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俺の遺言を聴いてほしい

これは俺の遺言だ。

内館牧子著 「終わった人」を読んだ感想。

感想

最近忙しくてブログを全然書けなかったので、リハビリ代わりに殴り書きする。

これから一週間。
リハビリとして、時間を短く区切ってブログを書き続けたい。
しばらく書かないと、日本語がうまく出てこないものだ。

こういうのは避けないと。
今までブログ記事に1時間も2時間もかかっていたから、忙しさなどの状況によって、力を入れたり抜いたりすることを覚えたい。

出世競争の末路

東京大学文科一類を卒業した田代はメガバンクに就職し、エリート街道をまっすぐに歩いていた。
役員の道も見えたように思えた40代が田代の転機だった。

同期に出世競争で破れ、出世の芽を絶たれたのだ。
それ以後、四苦八苦したものの、子会社の役員という形でバンカー生活を終える。

目指したものに辿り着くこと無く定年を迎えてしまった田代は、仕事に未練を残したまま定年生活を送ることになってしまう。

定年後、彼には何の肩書も残されていない。
大企業の肩書があるからこそ、たくさんの催し物に呼ばれていたが、それすらも無くなった。
それが「終わった人」への世間の対応なのである。

ジムに通ってみたものの、

「俺はジジババの同じ扱いを受けたくはない」

と、ジムの仲間とも距離を置く。

定年したにも関わらず、プライドは捨てられないのである。


「終わった人」は会社に尽くし、出世に生きた男の人生を描いている。

野望を絶たれ、不完全燃焼で会社生活を終えてしまった男の「その後」の話だ。


僕が思うに、田代は会社に依存し過ぎである。
半沢直樹もそうだが、多くのサラリーマンは地位や立場に囚われ過ぎではないか。

どこの会社にも

「どこの誰が出世頭だ」

「誰の出世が早い」

という会話を好む人がいる(若い人には少ない)

一方で、「誰がどんなプロダクトを生み出したのか」にフォーカスを当てる人は少ない。

僕はビジネスマンの価値は地位や立場ではなく、何を成し遂げたかによって語られるべきだと考えている。

もちろん、地位や立場によって裁量は増えるが、社会に大きな価値を生み出すのが地位が高い人とは限らない。
(サラリーマンの手柄は上司のものだが、そこが問題なのではない)

年収も同じで、基本的に会社員の年収は就活面接のプレゼン能力に比例することが多い。
入った会社によって年収のベースは決まる。

しかし、年収が低くても素晴らしい商品を生み出した人はいるし、高年収の社員が必ずしも優秀とは限らない。
だから、僕は基本的に人を年収では判断しない。

できるだけ人間を見たいと思っている。

終わった人と妻と恋愛工学

終わった人になった田代に対して、妻が厳しくあたるようになる。
まるでゴミを扱うみたいに。

田代が会社を倒産させてしまい、負債を抱えてしまった。
そのとき、田代の妻は田代を罵倒し、クソミソに言っていたのだ。

このシーンを読んで、僕は田代こそ恋愛工学を学ぶべきではないかと思った。

恋愛工学はただひたすらに自分の欲求を追求するようにデザインされているため、仮に田代が恋愛工学生だった場合、罵倒する妻に対し、

「じゃあ、さっさと別れよう。ハイ」

とすぐに離婚届を出せたはずだ。

家は妻の名義で持っていたので、銀行に取られなくて済んだ。
田代が恋愛工学生だったら、家に住みながら女遊びができてラッキーという発想ができたかもしれない。

恋愛はいつだってついでにやるもの

小説内で「いつまでたっても恋だの不倫だのやってる男がいるが、恋愛はいつだってついでにやるもの」というセリフがあった。
たしかにその通りだと思う。

仕事に燃えてこそ、人生は楽しい。
恋愛を人生の最優先に置くのは、俺自身の価値観において、ちょっとカッコ悪い。