俺の遺言を聴いてほしい

これは俺の遺言だ。

井雲くすさんの漫画版 恋愛工学『ぼくは愛を証明しようと思う』が普通に面白かった。


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藤沢数希さん原作の「ぼくは愛を証明しようと思う」が漫画化された。
「ぼく愛」と呼ばれるこの作品は「恋愛工学」という、いわゆるナンパテクニックを題材としており、ネットではたびたび議論を巻き起こしてきた。

恋愛工学がネットで強い批判に晒されていることはネット民の間では周知の事実である。

作画を担当した井雲くすさんは同人誌業界で活躍されている方のようだが、Amazonで検索する限りでは他に目立つ作品はなく、今回の「ぼく愛」が代表作となるのかもしれない。

「ぼく愛」の世界が綺麗な絵で描かれいて、原作の世界観を忠実に再現していると思う。
小説も面白かったが、漫画の方がより臨場感があって、初めて「ぼく愛」に触れる人にとってはより感情移入しやすいだろう。


さて、「ぼく愛」は主人公である渡辺が、尽くしに尽くした彼女にプレゼントを渡した直後に連絡を絶たれ、ボロクソに振られる場面から始まる。


「大事にしてめちゃくちゃ尽くした子にはひどい仕打ちを受け、適当に扱った女の子に限ってなぜか大切にされる」

という経験をしたことがある人は一定数いると思うが、「ぼく愛」はまさに、「めちゃくちゃ尽くした子にボロボロに振られる」シーンから始まる。

このストーリーを読みながら、過去の恋愛を思い出してしまう人もいるだろう。


高校1年のとき、寝ずに彼女の宿題をやって、宿題を渡した次の日に振られたこと。
社会人1年目のとき、慣れない高級レストランを予約したのにクリスマス直前に振られたこと。

ほろ苦い思い出がフラッシュバックしてきた。


彼女に浮気され、ボロクソに振られ、連絡を絶たれた渡辺が

「モテたいです。セックスがしたいです」

と言って弟子入りしたのが「永沢さん」という恋愛工学の師範代であった。
ちなみにここで「直子」が出てきたら完全にノルウェイの森になるのだが、「ぼく愛」に病弱な直子は存在しない。

恋愛工学に入門した渡辺は街コン、ストリートナンパ、クラブナンパをこなし、次々と女の連絡先を手に入れていく。


「今まで1年間で手に入れた分以上の連絡先を1日で手に入れてしまった...!」

ナンパトライアスロンをこなした翌日、渡辺はスマホを見て驚いていた。
新鮮な感動で満たされていたと言ってもいい。

永沢さんから教わった

モテ = ヒットレシオ × 試行回数

という法則を信じ、試行回数を増やしていく。

ちなみに個人的には、

経験人数 = ヒットレシオ(=モテ) × 試行回数

の方が正しいと思っているが、ストーリーとは関係のない話だ。

たくさんの女と出会い、流れ作業のようにアポイントをこなしていく。
そして経験人数を加速度的に増やしていった渡辺は、ある疑問にぶち当たる。


「愛ってなんだろう?」


渡辺は考える。



「恋愛工学を知れば知るほど

そして実際の女の行動を目の当たりにすればするほど

世間に広まっている恋愛に対する常識が

根本的に間違っていることを確信した。

恋愛ドラマやJ-POPの歌詞

ご親切な女恋愛コラムニストのアドバイス

それらの反対のことをするのが大体において正しかった。

この現実に僕は戸惑っていた。

昔の僕のほうが女にとって利用価値は高かったはずだ。

決して裏切らず、誠実にひとりの女に尽くすことしか知らなかった昔の僕を

なぜ彼女たちは愛してくれなかったのだろう?

なぜ恋愛をゲームとして考えるようになった僕を愛してくれるのだろう?

簡単なルーティーンで引っかかり

僕に抱かれる女を見るたびに、僕は随分と悩み葛藤した。

愛ってなんだろう?」


「女と恋愛するのに愛など必要ないのだ」


この場面を見たとき、不覚にも涙が出てきた。
渡辺君はここまで擦れてしまったか、と。
誰よりも愛が深かったはずの渡辺君から感情が抜け落ちた瞬間である。


経済学の用語に

「限界効用逓減の法則」

というものがある。

暑い日の喉がからからに渇いたときに飲む生ビールの最初の一口目は、世界で一番美味しいと言える。
でも、それが二杯目、三杯目とジョッキをお代りしていくと、だんだんと感動は薄れていってしまう。

このように何かから得られる喜びを「効用」といい、効用がだんだんと小さくなってくることを「限界効用逓減の法則」という。

これがビールに限らずセックスにも言えるとしたら、経験人数を求めることは修羅の道と言わざるを得ない。
抱いても抱いても満たされず、もっと大きな喜びを探すために街に繰り出す。でも満たされない。

義務的に経験人数を増やし、セックスしながら

「なんで俺、こんなことやってるんだろう?」

と考える瞬間ほど虚しいものはないだろう。

女遊びの目的が「女の獲得」だけではなく「仲間からの承認」や「金銭」に移っていくことはよくあるが、
それはもしかしたら、セックスから得られる対価が、セックスに掛けるコスト(時間)に見合わなくなってくるからなのかもしれない。

作中では、たった一人の女に尽くし、その相手のことしか考えられなくなった状態のことを「非モテコミット」と呼ぶ。

恋愛工学では「非モテコミット」は禁忌とされているが、恋愛から得られる効用が最も高くなるのが非モテコミット状態にあるときなのだから、恋愛というのは難しい。

人の感情(=効用)という曖昧なものを考えてしまうと恋愛工学は「科学」ではなくなり、恋愛工学が「科学」であろうとする限り、感情を排して機械のように経験人数を最大化することを目的としなければならない。

実際に、恋愛工学をきっかけにナンパを始め、経験人数を爆発的に増やした人を僕はたくさん知っている。

イケメンでなくても、

「とりあえずセックスする」
「経験人数を増やす」

ということに目的を絞るのであれば、恋愛工学的なアプローチが有効である可能性が高い。

一方で、恋愛工学はあくまでセックスの手段であり、経験人数を増やすための方法論であり、それによって人が幸せになれるかどうかはまた別の問題であることを認識しておく必要がある。

幸せの基準を恋愛工学に委ね、藤沢数希さんの価値観を盲目的に信じた人は時に「信者」と呼ばれるのだけれど、それも間違いなく幸せの形の一つだ。

少女漫画やジャンプに載ってる恋愛漫画に幸せを夢見るのもいい。

何を幸せとするかは人それぞれであり、それゆえに幸福は科学できないのである。

かつてジョン・スチュアート・ミルという哲学者はこう言った。

「満足した豚よりも不満足な人間である方がよく、満足した愚者であるよりは、不満足なソクラテスの方が良い」

ミルの弟子であるジョン・オッパイ・オチンチンはこうも言っている。

「満足した童貞よりも不満足なヤリチンである方がマシだが、満足したヤリチンになるためには、ある程度の不満足さを許容する必要がある」


ぼくは愛を証明しようと思う。(1) (アフタヌーンKC)

ぼくは愛を証明しようと思う。(1) (アフタヌーンKC)