「プラダを着た悪魔」から9年──
恋に仕事に頑張ってきたあなたの次の物語──
こんなキャッチコピーで紹介される映画「マイ・インターン」。
主役は「プラダを着た悪魔」で世界中の女性から憧れの的となったアン・ハサウェイと、ゴッドファーザーことロバート・デ・ニーロです。
ジュールズ(アン・ハサウェイ)は、家庭を持ちながら何百人もの社員を束ね、ファッションサイトを運営する会社のCEO。
そんな彼女のアシスタントにやってきたのは、会社の福祉事業として雇用した40歳年上の“シニア”インターンのベン(ロバート・デ・ニーロ)でした。
ベンは今年で70歳。
40年間ずっと、仕事に打ち込んで生きてきた。
年をとった今でも、自分の居場所を見つけたい。
そんな決心を込めて、面接を受けることを決意。
その熱意が伝わり、見事に採用が決まります。
会社もCSR活動のつもりで雇ったシニア・インターンでした。
最初、会社からベンに与える仕事は何もありません。
パソコンの使い方もわからなかったベン。
それでも長年の経験を活かし、自分ができる仕事を見つけ、次々とこなしていきます。
その安定感たるや、映画を観ているこちらも見ていて安心できるものでした。
功を焦るわけでもなく、仲間を褒め、周りの社員を支えるベンの姿は胸に響くものがあります。
「働く」とは「側(ハタ)」で見ている人を「楽(ラク)」にすること
という言葉をどこかで読んだことがあります。
「マイ・インターン」のベンの仕事はまさにそのようなもので、自らの功を焦ることもなく、周りの人の力になっていきます。
なぜベンがそのような働き方ができるのかというと、70歳のベンは「働く」という行為そのものに喜びを感じているからだと思います。
こういう考え方は社畜っぽく思われるかもしれませんが、労働そのものが「楽しい」とか「生きがい」と考えることができたら、その人は無敵だと思うんですよね。
「マイ・インターン」のベンからは、働いて、仕事があって、居場所を与えられる幸福が、すごく伝わってきたんです。
それを見て、「ああ、こういう風に働けたら無敵だなぁ」って。
「労働の対価として金を得る」
というのは、圧倒的に正しいですが、「労働」の対価を「金」と考えると、「なるべく労働を短くし、金を多くもらう」方にインセンティブが働きます。
ここ最近まで、自分も「働くこと」をけっこうドライに考えてしまっていて、「金の対価としての労働」という意識がずいぶん強くなっていました(脱社畜ブログと金融日記の影響?)
でも、この映画を観て、思ったんです。
「労働」の対価って「金」だけじゃなくって、周りに貢献できることの喜びとか、一つのプロジェクトを完遂した達成感とか、新しいことができるようになる楽しさとか、そういう数字に表せないものも大きいんじゃないかなって。
社会人に慣れてきて、数字に出ないものを軽視しちゃってたんじゃないかなって。
考え直すきっかけになりました。
映画の中でベンが仕事を始めるときに、
「ありがたい」
って言ったんです。
そのシーンを見て、ふと。
会社に居場所があって、仕事があって、同僚がいて、上司がいる。
今はそれが当たり前になってたんだけど、将来ジジイになって会社から去ったら、こういう「当たり前」がすごく恋しくなるんだろうなと、想像せずにはいられませんでした。
「どんなことに幸せを感じるか」は、自分でコントロールすることができます。
いま目の前にある「当たり前」に幸せを感じることができたなら、環境に影響されることなく、自らの意志で、「幸せな人生」を作り出すことができるのではないかと思いました。それはとても難しいことだけど。
ロバート・デ・ニーロが演じるベン。
口数は決して多くないですが、映画を通じてベンが伝えたい事は、その表情で雄弁に語ります。
「マイ・インターン」は、そのストーリー自体も満足度の高いものでしたが、それ以上に、これからの働き方を考えるきっかけになる映画でした。