俺の遺言を聴いてほしい

これは俺の遺言だ。

セフレを作るよりオナニーをしよう。

2ヶ月間のオナニー生活を経て、改めて確信したことがある。


・・・オナニーは最高だ。


毎週のようにナンパに繰り出したこともある。
クラブで行きずりの女と、一回きりの夜を過ごしたこともある。

それなりにたくさんの女と肌を重ね、時間を過ごし、一周回ってオナニーは最高だという結論に達した。

もはや俺の日課は人助けとオナニーであると言っても過言ではない。

オナニーは敗北ではない。
俺は「オナニーすること」を選んでいるんだ。


今日は、全日本オナニー党を代表し、なぜオナニーが最強かを解説したい。

オナニーは臭わない

セックスすると稀にぶち当たるのが「臭い」の問題である。

野菜を食わない女に多いのだが、なぜかアソコが臭いのである。

顔を近づけるとツーンとする刺激臭が脳天を直撃し、別の意味で昇天しそうになる。

さらに厄介なのが、口が臭い女だ。
どうやってもセックスするためにはキスは避けられないのだが、どんなロマンチックな場面も、臭い息で全てが台無しになる。


ねぇ、出会えてよかったよね

ああ、そう思う(すまん、口が臭い)

好きだよ

俺もだよ(すまん、口が臭い)

絡ませる舌(すまん、口が臭い)


なぜお前は、キスミントしないのだ!


口臭は悪だ。
全てのやる気を失わせる。

「交わる体液」なんてタイトルのAVもあるが、俺は臭い体液など交わらせたくない。


その点、オナニーは無臭だ。

衛生的にもバッチリ。
俺はセックス前後にシャワーは必須と思っている人間だが、素晴らしいことに、オナニーにシャワーは必要ない。
むしろオナニー直後に熱いシャワーを浴びるとタンパク質が変性する可能性だってある。

オナニーは臭わない。絶対に、臭わない。

イカ臭い放射性物質は、ビニール袋に密閉して捨てれば大丈夫だ。

余談だが、中学生の時などは実家暮らしだったため、放射物の処理に非常に苦労した記憶がある。

かといって、風呂でやってしまうと、タンパク質が凝固して流れなくなってしまうので、それはそれで大変だ。
トイレにティッシュを流して、トイレを詰まらせて怒られたこともある。

放射性物質の処理問題は、実家暮らしの高校生につきまとう重要な問題であるといえよう。


オナニーは拒まない


合コンで連絡先を聞いてもLINEが返ってこない。
ストリートナンパしてみてもシカトされる。
せっかくデートしたのに家に来るのを拒まれる。
家に来たのにベッドインを拒まれる。


誰もがたくさんの拒否を経験してきたことだろう。
セックスというのは、勇気を出して、何度拒否されても立ち上がり、チャレンジしたものだけが掴める神秘的な何かなのかもしれない。
普通の男にとって、「セックスする」ということはけっこう大変なことなのだ。


一方で、オナニーは誰も拒まない。
いつでも僕たちを優しく迎え入れてくれる。

パソコンを開けば無数の美女が手招きしていて、しかも日替わりだ。
この世界において僕たちは無敵だ。


オナニーは拒まない。
絶対に、拒まない。

オナニーは効率的

セックスはとにかく時間がかかる。
口説くのにも時間がかかるし、それ以前にLINEするのも時間がかかる。

誰も相手がいない状態であれば、デートする女を見つけるのも時間がかかる。

しかも、運良くセックスできる相手を見つけたとしても、人間と人間の関係を築くということは、そこに責任が生じる。セックスはとにかく、大変なのだ。

なんとかセックスした後も、どうでもいい相手とセックスしたときは

「早く起きて帰ってくれよ・・・。俺は仕事がしたいんだ」

なんて思うこともあるかもしれない。

でもそんなことはなかなか言えないだろう。


その点、オナニーは極めて効率的だ。
女を見つけて、射精するまでの所要時間は5分で済む。
自分の責任で全てを完結できるため、誰にも責任を追わない。

唯一ピンチなのは、親にオナニーが見つかった時くらいだ。
目撃されたオナニーは家族の責任になる。
父は食卓で黙りこみ、母は顔を背ける。

実家ぐらしの高校生にとって、親の気配を感じたら光速でパンツを履き、何事もなかったかのように振る舞う演技力は必須スキルとも言える。


嗚呼、素晴らしきオナニーの世界。でも・・・

さて、ここまでオナニーの素晴らしさを長々と語ってきた。
あまりの下ネタっぷりにブラウザを閉じたい衝動を抑え、ここまで読み進めてくれた読者の方は、オナニーがいかに素晴らしいかに気付き、オナニーを蔑んでいた過去を悔い、全日本オナニー党への入党を検討したかもしれない。


しかし。


そんな最高であるはずのオナニーを超える、素晴らしいものがたった一つだけある。


それは、愛する女(ひと)とのセックスだ。


上にオナニーの利点をたくさん書いてきたが、愛のあるセックスは、その全てにおいて上位互換とも言える素晴らしさがある。

臭いなんて気にならない。
時間効率なんか求めず、もっと一緒にいたいと思えてしまう。
拒否も含めて愛おしい。それもプレイの一つだ。


そして、オナニーでは絶対に得られないものが、心と心のつながりである。


美味しいものは誰かと一緒に食べたほうが美味しく感じるように、
素敵な映画は誰かと一緒に観たほうが感動するように、
感情は誰かと共有することで、増幅するようにできている。


セックスした後、二人で笑いあったときの幸福感は、オナニーの快感では決して得られないものなのである。


オナニーはつながらない。
良くも悪くも、誰ともつながらない。
全てが自分で完結する。


誰ともつながらないから、幸せにはならない。
幸せとは、人と人とのつながりの中で生まれるものだからである。

オナニーの後は、快感と虚しさが残る。
行きずりの女とセックスした後のように。



ここで自分なりの結論をまとめよう。

ナンパしまくったこともあった。
合コンしまくったこともあった。
行きずりのセックスもたくさんした。


そして何より、雨の日も 風の日も 雪にも夏の暑さにもめげずにオナニーを続けてきた。

受験勉強中に、鉛筆を握っているつもりが肉棒を握っていることもあった。
継続は力なりというが、オナニーするたびに力が抜けて無気力になった。
ヌケたのは力だけじゃなかった。


そんな自分が、

感謝のオナニー 10000回

という修練を乗り越えた末にたどり着いた結論をもって、この記事の締めとしたい。


結論。

行きずりのセックスするくらいならオナニーのほうが全然マシ。
でも好きな子とセックスした時の幸福感は、オナニーでは絶対に得られない。