読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

俺の遺言を聴いてほしい

これは俺の遺言だ。

あるドーテイが花束を。

シモ

◆3月1日

永沢先生から急に日記をつけてくれとたのまれた。
先生にはいろいろと世話になっているし、いやとはいいにくいので引き受けた。
しかしなんでぼくが日記なんかつけなくちゃいけないんだろう。

ぼくみたいな真性の非モテが日記を書いたところで、ろくなことを書けやしない。
ぶあつい日記帳をくれたけど、インターネットを見てオナニーしたことくらいしか書くことがない。

ああ、なんて暇なんだろう。



◆3月10日

今日は本屋に行って小説を買ってきた。
特に目的はなかったけれど、なにか本でも読もうかと思ったからだ。

本屋の娘に相談してみると「アルジャーノンに花束を」という本を勧めてくれた。
あの娘は親切な良い子だ。気立てもよさそうだ。

名札を見ると、井上と書いてあった。


彼女のことを考えると、幸せな気持ちになった。
これは恋なのだろうか。

でも、この想いを伝えられることはないだろう。
だってぼくは、今まで一度だって、女の子とまともに話なんてできなかったから。




◆3月12日

本屋の娘が勧めてくれた小説を読んだ。
知的障害者であるチャーリーは、ある手術を受けて天才になる。
しかし天才でいられる期間は限られていて、どんどん思考力が失われていき、最後は知的障害に戻っていくという話だった。

チャーリーのように、ぼくも人生を変えることができないだろうか。

こんな掃き溜めみたいな生活から早く抜け出したい。




◆3月14日

ゆうべ永沢先生から電話があって、あしたはぜひ病院に来てくれということだった。
ぼくは、この間の検査で何か悪いことがあったんだろうと思った。
心配だったが、心配しても仕方がないと思うことにした。

もう十分生きたし、いつ死んだって構わない。
ぼくの人生がこれ以上悪くなることはないだろうと思った。


先生の頼みというのは、実験に協力してほしいということだった。
何の実験ですかと聞くと、モテ男になる実験だと先生は答えた。
非モテの男をモテ男に変えることができるかもしれないという。

ぼくはびっくりして、そんなことができるんですかと聞いた。
理論的にはできるんだと先生はいった。

何度も動物実験をして、モテるようになった猿なんかもいるそうだ。
ただしいつまでもモテるままというわけにはいかなくて、ある程度時間がたったら、また元に戻るらしい。
それでもまだぼくは信じられなかった。

なぜぼくに頼むのかというと、条件にぴったりだからということだった。

秘密の実験なので、普段人との付き合いがあまりなくて、彼女もいない人間がいいんだということだった。
もちろん病気持ちよりは健康な人間のほうがいいとも先生はいった。
そうしたことの条件に、ぼくがあてはまるそうだ。

ぼくは家でゆっくり考えてみるといって病院を出た。



◆3月20日

永沢先生に実験を手伝ってもいいと返事した。
先生はたいそうよろこんでくれた。
25日に手術をしたいということだが、ぼくはいつでもいいですとこたえておいた。
どうせ掃き溜めのような人生なのだ。
手術が早くなろうと遅くなろうと、ぼくの人生に影響はない。



◆3月24日

いよいよ手術は明日だ。
それで今日から入院した。何をされるのかさっぱりわからず、モテるなんてことが本当にできるとは、やっぱり思えない。
永沢先生がいろいろ説明してくれたが、ぼくのような悪い頭では半分も飲み込めない。
お任せしますといっておいた。

永沢先生から花田さんという看護師を紹介された。
これからぼくの専属のようにやってくれるらしい。

ルックスは中くらいだったけど、ぼくが話しかけるにはハードルが高かった。



◆3月30日

何をどうされたのか全くわからないが、手術は5日前に無事に終わった。
花田さんが言うには、来週から軽く外出してもいいらしい。

心なしか、身体が引き締まってきたように感じる。

ちょうど桜の季節なので、桜を見に行くことにした。



◆4月2日

今日は朝から変な気持ちだった。
しかし悪い気分というのではなく、動き回りたくてしかたがないという気分だ。

中目黒のさくら祭りは恐ろしい混みようだった。
以前の僕はこんな人混みを見ると背を向けて一目散に逃げていた。
たくさんの人に自分を見られたくなかったからだ。

でも今日は、なぜだか人混みの中に浸りたい気分だった。


目の前に白いブラウスを着た女性が歩いていた。

「あ、この桜、綺麗ですよね」

自分でも驚いた。

僕は知らない女性に声をかけていたのだ。

「中目黒にはよく来るんですか?」

女性は軽く頷き、

「たまに、来ます」

と言ってその場を立ち去っていった。

僕は自分が何をしたのかよくわかっていなかった。

でも僕はたしかに、知らない女性と話をしたのだった。



◆4月22日

新橋駅の改札を出ると、仕事帰りのOLが音楽を聴きながら歩いていた。
色気がある。

俺はスマホを取り出し、GoogleMapを立ち上げた。

音楽を聴いている女に声をかけても届かない。
女の横に並び、困っているような顔でスマホの画面を見せる。


「すいません」

と少し大袈裟に、相手にわかるように、顔を向ける。

女がイヤホンを外した。

「突然すみません!
この辺に日本で一番オシャレなカフェがあるって聞きまして。
でもGoogleで『日本一 カフェ』で検索してもヒットしないんですよ。

スター・・・スターなんとかっていうカフェらしいんですけど」


女が笑う。


「あ、もしかして、行ったことあります?
スター・・・なんだっけ?
お姉さん、見るからにキャラメルマキアート好きそうな顔してるもんね」


女が何を言ってるのという表情でこちらを見る。

「スタバじゃないですか(笑)
いつも頼むのはソイラテですよ」


反応は悪くない。
一気に畳み掛ける。


「ソイラテ!?これはまた渋い!この苦味と渋み...まるで独身OLみたいな!

ところでですね。
少しだけ真面目な話をさせてください。

こんな金曜日に一人でご飯も寂しいので...。

よかったら少し、ご飯だけでも食べませんか?
もちろん、俺は金持ちだから、なんでも奢る!ただし、吉野家で」


いつも通りの会話。
「寂しい一人飯ルーティーン」と名付けた。


「えー・・・じゃあ、ご飯だけなら・・・」


チェックメイト。

簡単なものだ。
同じパターンで10人に声をかければ、たいてい一人は引っかかる。

ルーチンワークだった。

「抱けるレベル」の悪くない女に声をかけ、反応がいい女を拾う。
中には上玉もいる。
「数撃ちゃ当たる」はナンパにおける唯一の真理だ。

食事の際には真面目な一面を見せ、ただのナンパ野郎とは違うという点を証明する。

「仕事もちゃんとしている真面目な男がたまたま声をかけ、たまたま一緒にご飯を食べることになった」

彼女に運命の出会いだと錯覚させるのだ。


結局、この女と近くの鳥貴族で飯を食い、新橋のレンタルルームで交わった。
今月に入って3人目だ。

俺は手術を受けるまで25年間、女と関わったことなんて一度もなかった。

中学、高校ではクラスの目立つ男女のグループを遠くから見ていた。
休み時間になると廊下に出て、イケメンと可愛い女が腹を抱えて笑い合っている。

本当は俺もあの輪の中に入りたかった。
あの可愛い子のほっぺたに触って、つまらない冗談を言ったり、からかったりしたかった。
二人乗りの自転車で、坂道をゆっくり下っていきたかった。


でも俺は童貞のまま25歳を迎え、そして永沢先生の手術を受けた。

世界が変わるとはまさにこのことだ。

女はこんなに簡単に股を開く生き物だと知って、複雑な気持ちになった。
なぜ俺はこんな簡単なこともわからずに、部屋に引きこもって悶々としていたのだろう。

筋トレして、美容室に行き、ジャストサイズのシンプルな服を着て、いつも通りのルーティーンで声をかければ、10人に1人くらいはセックスできる。

ナンパは確率のゲームなのだ。数を撃てば必ず当たる。

東京はでっかいソープランドみたいだな、と思った。



◆4月30日

井上さんがいる本屋に行った。
ナンパ界の理論は常にブラッシュアップされている。

いま最もホットなテクニックは「ステルスナンパ」と呼ばれるテクニックだ。
間接的に声をかけ、ナンパをナンパと思わせないテクニックなので、ステルスと呼ばれるらしい。

俺は井上さんにこそ、ステナンを仕掛けるべきだと考えた。


ナンパ界でミリオンダラースマイルと呼ばれる、屈託ない笑顔を浮かべる。

「こんにちは!
井上さんが勧めてくれた『アルジャーノンに花束を』読みました!
面白くて一気に読んじゃいました。
最後、ちょっと切ないですよね」

自分語りは最小限にして、会話が広げる仕掛けを作っていく。
会話は一方的に投げるものでもなく、聞き出すものでもない。

二人の共通の話題を広げていくものなのだ。

「ふふ。面白いですよね」

井上さんが微笑む。天使みたいだ。

「わたし、あの話大好きなんです。
好きな作家の本はだいたい全部読んでしまいます。
ワタナベさんは他にも何か読んだりしてますか?」


少しずつ、会話を広げる。
ナンパだと思われないように、これが運命であるかのように。

井上さんが好きな作家を挙げると、俺は自分もその作家の熱烈なファンであるかのように振る舞った。

「ああ!あの!池袋ウエストゲートパークとか最高ですよね!
あれドラマでもやってて!あの頃の窪塚は本当に最高だったんですよ」

ネットで聞きかじった知識だが、問題はない。
大事なのは、話題を共有することと、彼女に話をさせることだ。

彼女の目が輝く。

ここだ。

話を長引かせすぎてもいけない。

一番盛り上がったところで、連絡先を聞き出す。
タイム・コンストレイント(時間制限)・ルーティーンだ。

「ちょっと用事があるから行かなきゃいけなくって。

よかったら、LINEでも交換して、今度ゆっくり話しませんか?」

LINEゲット。

道を切り拓くのは、勇気だ。
あれだけ欲した井上さんとのつながりも、少し勇気を出すだけで手に入れることができた。

行動することで手に入れられるものは無限で、失うものは何一つない。
行動しなければ何も手に入らない。

この胸に、勇気だけがあればいい。
勇気があれば、なんでも手に入れることができるんだ。


あれだけ恋い焦がれた井上さんのLINEもいつも通りのルーティーンで、いつも通りに手に入れることができてしまった。
きっと次のデートで他の女と同じように、俺は井上さんを口説き落とすのだろう。

そのとき感動はあるのだろうか?
恋愛ってなんだろう?

感情のない機械みたいだな、と蔑むように笑った。


◆5月10日

僕の恋愛は新たなステージに到達した。

あれほどこだわったルーティーンは全て捨てた。
本当にモテる男にルーティーンは不要だからだ。

普通に友達になり、普通に丁寧に接するだけで、相手が勝手に好意を抱いてくれる。

多くのナンパ理論では、

「非モテがモテ男を偽装する」

ための方法が説かれる。
アルファ・メイルというものだ。

しかし、これまでの経験から理解したことは、非モテはモテを偽装することはできない。
ナチュラルは、偽装できないからナチュラルなのだ。

女もそこまで馬鹿ではない。
非モテが偽装していることくらい、すぐにわかる。

それでも抱ける女がいるのは、要はたくさんの女に声をかけているからだ。
たくさん声をかければ、「セックスできる女」に当たることもある。

非モテが「モテる」ようになるためには、地道にスペックを向上させることだけだ。

モテるには、地道に努力して、結果を残すこと。結果を自信にすること。
それだけが唯一の真実だ。

世の中にたくさんのナンパテクニックやモテ本が出回っているが、そんなものは「モテる」ことには何の役にも立たない。
モテることは、経験人数を増やすことではないのだ。

一方で、「経験人数を増やす」ための唯一の真理も存在する。

「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」

だ。

どんな非モテでも、数を撃てば必ずセックスできる。
やはり最強のナンパテクニックは「勇気」なのだろう。

今の僕にはもう、ナンパは必要なかった。
人間関係をマイナスから始める必要などない。

信頼できる友人に紹介してもらえば、プラス評価からのスタートだし、
僕を信頼してくれる友人はここ数ヶ月で山のように作ってきた。

ナンパは敗者のゲームだ。
勝ってる人間はゲームに参加しない。




◆6月1日

何かがおかしい。

夏が近づき、女も開放的になってきている。

目の前を露出度の高い女が歩いていたので、声をかけようとしたが、言葉が出てこなかった。

「あ...あの...」

声にならない声は、女の子に届かなかった。

僕の中で何かが壊れ始めた。



◆6月15日

声掛けはシンプルにした。
アドリブで言葉が出てくる気がしなかった。

「こんにちは」

渋谷で女に声をかける。
女がこっちを見ても、次の言葉が出てこなかった。



◆6月28日


外に出る気がしなかった。
梅雨のせいだと思う。

梅雨が明けたらきっと、街にたくさんの薄着の女が溢れるはずだ。
ぼくは梅雨明けを楽しみにしている。




◆7月20日

関東に梅雨明けが宣言された。
ギラギラと眩しい太陽。

絶好のナンパ日和だが、ぼくは外に出る気がしなかった。

暑いからだとおもう。



◆8月1日

前の日記から一度も外に出ていない。
ぼくは井上さんのことを思い出して、手術後はじめてオナニーをしてしまった。

井上さんは元気にしているだろうか。

ぼくは手術してモテ男に変身して、たくさんの女とセックスをした。
でも、ほとんどの女は名前と顔が一致しなかった。

楽しかったけど、あれは幸せだったのかな?

頭の片隅で笑う井上さんの記憶を何度も反芻して、幸せな気分になった。



◆8月15日


なんだが体調がすぐれない。
手術の副作用だろうか。

井上さんに会いたいけれど、連絡する勇気もない。

なんども井上さんのLINEを眺めては消した。

ぼくはメールの打ち方もわからなくなってしまった。



◆9月1日

今のぼくがどんなふうなのかもわからない。
元に戻っているようにも思うし、そうではないようにも思える。
しかしどっちみち、これからまだまだ非モテになっていく。
そうしてそのうち掃き溜めに戻るんだろう。

いやだ、いやだ。戻りたくない。戻りたくない。

だけどどうしようもないだろうな。

ぼくは手術の力で非モテから脱出した。
でも、ほんとうは、自分の力で、努力してつかみとるべきものだったんだ。

ぼくは非モテに戻るのか。
ぼくが非モテに戻ったら、井上さんはどう思うだろう。
ぼくを忘れないでいてくれるだろうか。

せめてもう一度だけ、あのときに戻れるなら。
彼女に花束を渡すことができるだろうか。


アルジャーノンに花束を〔新版〕(ハヤカワ文庫NV)

アルジャーノンに花束を〔新版〕(ハヤカワ文庫NV)