自分の無意識の声に耳を傾ける



先に気付いたのは身体だった。


仕事が忙しくなって、白髪が減った。
無意識のうちに感じていたストレスが少なくなったということだろう。


終電に揺られながら、改めて思った。

私は仕事が好きだということだ。

自分の仕事で、お客さんや周りの人の力になれること。
貢献することが嬉しい。


「合理的に考えたい自分」は、できるだけ労働時間を短くして、効率よく給料をもらうことを望んでいるはずだった。

しかし、なぜだろう。

全く合理的でない労働時間で、身体も悲鳴を上げて辛いと思っているときの方が、寝る前の気分は晴れやかだった。

逆に仕事が楽で、早めに帰宅してナンパしている時は、どこか後ろめたい気持ちを感じていた。

会社に?
違う。

自分自身に、だ。


自分の無意識が知っている「こうなりたい自分」に反していることに、後ろめたさを感じていた。

社会人になるときに思い描いた「社会人の理想像」。
大学を卒業するときに感じた、女遊びの後悔。

それらが無意識のうちに「自分のなりたい像」を造り、そのなりたい姿に向かっていないときに、身体が警告を発した。


「怠けるなよ」と。


「無意識が自分を作る」というと、陳腐な自己啓発書みたいになるけど、無意識の力は実はあなどれない。

「こうなりたい」と強く願った姿は無意識に刻み込まれ、そうなるように身体が行動を促していく。
その行動の結果、想いが現実になるんだろう。


俺は、人のことはよく観察しようとするくせに、自分の観察は疎かになりがちだ。


自分が本当はどうなりたいのか?
周りに影響されてないか?
自分が本心で求めていることをやっているか?
たとえ経済的な事情から本心でやりたいことをやっていないにしても、自分が何を求めてる理想に気付いているか?


これらを言葉にして、自分だけのノートに記しておきたい。

そして、その理想に向かって日々を過ごせているかを確認し、これからの道標としよう。
モヤモヤとした「心」は、言葉にしないと認識できない。


実はこれは女の子と遊ぶときも同じ話で、
「この子と一緒にいること、関係を築くことを心から望んでいるか?」
と、自分の内なる声に耳をすまさなければならない。

自分の声を無視して、経験人数を増やしてみたり、手頃なセクースを求めていると、「俺は何をやってるんだろう」と暗い気持ちになってしまう。

まっすぐに、自分の無意識の声に耳を傾ける。

まずは自分を見つめよう。