俺の遺言を聴いてほしい

これは俺の遺言だ。

若者よ、非モテを恐れるな。





ネットでは「非モテ」は嘲笑の対象となる。
非モテというのは異性に相手にされない状態とされている。

「非モテ」であることを恐れ、「非モテ」にならないように、あるいは自らの力を証明するかのように女遊びを繰り返している人がいる。
皮肉なことに、そうやって「自らのモテ」を誇示したい人のほとんどは元々モテなかった人のように見える。

そもそも「モテる」ということにどれだけの意味があるのだろうか?
僕は社会人になってから「女にモテる」ことに意味があるとは思えない。

そんなことは何の自慢にもならないし、そんなことを誇る社会人がいたらむしろ軽蔑する。
学生でも同じだ。勉強で結果を出したり、部活で成果を上げる人のほうが100倍カッコいい。
非モテの学年トップくんは、もっと自信を持っていい。

非モテであることを恐れる必要はない。
自分のやるべき仕事にコミットした非モテはむしろカッコいい。


一方で、最も情けないのは、女の優先順位が異常に高くなった状態である。
この状態を「女ジャンキー」という。
そして不幸なことに、これは非モテに起因することが多い。

「女を求める」→「でもモテない」

という状態が長く続くと、女ジャンキーに陥る。
これはよくない。というか、みっともない。
目の前の女に惑わされて、大切なモノを見失いがちだからだ。

一度非モテを卒業した人は、

「女はその気になればなんとでもなる」→「だから今、女を求める必要はない」

くらいのスタンスがちょうどいいのではないだろうか?
この状態を「ネオ非モテ」と呼ぼう。「ポストモテ」と言ってもいい。

「女遊びはやろうと思えばできる」

という確信さえあれば、自分の力を誇示するかのように複数の女と並列で遊ぶ必要など無いのである。
そうすれば、今現在「会う女がいない」=「非モテ」でも別に気にならなくなる。

女遊びというのは刺激的な麻薬のようなものだ。
遊び続けたら際限がなく、次の刺激を求めるようになってしまう。

後に残らない人間関係に時間を使うのはもったいない。
時間は有限だからだ。その時間をキャリアアップのための勉強に使う方が有意義だと思う。

もちろんこれは僕個人の想いであり、人によって「何を大切するのか」が異なってくるのは重々承知してはいるのだけれど。

「非モテ」を卒業して「モテ」の確信が持てた人は、「ネオ非モテ」を目指してもいいのではないだろうか。
もちろん、元々女の優先順位が高くないのであれば、「モテる」を目指す必要もない。

「『モテること』を確信すること」は「女の優先順位が異常に高い状態」への処方箋なのだ。
でも、病気でない人に薬は必要ない。

あるいは、たまたまできた彼女を大切にすることが「女ジャンキー」の薬になることは多い。
そういう女の子に浮気されたらまた、女ジャンキーになるんだけど。