「ああ、ヤバイな。そろそろ来るな」と感じた3日後、案の定暗いトーンの電話が来る。
「・・・私達、もうダメだと思うの」
胸の中をえぐられるような一言。
その瞬間、ドクンと心臓が鳴り、目の前が暗くなるような気持ちになる。
あぁ、振られてしまったか。
振られた直後は、なんとか頑張って振り向いてもらおうとする。
プレゼントを買って元に戻ってくれるなら安いもんだ。
グッチのキーケースを買ってあげよう。3万円。
「渡したいものがあるんだ」
「何?」
プレゼントを見た彼女は驚く。
「もらうことなんてできないよ。悪いよ」
と言いつつ、手が伸びる。
「いいんだ、もらってくれるだけで」
プレゼントを渡して、家に帰る。
何かを渡したからといって、事態が好転することはない。
元に戻ることはできない。
彼女に振られた腹いせに、合コンに行ってみる。
なんだか全然合コンに集中できない。
合コン中に電話が鳴る。
彼女(元カノ)だ!
合コンなどお構いなしに店の外に出る。
「電話代かかっちゃうでしょ?かけ直すから待ってて」
電話をかけ直して、延々と彼女の仕事の愚痴を聞く。
合コンなんてそっちのけで。
1時間席を外してみんなに迷惑をかけた。
合コンで自分に興味を持ってくれた子がいた。
その子と身体の関係になると、なぜか過呼吸のようになった。
ああ、胸が痛い。俺が触れ合いたいのはこの子じゃないのに...!
苦しい苦しい苦しい。
そんな地獄のような苦しみが3ヶ月続いた。
3ヶ月。
熱湯の中に裸で突っ込まれたような日々だった。
息が苦しく、胸が痛い。
毎日毎日頭に浮かぶのは彼女とのベッドの中の思い出。
右手を彼女に見立てて掃き溜めのような日々を送る。
その間、彼女は幸せそうに仕事をして、他の男と遊び、何一つ変わらない日々を送っていたはずだ。
小学生の時、担任の先生がこんなことを言っていた。
「いじめっていうは、『された方』じゃなくって『した方』がずっと記憶に残って苦しむことになるんだ」
これは、明らかに嘘だ。
いじめた方はいじめたことなど簡単に忘れ、いじめられた記憶はずっと残る。
恋愛も同じだ。
振った方は、相手のことなどなんとも思っていない。
振られた方はずっと、手が届かない幻影に延々と苦しむことになる。
* * *
「恋愛の傷は仕事に集中することで乗り越えろ」なんて軽々しく言う奴は、本気の失恋を経験したことがない奴だと思う。
恋愛の傷は仕事の集中力を奪い、仕事を頑張ろうとする気概を奪いかねないものだ。
長いこと生きて、いろんな恋愛をしてたどり着いた結論は、
大好きな子に振られた傷は、新しい恋でしか癒せない
ということだ。
そして、もう一つ気付いたことがある。
別れた女の子が唯一無二の100%の女の子であることはありえない
ということだ。
振られた直後は目の前が暗くなって、「この子以上の女の子には出会えない」という気分になるかもしれない。
でも、そんなことは絶対にない。
前を向いて外に出会いを求めていれば、必ず、新しい素敵な子と出会える。
小説や漫画には、何年も何年も昔の恋人を想い続ける奴が出てきたりする。
「冷静と情熱のあいだ」とか、「僕等がいた」とか。
でも、現実にそんな奴は存在しない。
記憶は風化するし、何年も恋愛感情を抱き続けることはできない。
もちろん男は「別フォルダに保存」と言われるように、元カノの思い出は別フォルダに保存される。
しかし、新しい出会いによって生まれる新しい刺激は彼女との思い出を薄めてゆき、やがて苦しい感情は消える。
後になって自分がいい男になったところで、自分をこっぴどく振った女が自分のもとに返ってくる可能性は低い。
しかし、自分が成長して、新しい出会いに不自由しなくなると、むしろ昔の彼女のことなどなんとも思わなくなるものだ。
恋愛とは、思い込みである。
一種の催眠であるとも言える。
「この子しかいない」という思い込みが恋心の正体だ。
「この子しかいない」と思い込んでいるところに、
「もう会えない」
と言われる。
すると、意識の中で矛盾が生じる。
「この子しかいない」のに「この子はもういない」
それが、恋の苦しみの原因となる。
では、その苦しみを解くにはどうしたらいいか?
「この子以外に、もっと素敵な子がいた」
と心から思い込むことである。
そのためにはやっぱり、新しい恋をするしかない。
新しい恋は、過去の恋を相対化する。
「この子しかいない」と絶対視していた彼女を、客観的に評価することができる。
そういえば、あの子にめっちゃ恋してたけど、すげーワガママな女だったよな。
あの子のことめっちゃ好きだったけど、実際は全然優しくない女だったよな。
みたいに。
新しい恋愛が始まった時、過去の恋の傷は治るだろう。
そう簡単に新しい恋ができないって?
そりゃそうだ。俺だって恋の仕方を教えてほしいくらいだ。
でも一つ、覚えておいてほしいのは、振られた彼女にこの先もずっと囚われ続ける可能性はゼロだということだ。
自分を捨てた女の子が、自分にとっての100%である可能性はゼロだし、いつか「それ以上」は必ず現れる。
そして、周りに女の子がたくさんいるときよりも、振られて傷ついた後のほうが、新しい恋はみつかりやすい。
人は自分に足りないものを求めるようにできているからだ。
いつかきっと「あんなこともあったな」と思えるし、いつかこの恋を客観的に見れる時がくる。
もちろん、特別な思い出には違いないけれど、それはもう恋愛感情とは違うはずだ。
その恋を客観視できたら、それはもう恋ではない。
「恋すること」は、「客観性の排除」に他ならない。
それゆえ、恋は盲目と呼ばれる。
逆に言うと、本当に恋してしまった時は、恋愛を客観視するモテテクのようなものは使えないし、
テクニックを使っている時点で、それはもはや厳密な意味で恋ではない。
その時100%恋した相手に恋愛テクニックを使えないのは恥ではない。
むしろ真っ当で正しい反応だと俺は思う。
100%の全力少年にさせてくれた昔の彼女ことに感謝して。
さぁ。
次を探そう。
ちなみに邪道だけど、振られたときに特効薬的に気を紛らわせる方法もある。
適当に、10人くらい同時に口説いてみるといい。
何が何だかわからなくなって、恋とかどうでもよくなる。
が、虚しくなって、大事な感情も一緒に失ってしまいかねないので、あまりオススメしない。
* * *
この記事を書きながら、ずっと槇原敬之の「もう恋なんてしない」という曲を聞いていた。
一人の相手にのめり込むことは恥ではない。
どうでもいい女の子を100人抱くよりも、たった一人と泣きたくなるような恋をした方がずっといい。
後になって思い出に残るのは、本気の恋だ。
続きのストーリーは
「君の知らない誰かと 見つけてみせるから」
と、前向いて行けばいい。
「見つけてみせる」というより、「必然的に見つかる」から、安心してほしい。