すごい人と競争してはいけない

プログラミングを勉強していると、本を読んでも意味がわからない箇所が見つかることがある。
そんなときはウェブで用語を検索するのだが、先日、僕が調べている用語について、ものすごく丁寧にわかりやすく解説している記事を見つけた。

「この素晴らしい記事を書いたのはどんな人だ?」

と思い立ち、記事の執筆者の情報を調べてみた。

その人のプロフィールページには、「ポートフォリオ(=実績)」としてその人が開発したスマホアプリがズラリと並び、最後に

「東京大学を卒業してベンチャーに参画し、いくつかヒットアプリを開発して今はフリーランス。
一緒に働く方に求めたい条件は云々。

次はメガベンチャーか、あるいは多少の面接対策をしてGoogleなども考えています」

みたいなことが書かれていて、こういう人には絶対に敵わないなと思った。

今から僕が突然、

「プログラミング王に、おれはなる!

スーパープログラマーになって有名人だ!」

などと海に向かって叫んでも、既にすごくなっている人には追いつけない。
すごい人はさらにすごくなっていくのだ。

こういう人と競争してもいたずらに疲弊するばかりで、得られるものは少ないだろう。

なんてことを考えながら、最近読んでいる『ピーター・ティール 世界を手にした「反逆の起業家」の野望』を思い出した。

oreno-yuigon.hatenablog.com

ティールはスタートアップは競争を避けよと主張している。
そして小さな範囲で独占を目指すよう指南する。

「競争を避けることの大切さ」はスタートアップに限らず、個人の人生戦略にも当てはまることだろう。

では、すごい人との競争を避けるために我々はどんな手段が取れるだろうか?
いくつか戦略を考えてみた。

専門分野をずらす

シンプルなのは、すごい人と専門をずらす戦略だ。
すごい人は人気の分野に集まる。

身近な例をいくつか考えてみよう。
たとえば中学校で部活を選ぶとき、運動能力がさほど高くもないのにサッカー部やバスケ部、野球部に入ってしまうとレギュラーを取るのは難しい。
しかし卓球部やテニス部を選べば、学校で上位の運動能力がなくてもレギュラーを取れる確率は上がる。

強い人と競わなければ、甘い果実を掴むチャンスは増えるのだ。

就職活動も投資銀行や総合商社を狙えば、一流大学の一流の学生と競い合わなければならない。
しかし少し視点をずらし、「上場していないけど地味に給料が高い会社」とか「地方の小さなホワイト企業」みたいな会社を探せば、大学の就職王にはなれなくても、人生は充実しそうだ。

強いやつは人気のあるところに集まってくる。

「人の行く裏に道あり花の山」という格言があるように、人が群がって果実を奪い合う場所よりも、人が集まらない地味な場所に落ちている甘い木の実を探すのが策士の生き方だろう。

ただし、このような「ずらし」戦略には一つ問題がある。

モテないことだ。

中学や高校ではやはり、バスケ部やサッカー部のエースの方がモテるし、卓球部は地味なイメージが強い。
偏見に聞こえるかもしれないが、多くの中学高校でも同じだろう。

モテるような奴がバスケをやるのか、バスケをやるからモテるのか、どちらかというと前者だろうが、とにかく卓球を極めても中学高校ではあまりモテない。

就職に関しても、誰も知らない会社に勤めていたら、銀座コリドー街で幅をきかせるのは難しいだろう。
人気があって、競争が激しいところで勝つからこそ「強いオス感」が出てモテるのだ。

かといって、別に競争しなくてもモテる手段がないわけではないので、やはり賢く競争を避けるのが吉であろう。

oreno-yuigon.hatenablog.com

専門分野を狭める

専門を狭めるのも良い手段かもしれない。

「プログラミングがすごく上手な人」みたいなざっくりすごい人を目指すと何でもかんでも勉強しなければならない。
そんなことをしても頭の良い人や小さい頃からプログラミングしていた人には敵わない。

思いっきり自分の専門分野を狭めてみるのはどうか。

  • セキュリティのスペシャリスト
  • セキュリティの中でも海外のセキュリティ事情に詳しい人
  • セキュリティの中でもダークウェブに詳しい人
  • セキュリティの中でもPHPの脆弱性について日本一詳しい人

みたいに、自分の専門分野を狭く取る。
その専門分野に需要がある限り、その人は食っていくことができるはずだ。


余談ながら、NBAにジェームス・ハーデンという屈指のオフェンス力を持つプレイヤーがいる。
彼のアビリティはオフェンスに特化しすぎていて、NBA史上に名を残すほどディフェンスをサボるプレイヤーとも言われている。

それでもオフェンス力が高すぎてチームに必要不可欠な存在となっている。

ハーデンの場合はただサボっているだけかもしれないが、高い専門性があればディフェンス力の低さは目をつぶってもらえるのかもしれない。

専門を組み合わせる

「10000時間訓練を続けると、その分野の一流になれる」みたいなことは昔から言われている。

10000時間もの時間を投入するには、少なくともその分野が好きでなければならず、ある程度の適性も必要だろうから、ただ単に10000時間費やせば誰でも一流になれるかどうかはよくわからない。

個人的には一流のプレイヤーが結果として10000時間以上投入していただけであって、10000時間投入すれば誰でも一流になれるわけではないと考えている。20年タクシードライバーを続けてもカーナビも使えず、道も覚えてないボンクラも大量にいるのだ。

それはさておき、10000時間の法則と同じくらいよく言われているのは、

「専門を組み合わせてオリジナルの人間になれ」

というものだ。

10000時間で何かの専門家になり、それを3つ組み合わせたら唯一無二の人になる、みたいな論調で、一日10時間を3年間毎日続けて一つの専門を極める。

それを3回繰り返せば10年経つ頃には3つの専門を究めることができ、オリジナル人材になれるらしい。
なかなか大変そうだが、相性の良い能力を複数身に付けて競争を避けるのは古くから伝わる定石みたいなものだろう。

幕末に活躍した村田蔵六なども始まりは町医者であった。
それからオランダ語の専門を身に付け、そのオランダ語能力を生かしつつ蘭書で兵学を学び、倒幕の立役者となった。

蔵六の場合は彼の運命がその専門性を導いたようにも見えるが、我々は自分で考えて、専門を選び組み合わせていかなければなるまい。

需要があっても人が嫌がることをやる

いつだったかの橘玲先生の著作に、金持ちになりたかったら高学歴の優秀層がやらないような仕事を狙え、と語っていた。
その代表例が風俗産業だという。世間体が悪く、需要があるにも関わらず、優秀層が参入しない。
そういう分野で戦えば金持ちになれるのだとか。

風俗産業は一つの例なのだろうが、今だと「COBOL」なども狙い目だろう。
世の中には「COBOL」という化石のようなプログラミング言語で書かれたシステムが大量に残っている。

古代文字のようなもので、いずれセンター試験では過去の言語として古文・漢文・COBOLのどれかを選択する日が来るかもしれない。

とにかくレガシーの象徴のようなプログラミング言語で、当然未来などないのだが、過去の膨大な資産の中に眠るCOBOLをメンテナンスしないわけにもいかず、需要は根強く残っている。

そして今では平安時代の言語を話せる人がほぼいないように、COBOLを知る人もどんどん引退していなくなっているので、人材供給が著しく絞られていっている分野でもある。

需要はある。でも供給がない。
そういう道はおそらく「美味しい」のだろう。

僕はやりたくないし、みんなやりたくない。
でもそういう道を躊躇なく選べる人がやはり勝つのだ。

同じことをやり続ける

最後は「生き残ったほうが勝ち」というしょうもない戦略である。
同じことをやり続けるのが苦手な人はとても多い。

たとえばブログなどでも、体感では90%以上の人が1年以内にやめてしまっている。
5年同じことを続けられる人は1%にも満たず、10年続けるとなると皆無だろう。

すごい人は若い世代から次から次へと出てくるので「ただ続ければ勝てる」というものでもないが、積み上げが効き、継続が力になるような分野では「とにかく続ける」が有効な戦略になる可能性はある。

「続けることの大切さ」はウェブに特に当てはまる。
ブログもツイッターも、続けられなかったら負けであり、続ける限りどこかで光が当たることもある。

特に、大量のアウトプットを毎日、ずっと続けられる人は稀なので、ブログに関しては毎日3000文字程度の「誰かにとって意味のあるアウトプット」を継続して発信していれば、1年経つ頃にはある程度のブロガーになれるように思う。

僕も今日から始めたい。

ピーター・ティール 世界を手にした「反逆の起業家」の野望

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