中学時代、学校の頂点にいたのは、中学で一番強いヤンキーであった。
学校のヒエラルキーを上がるためにはヤンキーとして成り上がるしか方法はなく、僕はいかに悪いことをして目立つかばかりを考えていた。
地獄のミサワのようにドヤるわけでもなく、田舎の公立中学では特に勉強しなくても学年上位の成績は取れたわけだが、
僕はわざと授業を欠席したり、テストを不真面目に受けることで、ヤンキーとしての格を上げようとしていた。
当然、ヤンキーの上に立って、モテるためである。
冬休みにちょっとしたブリーチ剤をかけて髪を明るくし、スクールバッグに「喧嘩上等」という文字を書いた。
あの時の僕は、僕なりに必死だったのだ。
田舎の公立中学校で成り上がるために。
中学三年になり、進路を選ぶ時がきた。
成績的には地元の進学校に入ることは可能だったが、僕はヤンキーになるためにわざと偏差値の低い高校を選ぼうとした。
強いヤンキーは皆、偏差値の低い高校に入ったからだ。
そう。
僕は何度も何度もヤンキーを目指したのだ。
そして、そのたびに母は僕を心配し、叱り、怒った。
14歳の反抗期だった。
不良行為をするたびに僕を叱る母に対し、反抗心を持っていた。
なんで俺の好きにさせてくれないんだ
俺の人生だろ
親がうるさいから、不自由だ
もっと不良をやりたい、目立ちたいのに!
何度反抗しても、母は僕を叱るのをやめなかった。
そして、どんなに反抗しても、親の言葉は心に残る。
僕は結局思い直し、地元の進学校を受験した。
あの時ヤンキーの高校に進んでいたら、今の僕はありえなかっただろう。
もちろん、地元の不良友達も今では立派な社会人だが、あの時彼らとずっと不良をやっていたら、東京で夢を持って働く自分にはなれていなかったに違いない。
自分の道は自分で決める
という言葉には甘美な響きがあるが、自分で決めようとした道がとてつもなく間違った選択である可能性に、若いうちには気付けない。
ヤンキーの頂点を目指しかけていた僕のように。
20歳を超えるとさすがに色々と心配されることはなくなった。
もちろん健康面では心配してくれているのだろうけれど、どちらかというと、僕が親を心配することの方が多い。
就職活動をする時、親にはまるで相談はしなかったのだけれど、大きな会社に行くことが決まると喜んでいた。
親はきっと安心したはずだ。
自分の人生は、これまでの自分の選択の結果である。
しかし、自分の選択に親の影響があるとするならば、おそらくは保守的な選択肢を選びがちになったことだろう。
これはおそらく、どこの親にも共通して言えることだと思う。
親はとにかく、保守的な選択を促しがちだ。
なぜなら、子供が心配だからである。
ベンチャー企業と大企業、どちらに就職しようか迷う子供がいたら、親の立場では大企業を勧めたくなるだろう。
たとえ本人の自主性に任せたいと思っていたとしてもだ。
専門学校と進学校で迷ったら進学校に行かせたくなるだろうし、
大学はなるべく偏差値の高いところに行ってほしくなるだろう。
つまり「世の中で良い」と言われる常識的な選択肢を促しがちなのが、親なのである。
「子供の進路は好きにすればいい」とはなかなか思えないから、なるべくリスク(不確実性)が少ない選択肢を選んでほしいと願う。
そしてその選択は多くの場合において、正しい。
突出した何かを得ることは難しいかもしれないが、そんな能力を持っている人間はごく一部だ。
親は子供を心から信じる一方で、我が子が突出した何か───たとえば孫正義やイチローのような───になると心から信じている人は少ないのではないだろうか。
だからこそ、安全で、リスクの少ない道を選んでほしいと願うのである。
★ ★ ★
さて、今週のジャンプである。
僕のヒーローアカデミアという漫画がある。
"個性"を持たぬ少年がヒーローを目指し、努力の末に"個性"を手に入れ、敵と闘う。
少年はヒーローを育成する学校に通い、悪と闘うための力をつけていく。
その過程で少年はいつもボロボロになるまで身体を酷使し、常時怪我をしているような日々が続いていた。
そんな中、ヒーローアカデミアである雄英高校の全寮化が検討される。
もちろん、主人公である出久はヒーローを目指しているため、寮に入りたいと気持ちは固まっている。
しかし、息子さんを寮に預けさせてほしいと頼む先生に対し、出久の母親は「嫌です」と答えた。
「週間少年ジャンプ2016年30号 僕のヒーローアカデミア No.96」より
正直に言おう。
僕はこのシーンを読んで、
「親が子供の夢を邪魔するなよ」
「親が足を引っ張ってどうするんだよ」
と思ってしまった。
しかし、ツイッターでは
「親の気持ちがわかる」
という感想もあった。
今週のヒーローアカデミア面白い 親からしたら…っていうのは至極まっとう
— やする (@yashlu) 2016年6月27日
今週のヒロアカ、あの死闘で話が広がったところからグッと親の話にもってきたのとても良かった
— はせ おやさい(GORGE.IN) (@hase0831) 2016年6月27日
ひとつ目の引用の「やする」さんのBioを見ると娘さんがいるようで、つまりは「親の気持ちがわかる人」である。
はせ おやさいさんは女性なので、母親の気持ちが理解できるのだろう。
僕はまだ親になったことがない。
「好きなことをやりたい」
という子供の立場しか経験していない身だ。
だから、「子供がやりたいことに対して口を出す親」を漫画で見て、「そこは放っておいてくれや」と思ってしまった。
でも、もし僕が親になったらどう思うだろか?
毎日ボロボロに怪我をして帰宅して、下手すると死ぬかもしれない。
そんなところに息子を置いておけるだろうか?
今は想像しかできないけれど、きっと無理だ。
そういうものなのだろう。
タイトルに戻ろう。
親は子供の進路に口を挟むべきか?
あるいは、自主性に任せるべきか。
子供の立場だったら、「自主性に任せるべきだ」と声を大にして言うだろう。
しかし、子供が明らかに間違った選択をしている場合は、親は止めずにはいられないはずだ。
伸び伸び好きなことをしてほしい気持ちもある。
何か困ったときのセーフティネットは任せろ。
でも、変な道には進むなよ。
なんて思ってるけど、これは綺麗事なんだろうか。
子供は変な道を正しい道を思いがちだ。
だから、口を挟みたくなる。人生経験が長い分だけ、自分の選択が正しいと思ってしまう。
結局、独身子無しの今の僕が確実に言えることは、
もしも将来、自分の娘に彼氏ができて、その彼氏がDQNだったなら、僕は何があっても娘を守り、DQNを始末するということだけだ。
たとえ娘に嫌われることになろうとも、ヤンキーの彼氏は絶対許さん。
刺し違える覚悟はできている。