キングダムの王騎将軍はいつからカリスマになったのか

日経TRENDY 4月号では「キングダム式最強の仕事術」という特集が組まれていて、その一部で映画『キングダム』のプロデューサーインタービューが掲載されていました。

映画『キングダム』は超豪華キャストが勢揃いしています。

主人公の信(しん)は山崎賢人さん。
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秦の始皇帝時代の下僕の少年です。

そして信の親友の漂(ひょう)を演じるのが最強のイケメン・吉沢亮さんです。
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信も漂も下僕でしたが、彼らには夢がありました。

「中華全土に名が響き渡る天下最強の大将軍になる」

そんな夢を叶えるために、毎日毎日二人で修行してきたのです。


キングダムは春秋戦国時代の話ですが、(始皇帝になる前の)若かりし頃の秦王・嬴政(えいせい)に実権はなく、弟の反乱がきっかけで首都・咸陽を追われることになります。
主人公の親友である漂は下僕の身分だったのですが、「政と姿形がそっくり」という理由で急遽影武者として王宮に抜擢されることになりました。

そんな漂は嬴政が咸陽から逃げるときに身代わりとなって死んでしまうのですが、王宮を追われた嬴政は信とタッグを組み、山の民の力を借りて王宮を取り戻します。

原作でいうと1〜5巻です。
映画では1〜5巻より先のストーリーは描きません。

マジかよ...と思いますが、プロデューサーの松橋真三さんは

「原作の持つエネルギー、メッセージ、スケール感を曲げずに伝えること。

そのために、映画のストーリーは単行本の5巻まで、という思い切った決断をしました」

と述べています。

「信は大切な友である漂を失う。しかし、その友は自分の中にずっと生きている。その思いがあるから戦える、という部分を丁寧に描きたかった」

と。

ちなみに王騎将軍を演じるのは大沢たかおさんで、そのカリスマ性を表現するために肉体改造のトレーニングを行い、17kg増量したそうです。

松橋真三さんは2017年に『銀魂』の映画化でヒットを記録した凄腕で、その実力は疑いようがないのですが、原作の大ファンである僕からすると正直不安で仕方ありません。
キングダムの面白さは王騎のカリスマ性に支えられている部分が大きいからです。

初期のキングダムは王騎将軍のカリスマ性が描ききれていない

王騎将軍はキングダムにおける最も重要な武将として描かれています。
2019年3月時点で原作は53巻まで進んでいますが、そこまで話が進んでもまだ王騎はカリスマなのです。

王騎将軍がキングダムに初めて登場したのは単行本2巻、第11話でした。

登場時から

「怪しい雰囲気のすごそうな人」

であることには変わりないのですが、いまのキングダムで描かれているようなカリスマ性はありません。

王騎のカリスマ性はストーリーが進むにつれて育まれていったものなのです。

その証拠に、登場した頃の王騎は文官である昌文君に「食い止められる」程度のレベルでした。

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いま、キングダムで描かれている王騎であれば、昌文君ごとき0.1秒で瞬殺していたでしょう。
それに王騎軍には騰(とう)を始めとした有力な武将が多数おり、昌文君の私兵など争うまでもなく壊滅させられていたはずです。


さらに王宮での闘いで突然登場した王騎のシーンも今振り返ると違和感があります。

魏興というショボい武将が王騎を斬れる気になって相対しているのです。
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あの廉頗将軍と同等の実力を持つ王騎将軍、秦の六大将軍の王騎将軍に対し、こんな小物が喧嘩を売るなどありえません。

このあと魏興は瞬殺されるのですが、そもそも

「死んでもらう!」

などとのたまって向かっていくこと自体がおかしなことでしょう。

そもそも六大将軍時代の王騎は、近付いただけで敵国が城を明け渡すくらいの恐怖の象徴だったからです。

そんな王騎の様子はキングダム10巻で以下のように語られています。


「数多の戦場を駆け抜け
数多の敵を葬った暁───

近寄るだけで敵は平伏し城を明け渡すほどにその六人の武名は中華全土に響き渡った」


魏興ごとき小者が斬りかかっていい相手ではないのです。

そもそも王騎は漂の仇では?

1〜5巻では王騎将軍の立ち位置は微妙です。
漂と政の咸陽脱出でも、王騎軍が現れなかったら脱出は成功していたと昌文君が語っています。

実質、王騎将軍は漂の仇であるはずです。

後からは誰も触れないようにしていますが、『キングダム』の原作を何度も読み返している僕の目は誤魔化せません。
王騎が昌文君にちょっかいをかけなければ、漂は死なずに済んでいました。

昌文君が

「呂竭の争いに興味がないはずなのになぜ突然参戦してきた」

と聞くと、王騎は

「熱き血潮渦巻く戦いを求めて」

と答えています。

それに昌文君にちょっかいをかけておきながら、偽の首を差し出し、王宮を騙した動機もキングダムでは描かれていません。

「血湧き肉躍る世界を求めていた」とは描かれていますが、なぜ昌文君を襲ったのか。
なぜその後で昌文君の領土を守ったのかは原作では語られていません。

助けたかったのか、ただ暇つぶしがしたかったのか。
成蟜に命じられて襲撃したのか、自分から合戦を仕掛けたのか。

暇つぶしの割に漂をガチで殺しに来ているし、王騎軍を突破できるだけの実力が漂にあるのも不思議なものです。

どちらにしても王騎は漂の仇なことには変わりないでしょう。


【追記】

色々と考えてみたのですが、王騎の行動を矛盾なく説明するなら以下のようになるかと。

成蟜の指示か、自分の意志で参戦したのかはわからないが、「熱き血潮渦巻く戦いを求めて」昌文君と合戦を決めた
  ↓
最初はガチで倒すつもりで待ち伏せしていた(昌文君が瞬殺されない理由はよくわからないが)
  ↓
仕留めるつもりだったが昌文君の「政様は昭王を超えるぞっ」の一言で考えを改めた
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  ↓
そこからは昌文君を倒すのではなく、救う方に方向転換し、下に池がある崖から突き落とした
  ↓
昭王を超える政に興味を持って、政を試すために王宮の争いに顔を出した
  ↓
顔を出したついでに魏興を斬った

【追記ここまで】


【さらに追記】

映画『キングダム』では王騎将軍が国内の争いに顔を出した理由が納得いく形で説明されています。

関連記事:【感想】映画『キングダム』はストーリーがわかっていても絶対に面白い

王騎将軍は

「戦争は国内ではなく、中華に向けて行うもの」

と言っています。

くだらない国内の争いに時間を費やすのではなく、中華の夢を追うものだと。
そんなくだらない争いで民を消耗させないために偽りの昌文君の首を差し出すことで昌文君の領土を守り、嬴政を逃し、国を守ったのだと。

全ては王騎将軍の盤上の計算の上で行われていたものだと昌文君は述べています。


王騎がカリスマになるのは六大将軍の概念が登場してから

王騎のカリスマ性が輝くのは『キングダム』に六大将軍の概念が登場してからです。
単行本でいうと10巻からです。

そこからは「六大将軍がいかにすごかったか」がずっと強調され続けます。
10巻からずっと、

「あの王騎が」

と常に語られ続けるのです。

王騎がカリスマとして定着し、そして死んだことがきっかけで、キングダムの名作としての立ち位置が確立したように思います。
『シュート!』で久保さんが死んだときのように。

「圧倒的なカリスマの死」は物語を一気に飛躍させるきっかけになるのです。


映画のストーリーは1〜5巻なので、「カリスマとしての王騎将軍」はあまり期待できません。

王騎の行動がどう説明されるのかが気になるところです。
なぜ王騎は昌文君を襲い、そして助けたのか。

僕の読解力が足りないだけなのかもしれませんが、初期のキングダムは王騎のキャラクターの作り込みがまだ不安定だったように思います。
戦いたいのか戦いたくないのかがよくわからない。

それが主である昭王を失って行き場を失った王騎ということなのかもしれません。

映画『キングダム』の公開は2019年4月19日からです。