LINE役員の田端信太郎さんのツイートで「業務時間外でも勉強するべきなのか」という記事が話題になっていたことを知った。
言われたことをやるだけの存在なら、奴隷か寄稿で充分では?>「エンジニアは業務時間外でも勉強するべきなのか」への批判意見をまとめてみた https://t.co/HeeoByk24O @yonemura2006さんから
— 田端 信太郎 (@tabbata) 2017年8月5日
「エンジニアは業務時間外でも勉強するべきなのか」
http://axia.co.jp/2017-07-18
記事の中で述べられていることは至極真っ当な意見である。
勉強しないのも自由だが、勉強しないと以下のような問題がある、と語っている。
・勉強する人との差がついてしまう
・給料が上がりにくい
・重要な仕事を任されなくなる
・業務時間(だけ)で身に付けたスキルは将来使えなくなる可能性がある
・転職が厳しくなる
自分の話をすると、僕は社会人になってからというか、大学3年生くらいからは周りの人よりもはるかに多く、勉強に時間を費やしてきた。
有料の自習室を借りて通ったこともあった。
カフェに通いつめたこともあるし、「完璧な勉強部屋」を求めて自宅を改造したり、何度も机を買い替えたりもしている。
まぁ、とにかくできる限り多くの時間を費やして、「なるべくたくさん勉強しよう」と考えてきたわけだ。
で、そんな経験を振り返って、勉強について思うところを書いてみたい。
勉強しても別に給料が上がるわけではない
元記事では
「勉強した結果の『スキル』が評価されて給料が上がります」
という話が書かれていて、それはとても真っ当な意見だし、そうあるべきだと思う。
ただ、僕の実感としては、
「勉強して身に付けたスキルは重要だが、給料に直結するとは限らない」
と感じている。
何らかの新しい知識を学び、スキルを身に付けたとしても、それを業務に反映させるには様々な(泥臭い)プロセスを経る必要がある。
それは決定権を持つ人との交渉だったり、周りを巻き込んでプロジェクトを進めるコミュ力だったり、社内環境の変化だったりするけれど、「勉強で身に付けたスキル」をすぐに業務に反映させるのはなかなか難しい、というのが率直な感想だ。
もちろん、自分の立場の変化や積み重ねた信頼によって、「勉強したことを業務に反映させやすい空気」を作ることはできる。だからといって、それが給料にすぐ反映されるかといったら、そういうわけでもない。
年功序列の企業では給料はだいたい横並びだし、全く勉強しない知識ゼロのおっさんの方がたぶん、努力している若者よりも給料は高い。
転職してアップサイドを狙うならともかく、「今働いている会社での給料を上げるため」と考えると、勉強はきっとコスパが悪い。
会社の飲み会に参加して偉い人に気に入られたり、よく勉強する部下に仕事を任せて自分の成果にする方が、
「給料を上げる」
という面ではコスパがいいはずだ。
とはいえ、コスパが悪いからといって、勉強しない理由にはならない。
学んできたことが、突然日の目を見て、プロジェクトに必要とされることだってある。
会社が潰れたときに頼れるのは、持ち運び可能なスキルだ。
未来は何が起こるかわからない。
ジョブズ風に言うと、いつ点と点がつながるかはわからないからこそ、準備をしておく必要があるのだ。
勉強するだけでは効率が悪い
「勉強」というと、本を読んで何かを学び、知識を身に付けることだろう。
僕はたしかに人よりもたくさんの時間を「勉強」に費やしてきた。
そして、費やしてきた時間を振り返って思ったのは、
勉強だけしててもダメだな
ということだ。
「勉強がダメ」なのではない。
勉強だけしててもあまり効果がなかった、という意味である。
どういうことかというと、僕は熱心に勉強するのが正義だと思っていたから、とにかくインプットばかりしていた。
新しい本を買っては読みまくり、気になった本はすぐにでも買った。
社会人になってから今まで買った本は軽く1,000冊は超えるだろうし、小さな図書館くらいなら余裕で作れるレベルだったと思う。
引っ越しのタイミングで何度か本を一気に売ったけど、売っては買い、売っては買いしているうちにまた本が貯まってきた。
で、「本を読むお勉強」なんだけど、読むだけでは全然ダメだった。
実際使わないと。
これ、何を当たり前のこと言ってるんだ、と言われるかもしれないけど、資格試験の勉強ばっかりしてる人も同じだよ。
学んで、理解して、何かアウトプットする。
アウトプットする過程で、
「なんか勉強した通りにやっても全然うまくいかんな」
とつまづいて、そこで必死こいて調べて、考えて、その過程で理解が深まる。
応用力がつく。その応用力が、実践で活きる知恵となる。
ただ勉強してわかった気になっても、何も身に付かないということだ。
何か勉強したら、それを実際に使うこと。
知識は目的ではなく手段なのだから。
僕はいつまでも勉強ばかりして、とっても効率悪いことをしていなあと改めて思う。
ちょっと勉強して、すぐに知識を使ってみて、使ってみた結果からフィードバックを得ることが大事だったのだ。
PDCAではなく、Do(やってみて)→Check(確認して)→Action(改善して)→Plan(また新しい知識を学ぶ)サイクルを回していくことが大事だった。
勉強なんて誇ることではない
たいして勉強していない人や、勉強くらいしか能がない人に限って、勉強したことを誇らしげに語りたがる傾向があるけど、それはカッコ悪いからやめた方がいいと思う。
プロ野球選手が
「一生懸命練習しました」
なんて自慢するだろうか?
僕たちが当たり前に歯を磨くように、野球選手が野球の練習をするように、サラリーマンは当たり前に勉強をするものだ。勉強というよりは、仕事のためのリサーチ(調査)と表現した方が正確な気もするけど。
とにかく、勉強すること自体に価値はない。
むしろ、勉強しなくてもアウトプットが優れていれば、特に問題はない。
勉強はアウトプットを優れたものにするための手段である。
新人の頃、僕は本当に何もできなかった。
成果の出し方が全くわからなかった。屈辱的なくらいに。
そのときの自分は、「勉強してる。努力してる」ということをアピールしたがっていたと記憶している。
だって、努力以外に、アピールポイントがないから。
大人は努力をアピールしたって仕方がない。
結果で語らねば。
過程は後になって自分で振り返って、自信に変えるためにあるものだ。
他人に見せるのは、成果だけでいい。