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俺の遺言を聴いてほしい

これは俺の遺言だ。

何を「気持ち悪い」と感じるかは自分の立ち位置によって変わってくる。

長文


コウノトリさんが面白い記事を書いていた。

「恋愛工学徒やら子育てコスパ論者の何が気持ち悪いのか」についての僕なりの結論
http://takasuka-toki.hatenablog.com/entry/2015/09/15/194426

恋愛工学やナンパ師、マウンティング婚活女子を「消費者サイド」と「生産者サイド」に分類する視点は新鮮で、大変勉強になった。


この記事では、コウノトリさんの記事に対して反論したいわけではなく、「気持ち悪い」という感情について考えたい。



なぜ僕たちは、「気持ち悪い」という感情を抱くのだろうか?



コウノトリさんが「僕なりの結論」とタイトルに書いているように、「気持ち悪い」という感情は普遍的なものではない。

当然、その人の立場によって「何を気持ち悪い」と感じるかは異なってくるし、さらに言うと、自分自身の成長段階(立ち位置)によっても異なってくる。

たとえば、中学のときは、地元のヤンキーは羨望の的だった。
眉毛を爪楊枝のように細くして、ベジータのようにソリコミを入れたヤンキーが超かっこいいと思っていた。

今、そんな奴を見つけたら、普通に「気持ち悪い」と思うだろう。


今は恋愛工学について批判的な意見を受ける側の立場ではあるが、もしチャラ男だった大学時代にツイッターで恋愛工学の人を見つけたら、恋愛工学を叩く立場にいたかもしれない。

非モテから見たヤリチンもキモいだろう。逆もまた然り。


昆虫だって同じだ。

昔は昆虫が大好きだった。
しかし、いま部屋で虫を見つけたら普通に「気持ち悪い」と思う。


この「気持ち悪い」という感情の源泉にあるのは、「理解できないもの」や「自分と異なるもの」を排除したいと考える生理的な反応だと思っている。

主語を大きくしてしまうと、かつて黒人が差別されていたのも、元にあるのは「自分と異なるものを排除したい」という感情だったのかもしれない。


人は無意識に、目に触れるものを「こっち側」と「あっち側」に分けてしまう。

かつて、昆虫は親しみを込めて触れる「こっち側」のものだった。
ヤンキーも憧れの対象である「こっち側」だった。

しかし、大人になった今は、「あっち側」と感じている。
おそらく人間には、「あっち側を排除したい」という感情が遺伝子レベルで組み込まれている。

いきなり遺伝子の話を持ち出すと話が飛躍してしまうが、「異物の排除」は生存戦略において適切な選択だからだ。
そして、本能レベルでの「異物の排除」こそが、「キモい」という感情の源泉だろう。


さて、コウノトリさんが消費者サイドを「気持ち悪い」と感じるのは、彼自身が「生産者側」にいるからだと思う。
一方で、「消費者側」にいる人間からすると、「上から目線の説教で気持ち悪い」と感じるはずだ。
なぜなら、お互いにとって「自分と異なるもの」だから。

互いにキモいの平行線をたどり、異論を排除しようとする。
そして一度排除フィルタがかかってしまうと、何を言っても否定の目で見てしまうため、互いの距離が縮まることはない。


さらに厄介なことに、当事者でいるうちは自分を客観視することは難しい。

言葉にすると3文字だが、「キモい」というのは実は根が深い問題なのかもしれない。



理性に訴えるのではなく、想像力による歩み寄りが大切


ここからは記事の主旨から外れた余談だ。
自分と異なる人を動かすにはどうしたらいいかを考えたい。


コウノトリさんは記事の最後で、消費者サイドにこう呼びかけている。

いい歳こいたアラサーたちよ。
いつまでたっても自分ばっかりみるのをやめて、消費者サイドから生産者サイドにうつろう。

この一文が、「筆者の最も言いたかったこと」なのか「記事の結びとして選んだだけ」なのかはわからない。

しかし、この「うつろう」で心を動かされる消費者サイドの人間は少ないと思う。
相手に歩み寄っていないからだ。

高校のヤンキーに対して、教師が理屈っぽく説教したところで全く伝わらないだろう。
国会議事堂でデモをしている人に「アホ」と言っても何も伝わらないように。


反発する相手を動かすには、ROOKIESの川藤のように、相手に歩み寄って、相手の立場を想像し、同じ目線で訴えかける必要があると思う。


コウノトリさんの話は論理的で正しいと思うが「人を動かす」という観点では、論理よりも感情に着目するのがいいだろう。

人は感情で動くものだから。


めちゃくちゃどうでもいい話


自分が仮に生産者サイドにいるとしたら、どのように呼びかけるだろうか?


ドラマ「半沢直樹」のDVDを観ながら考えた。


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・・・・。

リア友との飲み会にて。


遊びまくってたときも楽しかったけど、妻の人生に責任を負う人生、めっちゃ幸せっす!
(上戸彩の写真を見せながら)


う、うおおおおお!
(消費者一同唖然)


・・・・。


そして、もし上戸彩が家にいたら1秒でも長く顔を見るために、浮気など一切せずに家に帰る。
全責任を背負って、毎日直帰。

そして、彩が寝静まった頃に、こんなブログを書く。

☆ ☆ ☆

僕は昔、たくさんの女の人と関係を持ちました。
初めて会う女を抱く興奮は何事にも代えがたく、口説き落とすまでのプロセスには中毒性があり、また自尊心を満たしてくれるものでもありました。

でもふと振り返ると、手帳に記した「やった女の名前」以外何も残っていないことに気付き、愕然としたんです。

あれ?俺、何やってたんだろって。

それから何年か経って初めていいなって思える人が見つかって、「あぁ、これが恋なんだな」って思うことができました。



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恋はお互いを見つめ合い、愛は一緒に同じ方向を向くものであるとは言います。

今、僕の横にいる最愛の子は、僕が出世した時は自分のことのように喜んでくれ、僕が落ち込んでいる時は一緒に落ち込み、励ましてくれます。

こんな関係を築けたのは、彼女の人生に責任を持つと決めたからです。
何人もの女の子を同時並行で回しているときは、こんな風に考えることはできなかった。


それで、ふと思ったんです。
昔嫌がってた『責任』って、別に重荷じゃなかったんだって。

生産者サイドにうつってよかったって。


(上戸彩の写真を見ながら)

僕は、いますごい幸せなんです!
みんなも早く、こっち側においで!

(感極まって、上戸彩の写真にキスをする)



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キモい!


さて、まとまりがなくなってきたので、ガンジーのついての記述を引用して締めます。

先日、ガンジーについて色々と情報を探していたら、こんな記事を見つけました。

対話の姿勢こそが、平和を生むのだと考えさせられる文章でした。

癒された平和な心から「謙虚さ」が生まれ、謙虚さから「聞く心」が生まれ、聞く心か
ら「相互理解」が生まれ、相互理解から「社会の平和」が生まれる――。


ネル一首相は「ガンジー師が教えたことの核心は『何ものも恐れるな』ということでし
た」と証言しておられる。
 
「強者は報復しないものだ」
「対話できる者が勇者なのだ」。

これが、マハトマの教えだった。

http://www.3colorflags.net/sintyaku/20010923.txt