名著の条件が人の感情を揺さぶることならば、この本は間違いなく名著だろう。
愛する彼女がいて、日々彼女の愛に感謝して生きている男の人がこの本を読めば、藤沢さんの主張はとても受け入れがたく、腹立たしく感じるものに違いない。
一方で、愛など既に冷めきって、離婚したくて仕方がない憎らしい妻を持つ男がこの本を読めば、
「藤沢さん!よく言ってくれた!」
と立ち上がり拍手を送ることだろう。
この本では、愛とか思いやりとか感謝とか、長年一緒にいた妻への情などの記述は一切ない。
感情を排除して
「その結婚は、金銭的に損するか、得するか」
についてのみフォーカスをあて、結婚の不都合な真実について、多数の事例を挙げて説明している。
このように情を取り除き、物事を損得で説明しようとする姿勢は恋愛工学のアプローチに似ている。
恋愛工学にとっては、女は「できるかできないか」が全てであり、根底にあるのはとにかく自分が得することだ。
そしてこの本では、結婚は金銭的な損得が全てであり、そこに愛や感謝などの感情は存在しない。
藤沢さんの定義によると、
結婚とは、毎月婚姻費用という利息がもらえて、離婚成立時には財産の半分が手に入る債券
なのである。
そして、愛が冷めきった夫婦にとっては、結婚は単に金銭の授受のために存在しているものに他ならず、藤沢さんの定義はあながち間違いではない。
愛とか道徳とか、一緒に過ごしてきた妻への感謝のような、自分の中で育んできた価値観を一旦取り除き、
「結婚することによって、どのような金銭のやり取りが発生する可能性があるのか」
を知りたいならば、この本には他では手に入れられない有用な情報が散りばめられている。
というのも、結婚というものを損得で捉え、金融商品として説明することは、実名で活動している弁護士には不可能だからだ。
レピュテーションリスクが高すぎるからである。
その点、既に恋愛工学でブイブイ言わせている藤沢さんのレピュテーション(評判)など、あってないようなものだ。
事実だけに目を向けて世の中を語るには「藤沢数希」はうってつけなのだ。
この本はひどい結婚を経験して、ひどい離婚騒動に巻き込まれ、財産をほとんど持って行かれた男の壮大な愚痴であるとも言えるだろう。本書のあまりにもリアリティ溢れる記述はもしかしたて、藤沢数希さんの実体験なのではないかと睨んでいる。
結婚とは債券である、と藤沢さんは言う。
結婚債券の価値は、
結婚債券の価値=離婚成立までに婚姻費用の総額+離婚時の財産分与額+慰謝料
となる。
要は、離婚する時にもらえるお金の額が上記の式の通りなのである。
そして、僕の認識では離婚の際は「浮気の慰謝料」に支払う額がとても大きいと思っていた。
同じような認識の人はたくさんいるだろう。
でも、実際には慰謝料は100万円かそこらの話で、最もヤバいのは離婚調停中にむしられる「婚姻費用」なのだという。
婚姻費用とは、
「配偶者には自分と同程度の生活をさせなければいけない」
という根拠に基づき、離婚していない限り、基礎収入(額面の収入-必要経費・税金)が多いほうが少ない方にお金を払い続ける義務のことである。
夫の基礎収入が1000万で、妻が専業主婦で基礎収入0の場合、夫は年に500万の婚姻費用を払う義務がある。
たとえ妻が浮気をして出ていってしまい、どこか知らないところで愛人と暮らしていたとしても、正式に離婚が認められるまではひたすら婚姻費用を支払うことになる。
注意したいのは、婚姻費用は男から女に払うわけではなく、「基礎収入の多い方から少ない方へ払う」ということだ。
「浮気をした方が悪い」のは事実で、慰謝料は払わなければならない。
しかし、婚姻費用の支払いは慰謝料とは別の話となる。
同等の生活を保証するために、収入が多い方から少ない方に支払わなければならないのだ。
年収1000万で、優しく妻想いだが不細工な夫がいたとする。
専業主婦の妻は夫にはもはや全く魅力を感じることがなく、日々
「夫とは“夜の優勝”はできない」
と嘆いている。
ある日、妻は別の男と恋に落ちて、夜を共にしてしまった。
その事実に気付いた夫は、妻に離婚を申し出る。
世間的には完全に妻が悪い。
しかし、そこで妻が
「離婚なんてしたくない」
と言い始めると、男にとっての地獄が始まる。
ここでの「離婚したくない」というのは、「私はまだ夫を愛している」という意味ではなく、「愛など感じない夫から、できるだけ金を搾り取ってやろう」というものなのである。
そうなると、離婚するための裁判が始まる。
裁判中はまだ婚姻関係があるため、浮気した妻が家を出て別の男と暮らしていたとしても、婚姻費用を支払い続ける必要がある。
その費用は、年収1000万の男の場合、
となる。
浮気して家を出ていった妻に、離婚裁判が行われている間ずっと、毎月14.8万円を払い続けることになるのだ。
繰り返しになるが、婚姻費用は基礎収入の多い方から少ない方に支払うことになるため、ヒモ男と結婚したバリキャリ女性の場合、上の例と立場が逆になる。男女はあくまで平等だ。
浮気して出ていったヒモ男のために、ひたすら婚姻費用を支払い続ける必要があるということだ。
そして離婚が成立したときには、「財産分与」といって、結婚している期間中に築き上げた財産を半分に分けることになる。
1円も稼がず、ヒモ生活をしていた男にも、貯金の半分を持っていかれるということだ。
週刊誌などで騒がれる「離婚とカネ」の問題も、結局はこのような金銭のやり取りの話だったのである。
愛が冷めた結婚は、最終的に金に行き着くということなのだろうか。
ただし、実際には、離婚の9割は協議離婚ということも覚えておきたい。
協議離婚というのは、二人で話し合って「では、離婚しましょうね」と離婚届を役所に届けて離婚を成立させるというもの。
それ以外の10%が、調停離婚や裁判離婚となり、泥沼の闘いになるというわけだ。
そんな泥沼の金銭のやり取りの話が、「損する結婚 儲かる離婚」の中ではこれでもかというくらい語られる。
そこには愛など存在せず、仁義なき金の奪い合いがあるだけだった。
結婚は愛か金か
この本を読みながら、僕は終始複雑な気持ちになっていた。
結婚とはなんだろうか?
損するか、得するかの金融商品として見るものなのだろうか?
藤沢さんの価値観では
- 女性は金持ちの男と結婚するべき
- 金持ちと結婚したら既得権が守られて、利益を独り占めできる
- 金持ちと結婚できない女性は未婚を貫き、生涯子供を産まないという選択に追い込まれる
とされている。
(161ページ「第5章 時代遅れの法律と社会規範」より)
このように結婚を「金融商品」と割り切って考えることは、僕にはちょっと難しい。
僕は結婚したことはないけれど、今まで付き合ってきた女の子はみんな本当にいい子ばかりだった。
いつも優しくしてくれたし、尽くしてくれたし、僕の幸せを一緒に喜んでくれた。
別れの原因は基本的に僕の悪さにある場合がほとんどだったし、
将来結婚して、同じように自分の悪さが原因で別れてしまった時は、
「今までありがとう。幸せに暮らしてね」
と言って、貯金の半分と婚姻費用を支払うことになっても全然構わない。
これは本心だ。
そういう意味で、僕は今まで出会った女性に恵まれてきた。
本当に恵まれてきた。
マウンティングでもなんでもなく、優しくていい子ばかりだった。
それはたぶん、長く一緒にいる人は性格で選んでいるからだと思う。
一方で、世の中にはワガママで浮気性で自分勝手で、躊躇無く夫をATM呼ばわりするような、ひどい嫁がいることも知っている。
子供がいるから離婚できないと言い、毎週末夜遊びに出かけ、嫁の顔など見たくないという男の人がいることも知っている。
そして、今の時点では想像できないけれど、もしかしたら自分がそうなる可能性だってあるかもしれない。
この本は「いつか来るかもしれない未来」について、あけすけに語った本である。
離婚するときのお金の話なんて、誰も結婚前には考えたくもないし、想像もしたくない。
それでも、100年先も愛を誓うよと歌った嵐の松本潤でさえ浮気したのだから、未来は何があるかわからない。
この本は、読んで結婚の是非について考えるのではなく、
「結婚の金融商品としての側面を理解した上で、それでも一緒にいたい人を選ぶ」
という使い方もできるだろう。
藤沢さんもきっと、結婚自体を否定しているわけではないはずだ。
- 作者: 藤沢数希
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2017/02/16
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