承認欲求は成長のきっかけにもなる



ネットでは承認欲求が馬鹿にされることがよくある。

「あの人は承認欲求を満たすために必死だ」

とか、

「彼の自己PRが激しいのは承認欲求ゆえだ」

とか。

たしかに自己PRのモチベーションは承認欲求から来ているのかもしれないけれど、僕はこの文脈で「承認欲求」自体を否定するのは少し筋が悪いと思っている。

どちらかというと、

「他人の『私すごいでしょ』を押し付けられるのは不快」

というのが大勢の本音だろうと感じている。


承認欲求を持つこと自体は悪くないし、承認欲求をうまく活用すれば、自分を飛躍させるガソリンとなる。

「誰かに認められたい」

という感情を持つことはごく自然なことで、尊敬する先輩に認められたいから頑張る新人とか、彼氏に綺麗と言われたいから努力する女性もたくさんいるだろう。

結果として本人も成長し、周りの人にも認められて、それは人生の充実にもつながっていく。

なので、承認欲求自体は悪くないし、むしろ持っておくべき欲求だと考える。

一方で、

「俺を認めてくれ」

「褒めてくれ」

を前面に押し出してしまうと、それを不快に感じる人が出てきてしまう。

なので、アピールの仕方には注意を払う必要がある。

特にネットは不特定多数の人の目に入るし、些細なことでも褒めてくれる優しい人がたくさんいる(ディスってくる人もたくさんいるけど)

ネットで認められることに気持ちよくなってしまって、「褒めてほしい」を前面に押し出しすぎると、それを見て嫌な気分になる人も必ず出てくるので、やはりネットでのアピールはほどほどにしておく必要がありそうだ。


それに「承認欲求」というのは本来、努力して何かを達成した後にやっと満たされる性質のものなので、それをネットで軽く満たしてしまうと「頑張ろう」という気持ちが薄れてしまう。

デレク・シヴァースさんが「目標は言わずにおこう」というTED動画で

「目標を人に話してしまうと、努力するモチベーションが下がってしまう」

と強調しているように、先に欲求を満たしてしまうと努力するモチベーションが下がってしまいがちだ。

それは自分のためにならないので避けた方がいい。

www.ted.com


以下のサウザーさんのツイートも「意欲の先取り」という点では共通しているように思う。




喜びや達成感は誰だってほしい。
認められたい。目標を達成して気持ちよくなりたい。

でも、大きな達成感は長くしんどい努力の後に来るものなので、なかなか得ることができない。

そこをぐっと耐える。
いつか認められる日のために、じっと我慢する。

そうすれば承認欲求は自分を高みに上げるためのとても良いきっかけになると思うんだよな。



余談だけど、ネットでもリアルでも、

「私すごいでしょ!」

と自らアピールするより、淡々と実績を語るだけで周りが認めてしまうような、そういう人は誰からも妬まれることも嫌がられることもなく賞賛される。

社会人になると「人に認められる機会」とか「褒めてもらう機会」は極端に減るけど、自分が人に認められる位置に駆け上がる時までじっと我慢して、試行錯誤を続け、雌伏の時を過ごすのが良さそうだ。