社畜、やりがい、楽しさ、そして貢献する喜びについて考える。



相反する二つの感情の狭間で揺れている。

  • 朝から夜まで働いて、チームに貢献するのが楽しい
  • できるだけ労働時間を短くし、自分の時間を確保して、将来のための布石を打つ時間を確保するべきなのではないか

就活が終わってから社会人になるまでの間、密かにつけていた手帳に坂本龍馬の名言を記した。

「男なら、たとえ溝の中でも前のめりで死ね」

仕事に生きて、何事かを成すために自分の全てを賭けよう。
もう女遊びでフラフラするのはやめよう。

「世に生を得るは事を為すにあり」

何度も何度も手帳に書いて、何度も読み直した結果、それは僕の人生の哲学のようなものに昇華され、そうやって生きるのが正しいと思い込むようになった。

自分の人生の基本ベクトルはここで定まったと言ってもいい。
だから、サボってしまった日の後は

「俺は何をやっているんだ...」

「なんて情けないんだ...」

と、自分を恥じて、自分に腹が立ち、気分が悪くなった。


一方で、仕事をしてしばらく経つと、自分がキャリアとして目指す方向と、会社が求める業務が一致していないのではないかと思うことも増えた。

最初はがむしゃらになんでも吸収するつもりで走ってきたが、慣れてくると少し高い位置から俯瞰する余裕が出てくるものだ。

それが


「このまま頑張った先に、俺の未来はあるのだろうか?」


と疑問を抱き始めるきっかけにもなった。



* * *


二月は働き方を模索していた。

できるだけ残業しないように早めに仕事を終わらせて、できるだけ早く帰って将来に向けた勉強をしてみたのが前半。

残業なんて構わずとにかくやれることは全部やって、自分のタスクの範囲を超えてチームのために役に立つことをやりまくろうと心がけたのが後半。

やっぱり残業が増えるとプライベートの時間は減って、頭も身体も疲れ切って、家に帰ってできることは極端に少なくなる。
それでも、湧き上がる充実感のようなものは、仕事を遅くまで頑張った日の方が大きかった。

できるだけ早く帰ったからといって、別にサボっていたわけではない。
また、早く帰ったからと言って遊びに行ったわけでもない。

「何かをやっていた」

という点では共通しているのに、会社で必死に頑張ったときの方が充実した気がするのは、やっぱり


「誰かに貢献する」


ことは気持ちが良いということだ。

残業したからといって給料が増えるわけでもない。
出世に興味があるわけでもない。
何かを求めているわけでもないし、何かを得られるわけでもない。

それでも「いい仕事した」と思って電車に乗る日々は、なんと幸せなのだろう。

きっとこれは、かつて遠い昔に定めた「自分のベクトル」と「自分がやっていること」が一致しているからなのだろうな、と思った。

もし大学生の頃の僕が、

「社会人になったら全力で仕事をサボり、全力で女を口説くことを人生の主要命題とするのだ」

と誓っていたとしたら、たぶん遅くまで仕事をしている自分が苦しくなっていただろう。

「こうありたい姿」と「自分の姿」が乖離してしまうからだ。

幸福感を得るために大切なのは、自分の奥底に根付いた価値観と自分の行動の乖離をできるだけ小さくしていくことだ。
そしてできれば、「自分がなりたい将来像」と「仕事を続けることによって進める方向」が一致しているのがよい。


労働時間の長さや給料の多寡は大事だが、幸福感はそれ以外から来る部分も多いと思う。
それはその人の心に根付いた哲学が何を求めているのかによって異なってくる。

にも関わらず、「給料が安い仕事は不幸だ」とか「ハイスペは最高」とか、決まりきった価値観で幸せが語られるのは少しおかしいだろう。

たしかに、お金があると不幸な出来事を減らすことはできる。
一方で、全ての人がお金からやりがいや幸福感を得られるわけではない。

お金を最大の目的としない人にとって、お金はマイナス方向への不幸を限定させるための役割が主で、それ自体が幸せの源泉にはならないのではないだろうか。

もちろんこれは、お金を最大のモチベーションとすることが悪いと言っているわけではない。
人それぞれ、価値観は異なっているという意味である。



* * *

できる限りの力を出し切って働いて、真っ白に燃え尽きるように寝るような一日は幸せだ。
それが自分の哲学に合致しているからだ。

しかし、そこで労働の喜びを感じながらも、「自分が理想に描く将来像」と「仕事の先にたどり着くであろう未来」の差分も冷静に計算しなければならない。

現在進んでいるベクトルと理想の将来像に乖離が存在するならば、別の道を模索するべきだし、一日の時間の使い方を工夫しなければならない。

最も理想的なのは、自分がやりたい仕事をやって、やりたい働き方を実践して、満足して眠ることだろう。
だがそんな生き方を"一社目"で実現するのは奇跡に近い。

独立すれば理想の生き方ができるのか?
転職すれば理想の生き方ができるのか?

答えは「やってみなければわからないから、やって試してみるしかない」である。


* * *


世の中の多くの人は、理想を心の中に描きながら、現実の問題との葛藤の中で生きていると思う。
僕もそうだ。

なんだかんだお金は必要だし、独立するのはとても怖い。
自由を求めていても、何もかも失う覚悟がない。

一歩踏み出す勇気をもたらしてくれるのはなんだろうか?
それは意志や覚悟でなんとかなるものなのだろうか?


前に「ORIGINALS 誰もが『人と違うこと』ができる時代」で読んだんだけど、成功する人は向こう見ずに無謀にリスクに飛び込んでいく人ではないらしい。

リスク万歳、不確実な世界に飛び込んでいくぜ!とネジが外れているわけではなく、慎重に成功の可能性を見極め、失敗した後のセーフティネットを確保した上で挑戦する人の方が多いそうだ。

oreno-yuigon.hatenablog.com


これなら勇気がない自分でもできそうだ。
たとえば2年間仕事をしなくても生きていけるだけの貯金を貯めておくだとか、働きながらもう一つのセカンドビジネスを作っていくだとか、そういう慎重なやり方が、臆病な自分には合っているように思う。

平日は全力で働いて労働の喜びを感じつつ、土日は新たな挑戦に向けて布石を打っていく、というようなやり方を試していきたい。