前」のように感じてしまうことは、問題だ。

これは一部の人の話であって、一般的には「全然当たり前のことではない」ということを常々意識しておく必要がある。

また、自分が見てきた世界で常識とされているようなことは、ゼロベース(まっさらな状態)で考えると、おかしなことがたくさんある。

特に、自分が少しの間見てきたナンパ界では、論理的に整合性が取れないローカルルールのようなものがある。

ローカルルールを守ることは決して間違いではないし、その仲間うちでは大切なことだ。ヤンキーが仁義を大切にするみたいに。

ただし、自分自身が納得出来ていないルールには、影響されないことが大切だと俺は思う。

たとえば、セクした女の子と付き合うことを「色を使う」と言って忌避する風潮は、一般的な価値観とは真逆だ。

お互いが幸せになるのなら、普通に付き合っても全然いいと俺は思う。

もちろん、セクするためだけに口からでまかせで付き合うことにして、音信不通にするのはよくない。

でも、全く色のないセクというのはつまり、感情を入れないというものだ。

それはきっと、とても味気のないものになるだろう。


自分が守るルールは、自分の価値観に照らしあわせて考えるべきだ。
もちろん、法律を守ることは大前提となるけれど。


知らない人が好き放題発信しているネット上の情報に触れる場合は特に、「何が正しいかは自分のアタマで考える」ことがものすごく大事なことだと思っている。

自分のアタマで考えないと、一見して正しいことを言ってそうな人に、強く影響を受けてしまうことになる。
情報は、自分のフィルタを通して吟味するものだ。

そのフィルタを通ってきた情報を信じて、血肉にすること。

それが、自分らしさを失わないコツである。