俺の遺言を聴いてほしい

これは俺の遺言だ。

女にモテるためのオナ禁と、女遊びしないためのオナ禁




オナ禁が60日目に到達した。
その間、当然女の子と優勝もしていない。

オナ禁を始めたのはサウザーさんというオナ禁の権威の影響である。強い意志力を養うために始めた。


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ここ数ヶ月で確信したのは、人間の意志力を奪うのはオナニーとスマートフォンだということだ。

「何かをしよう」という強い意志を、オナニーとスマホは簡単に奪ってしまう。

だから僕たちは、一度志を抱いたなら、オナニーを封じ、スマホを遠ざけ、目標達成に向けて努力しなければならない。

ところで、オナ禁60日目になると、少し身体に変化が生じた。

30日目〜50日目あたりはムラムラするとか性的な欲求とかが落ち着いていて、なんだか仙人になったような気分だった。

50日を過ぎ、日々を過ごし、60日に到達しようとした頃、変化は訪れた。

性欲が再び顔を出してきたのだ。
クラブにでも行こうか、という気分になる。

結局、失う時間や翌日の影響を天秤にかけて、クラブに行くことは我慢してるんだけど、溢れ出るエネルギーをナンパ的なものにぶつけようかなあ、という気持ちになってきたから不思議なものだ。仙人から野人になった気分。


繰り返し書いてきたように、オナ禁はサウザーさんの影響だ。

最初は「本当に効果あるんかな?」と疑問にも思ったけど、やってよかった。

昔は全く続かなかったオンライン英会話は一応毎日続いているし、これまで中断していた勉強も再開した。目標の一つだった自作のウェブサイトもリリースした。

オナ禁が全てだとは言えないが、自分の人生にとって良い影響があったことは間違いない。

オナ禁に付随して、女遊びもやめたことも大きいだろう。
女遊びの快楽は自己投資の時間とのトレードオフなのだ。

遊びは楽しい代わりに、時間も失う。
アルコールの影響で翌日のパフォーマンスも落ちる。

家にまっすぐ帰る日と、夜遊びしてから家に帰る日では、使える時間が5時間以上は違う。

デートの時間だけではなく、移動の時間、連絡・調整の時間、アルコールで弱った身体を回復させる時間...。

女に遊びにはとにかく時間がかかるのだ。
金も時間もかかる、貴族の遊びだ。

以前はそんなことを毎週毎週やってたのだから、自分の計画を進めることなんてできるはずがない。

人間の器は有限なのだ。器に何かを入れるためには、その分のスペースを空けなければならない。

やりたいことに優先順位をつけて、有限な器に何を入れるかを決断しなければならない。

さて、サウザーさんにはよく人生相談が寄せられる。

その中には

「オナ禁によってモテるようになりますか?」

という質問がよく出る。

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「モテるためにオナ禁をする」というのだ。

僕はこれに関しては疑問を抱いている。

「オナ禁したらモテる」

というのはちょっと短絡的だろう。
オナ禁したり、筋トレしたらモテるのではない。

オナ禁とは結局、闘志の充足なのである。
闘志とは「俺はやってやるぞ」という強い意志だ。

オナ禁によって育てた強い意志を持って、現実世界で自分を高めるなり、ストリートナンパに出るなどして、行動を変えた結果がモテにつながるのだと思う。

筋トレも同じ。

「スタイルがよくなる」

という効果も大きいが、それよりも自信だろう。筋トレによって身に付いた自信が、その人を身体以上に大きくするのだ。

さて、タイトルは「モテるためのオナ禁と、女遊びしないためのオナ禁」と書いた。

僕はなぜ、オナ禁をしているのか?

闘志を自らの目標に向けるためである。

この記事を読んでくれている人は、ぜひ今日からオナ禁してほしい。
日々のオナニー後の脱力感が一切なくなるというのは、想像以上に大きいものだ。

エロ動画を探す時間も浮く。

浮いた時間を何か自分の大切なことに費やす。その小さな積み重ねがきっと、明日の自分につながってる。

ただ、この闘志を何に向けるかは人それぞれの価値観によるだろう。

サウザーさんに相談している方は

女にモテたい

セックスしたい

という想いでオナ禁している人が多い。

けっこう馬鹿にされがちだが、

モテたい

という想いは絶対に否定されるべきものではない。
僕も中学、高校、大学とそればかり考えてきた。ごく最近までもそうだった。

でも今の自分は、モテとか女遊びとかからは距離を置いて、世のため人のために何ができるかを考えたいと思っている。

マズローという笑顔が可愛いおっさんは、欲求を以下の五段階に分けた。

1)生理的欲求
2)安全の欲求
3)社会的欲求
4)尊敬・評価の欲求
5)自己実現の欲求

4つ目の「尊敬・評価の欲求」と呼んでいるのは承認欲求と呼ばれるものだ。

承認欲求というのはネットではとにかく否定されがちだが、僕は性欲と同じように大切なものだと思う。

偽りの自分をネットで作って、他人の「いいね」を求めるのはたしかに問題があるかもしれないが、実際に汗水垂らしていいもの作って「人に認められたい」と考えるのは自然な欲求だと思うのだ。

この欲求に素直になってもいいじゃないか。

ブログを書いて、

「これ面白いね」

と言われたい。
作ったものが人の役に立ったら嬉しい。褒められたらもっと嬉しい。嬉しいからもっと頑張る、というような、良いサイクルを回したい。

意志力を燃料にして、良いものを作り、人の役に立ち、自分の欲求も満たす。

このサイクルの最初にある「燃料」の元を効率よく作るのがオナ禁なのである。