俺の遺言を聴いてほしい

これは俺の遺言だ。

「セックス」と「こころ」の厄介な関係。


恋愛について、自分と向き合った1年だった───。


* * *


大学を卒業すると同時に女遊びをやめた。

当時は彼女の目を盗んで合コンに行き、周りの女子大生を引っ掛けて遊び、毎回彼女にバレて殺されかけた。

なぜ女の直感はあんなに鋭いのか?
大学時代最大の疑問だった。

完璧に隠したはずの証拠を完璧に見抜かれ、こいつはコナンか金田一なんじゃないかと思った。


大学時代は日常的にナンパをすることはなかったが、チャラチャラした仲間達と飲みまくってるだけで、とにかく色んな女の子と関係を持つことになった。

狭い大学のコミュニティでそうやって遊んでいると、色んなところに悪評が立つ。


「奴はチャラいから危ない」


と会ったこともない奴に悪口を言われ、そういう輩に限って同じ学部の子にストーカーのように告っていた。


俺が手を出したのは他校の子だ!貴様と一緒にするな!


と声を大にして言いたかったが、文句を言う前に卒業してしまった。
たぶん、喧嘩になったら負けていただろう。出会わなくてよかった。



大学の卒業を迎えたときにふと思い立ち、関係を持った女の子を手帳に書き出してみて、愕然とした。


名前を、思い出せないのである。


・あの時の飲み会で出会った、Eカップの子。
・合コンで持ち帰ったコンビニでバイトしてる子。


というように、名前以外の属性は覚えているものの、肝心の名前を思い出せなかった。

もちろん、流行っていたmixi友達になって、今でも仲良くしている子もいる。
しかし、少なくとも半分以上の子は携帯電話のメモリにも残らず、どこで何をしているのかもわからなかった。


そんな現実を振り返って、思った。


残らない関係に、時間を使うのはもうやめよう。

こういうのは大学までの遊びにしよう、と。


これからは、残るものに投資しよう。
俺は新たな人生を歩むんだ。



* * *


「セックスをすると感情が冷める」というのは、思った以上に厄介な問題である。

昔から言われていることだが、男の感情のピークは「1回めのセックスのとき」に来るようだ。
逆に、女の感情は「セックスをしたことによって」高まることが多い。


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セックスした後の「こころの開き」が男女のすれ違いを生んでしまう。

半年前までの僕は、月に1回くらいナンパのようなことをしていて、出会った女の子との関係のほとんどは、上の図のような関係だった。


たしかに身体の関係を持った子の人数は増えたが、その後には何も残らなかった。

ちなみにクラブにいる女の子に多いが、恋愛感情が50%以下でも、その場のノリでセックスすることがある。
こういう場合は、セックス後の感情の高まりは発生せず、その場だけの関係で終わることが多い。


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上の2パターンどちらにも言えることだったけれど、「セックスした後に感情が冷める」ような関係を持つことは、自分にとって全然幸せではなかった。

なぜなら、それは何も残らない関係だったからだ。

「なんでこんなことに時間を使ってしまったんだろう」とか「これから嫌われるのイヤだな」とか、そういう後ろ向きなことを考えて落ち込んでいた。


でもな、遠い昔のずっと若い頃の記憶の中では、たしかにセックスした後にだって、

「また会いたい」

「すげー幸せだ」

なんて感じたことがあったんだ。

そういうときに限って、相手はなんだか冷たくなって、全然うまくいかないんだけど。


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このとき俺は、「恋愛」を通じて幸せを感じていたんだと思う。
一挙手一投足が気になって、心が浮ついて、何か嫌なことがあったときはその子のことを考えれば癒やされるような。

そんな気持ち。
つまり、セックスした後に感情が高ぶるような子を探して街に出ていたけど、俺は実に不都合な真実に気付いてしまった。


簡単に手に入れたものは、なかなか大切にできない。


という真実である。

これは完全に俺の主観による結論であり、他の人がどうかはわからない。

でも、少なくとも自分は、その日に声をかけて、狙い通りに関係を持った女の子に対して、上の図のような感情の高まりを経験できなかった。

自分の恋愛感情を発火させるには、なんらかの偶発性が必要だった。
なぜなら、恋心とは思い込みだからである。

運命を信じるわけではないが、運命と思い込めるような偶然を、主観で信じることができるかどうか。
そこにルーティーンや科学的なテクニックが介在してはならなかった。

たしかにセックスに至る工程においては、先人の経験に裏付けられたテクニックが有効かもしれない。

しかし、そこから先はあくまで主観の問題で、大事なのは自分が何に幸せを感じるかだ。


この話を友達としたら、

「俺はセックスできたら幸せだ。セックスできない人生は不幸だ」

と言っていた。

その考え方も正しい。考え方は人それぞれだ。
人それぞれに、"自分が"何に幸せを感じるかを自分の頭で考えなければならない。


* * *


「人はいつまでもピーターパンではいられない」

なんて話をされたことがある。

いつまでも若い頃のように、恋愛で頭がいっぱいになるような経験を探し求めていてはいけない、ということだ。

たしかにその通りだな、と思った。

頭の中を恋愛でいっぱいにするような経験は、もうできないのかもしれない。
それならば、そんな恋愛を探すこと自体が無意味だということになる。

では、何を求めるのか。


同じ人に、

「人の幸せのカタチは変わるものだ」

とも言われた。

落ち着いた環境で、仕事に集中して、家に美味しいご飯があって。
時々温泉に行って、子供の成長を見守る。

そんなことに幸せを感じる年齢になったのかもしれない。


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逆に言うと、歳相応に求めるべきであろう幸せのカタチと、自分が求めている幸せのカタチがマッチしていない場合は、思うように望みを叶えられない可能性が高そうだ。

恋愛市場の価値は途中までは上がり続けるが、その後は加齢と共に徐々に下がってくるものだからだ。


正直、今の自分にはここまで達観した考えは持てていない。

とはいえ、残された時間も少ないので、自分にとって何が幸せで、何が大事なのかということを、総合的に見つめ直す必要がありそうだ。

人の目は前を向いてついている。
他人のことはよく見えても、自分のことはなかなか見えない。


普段は忙しくて、振り返る暇もない自分自身だ。

だから正月は、自分自身と向き合うのに最も適した時期だと思う。