会社員が仕事を楽しむためのたった一つのコツ



社会人になってから今まで、そこそこ真面目に働いてきた。

ここで一度、自分の会社員生活の中で思ってきたことを振り返ってみたい。

お金はいらない

「僕にとって大事なのは給料ではありません。

お金をもらって育てていただいているこの現状を一刻も早く脱出して、チームに貢献したいです」


社会人1年目の下期の目標を定めたときに、課長に伝えた。


大事なのは給料ではなく、貢献だと。


あの頃の僕は本気でそう信じていて、一日でも早く会社の力になることに人生の全てを賭けていた。


家に帰ってからは毎日毎日勉強し、休日は図書館に向かい、早くお世話になった先輩に恩を返したいと思っていた。


そればかりを考えていたので、入社当初から人付き合いの悪い人間扱いされたのは悲しい。

結局、十分に貢献したという実感もないままに自分は異動となり、恩返しできなかったことが気がかりだった。


キラキラと景色が輝いて見えた、新人の頃の話である。


会社に尽くすことが自分の幸せだと思ってた。


何もできない自分を育ててくれた


二年目は特に感謝していた。


大学で何を学んできたのかと自分で呆れるくらい、僕は何もできない社会人だった。

会社が人一人を雇用するには膨大なコストがかかる。


大した実力もない自分をゼロから育ててくれた会社には本当に感謝している。今でもだ。

正直、使い物になるかわからない新人を雇用するのは博打だ。


どんなに面接をしても、戦力になるかどうかを確実に見抜くのは難しい。

そして、戦力になっても辞めてしまう人もいる。


そんな博打を打って、自分に投資してくれた会社には大きな恩がある。


少しは仕事がわかってきたタイミングで、会社に恩返しがしたいと思った。

それが二年目の話である。


残業もいとわず働き、仕事があれば率先して手を上げた。


仕事の報酬は仕事だと、本気で考えていた。

やることやれば、自由は増える


三年目の話である。


会社員は基本的には不自由と言われているが、自分の実力がつけば自由にできることも増えていく。

もちろん、「会社員」という枠の中での話だ。

自分の意見が通りやすくなり、自分の想いがチームに伝播させやすくなる。


これはひとえに、「周りからの信用」に依存するものだ。

「コイツなら任せて大丈夫だろう」と信用されたら、会社員生活の自由度はものすごく増える。


一方で、「コイツ本当に大丈夫かな」と心配された状態だと、自由は全く増えず、気まずいまま会社生活を送ることになる。


まずは信頼されることだ。

そのためには社内で実績を作ることだ。


実績が信頼を作る。

そして信頼があれば、ある程度は会社員の範囲内で自由が効くようになる。


少し自由が増えて、辛かった会社の仕事も、少し面白いなと思えるようになった。

働くのが気持ちよかった。

夢を語らない


会社に入って驚いたことがある。


誰も夢を語らないのである。


学生の頃、社会に出ることに対して大きな志を抱いていた僕は、会社員はもっと夢を語り合うものだと思っていた。


「世の中を変えたい」


「もっと世界を良くしたい」


「何かを残したい」


そんな想いを熱く語り合うものだと想像していた。


しかし、実際に会社に入ってみると、皆どこか淡々と仕事を進めていて、確実にそして着実に仕事を進めてはいるけれど、熱い想いのようなものは感じ取れなかった。

飲みの場では社内の話題が多く、世の中をどうしたいかを語る人は今まで見たことがない。


4年目あたりからは、感情を抑えることが多くなった。

言いたいことをなんでも言うのが正しいわけではなく、我慢も大事だと。


我慢しているうちに、自分の本当の感情がよくわからなくなってきた。



俺は腹の底から笑ってるの?

それとも笑顔を作ってるの?

本当は何を思ってるの?



自分の本当の気持ちがわからなくなって、いつも心から笑ってない気がした。


別に会社が嫌いなわけではない。

みんな良い人ばかりで、居心地も良い。


ただ、感情を出さずに正確に仕事をこなすように努める自分は、機械のようだった。


学生の頃想像していたような「血湧き肉躍るような毎日」とは違った。

けれど、それで支障をきたすことはなかった。


みんな会社の中で語らないだけで、胸に秘める志は持っているのだろうか?


学生のときはもっと高らかに夢を語っていたはずなのに、社会人になったら誰も夢を語らない。

自分が勤めている会社に限らず、みんなそうだ。


ボーナスの話と残業の話、組織の噂が多くて、それはサラリーマンとしては全然間違ってはいないんだけど、どこか寂しい気持ちは拭えずにいる。



夢を持たなければ会社員生活は快適


会社の偉い人は


「若手のチャレンジを応援したい」


と本気で考えているように見える。

懐は深く、たくさんお金も使ってくれる。


その想いはなかなか現場に伝わらない。

現場の社員は規律と建前と決まりごとでがんじがらめにされているからだ。


会社という組織を現場レベルで見ると、夢を追いかけるようにはできていない。


考えてみると当然のことだ。


みんなが夢を追いかけたら会社は絶対回らない。


志よりも目の前の業務。


これが会社員の本音ではないだろうか。


淡々と、目の前のタスクをこなしていく。

そうじゃないと、プロジェクトは破綻してしまう。


少しずつ作業に慣れていき、新鮮さがなくなり、倦怠期に入ったカップルみたいにトキメキがなくなってきた。

これが「会社に慣れる」ということなのだろう。


人はいつ社畜になると思う?


会社に入ったとき...?

違う!


理不尽な上司に屈したとき...?


違う!!



夢を...失ったときさ。


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そういう意味で、会社員のほとんどは徐々に徐々に社畜となっていく。


「社畜」と言うととても響きが悪い言葉なので、「角が取れていく」と表現した方が適切かもしれない。


会社員には夢を追いかけるインセンティブが少ない。


社内で夢を実現させたとしてもそれは当然、会社の成果である。


規模の大きな会社だと、個人の名前が前面に出るようなことも少ないだろう。


給料が上がるかもしれないが、年功序列が基本となる組織では上げ幅はわずかなものだ。


成果を上げた若手よりもあまり仕事のしないおじさん社員の方が給料が高い、ということはよくある。


・頑張れば仕事が増えて、給料はあまり上がらない

・サボっても給料はもらえて年を取ると給料が上がっていく


これはインセンティブが働きにくい組織構造だと思う。


これの解決策は外資系のように「成果山分け方式」にすることなのだけれど、

日本は雇用規制が厳しく、成果を上げられない社員を簡単にクビにしたり、成果を上げる人を簡単に集めたりもできない。


そのような制約があるため、「成果山分け方式」に切り替えていくのは難しいだろう。


したがって、モチベーションを保ちたい場合は自力で見つけるしかない。


成長をモチベーションにするか、貢献をモチベーションにするか。


ワタミみたいに「笑顔がモチベーション」なんて本気で言えるか?


半分自分をごまかして、自分を鼓舞して、前向きに仕事に向き合う。


そのモチベーションが尽きた時、「ダメなおっさん化」が始まってしまうのだろう。


モチベーションを探し始めたのが社会人4年目だった。


明るいうちに帰れない


外部の研修を受けて早めに帰宅するとき、研修で一緒だった友達が言った。


「明るいうちに帰れるなんて、こういうときくらいしかないよな」


何気ない一言だったんだけど、これは痛烈だった。


お、おれは...平日の陽の光を浴びることなくこれから何十年も過ごすことになるのか?


と戦慄した。


思えば9時から18時ってけっこう長い。

当たり前のように残業する会社だと、9時から20時まで会社で過ごすことになる。


その間、陽の光を浴びることなく。


自分の限られた人生の時間のうち、最も活発に動ける年齢の、一日の半分近くを会社で過ごしているのだ。


それがただお金のためなのだとしたら、それはそれで少し虚しいだろう。


給料が出るのはとてもありがたいし嬉しいことなんだけど、もっと胸が熱くなる時間を過ごせてもいいんじゃないか。


会社でそれは可能なのだろうか?


あまりにも会議が多すぎる


僕が会社に入って最初に思ったのは、


社会人、会議しすぎじゃね?


ということだった。


大きなチームで仕事をすると人数に比例して会議の数も増える。

自分の仕事をしたいのに、他人との「調整」にもかなりのリソースを割くことになる。


それはチャットを使おうとメールを使おうとそれほど変わらない。

仕事はチームで行うもので、チームのメンバーが増えたらどうしても会議と調整は増えていく。


一日8時間くらい会議して、夜にやっと自席に戻ってきて、それから自分の仕事を始める人がいた。


どう考えても会議しすぎである。


献身的に会議に出席する姿勢はたしかに偉いと思うが、たまには一度立ち止まり、


その会議、本当に俺が出席する必要ある?


と振り返ってみることも大切だ。


会議という形で人と時間を拘束しなくても、代替手段はたくさんある。


「とりあえずミーティング入れときましょう」

と、会議を入れることが目的となってしまっているケースも散見される。

会議をすることでしっかりとプロジェクトを回している気になってしまっていることもある。


それは思考停止である。


意志の疎通が全く取れていない場合は問題だが、それでも会議の時間はできるだけ少なくした方がいい。

成果を生み出すのは会議ではないからだ。


意思決定と方針付け。


会議の主な目的はこの2つだと僕は考えているが、ただダラダラと現状報告するような会議が大量に存在しているのも事実だ。

こういう会議はできるだけ減らそうと努力しているけれど、いつの間にか新たな会議が発生したりして、なかなか削ることはできない。


全体の生産性を大きく向上させる鍵を握るのは、会議の効率化だと考えている。


そのためには


「会議大好き♡みんな会議に出席♡」


という文化・風土を変えていかないといけない。


たった一人の努力では文化はなかなか変わらないんだけど、自分は会議が嫌いなので、啓蒙活動を続けている。


会議は減らそう。

やるとしても、短くしよう。



残業してないと頑張っていないのか

昔々、


「あいつは5時間しか残業していないらしいぜ」


と発言した先輩がいた。


当時は


「ま、まじすか」


と残業していない人を不思議がるように反応したが、今考えるとそれはおかしい。


残業を前提に話すのもおかしいし、残業をしていることで努力を測るのは間違っている。


残業を前提にすることで、逆に生産性が落ちているようにも思う。


絶対に定時で帰る。

何が何でも残業しない。


と決意すると、日中の生産性が大きく上がる。

締切が定められるからである。


それが、


「今日も残業してタスクを終わらせる」


という前提を置くと、締切が迫ってくるまで尻に火が付かない。

ダラダラしてしまう。


デスクワークが中心の場合は、早めに家に帰って勉強し、知識をインプットするなどして技能の向上に時間を使うのがいいと思う。

身に付けた技能によって日中の生産性も上がるはずだ。


残業を減らす。

減らした時間で自分で考えて何かをする。

そうすることで、日中の仕事にも好影響が出ると考えている。


残業時間で人間を評価する風潮は誰も幸せにならない。


資格の勉強


みんな、資格の勉強が大好きだ。

税金の勉強や会計の勉強、プログラミングの勉強をする人は少ないけれど、資格の勉強は一生懸命やっている。


会社がそれを求めているからだ。


受験勉強をちゃんとして、良い大学入って、就職活動を頑張って会社に入ってきた人たちは、本当に真面目なのだ。

努力家であると言ってもいい。


ただし、努力の方向性を自分で考えた経験はあまりないので、どうしても資格の勉強や英会話というような、


「出世に有利」


と世間で言われているような作業に多くの時間を使う傾向がある。


世の中で定められた努力のレールを走りがちなのである。


僕の経験上、お勉強を通じて学ぶ知識よりも、自分で色々試行錯誤しながら身に付けた知識の方が血肉となる。


かくいう僕も資格大好き人間だった。

資格の勉強はわかりやすい。


範囲が決められていて、正解もある。


時間を投入すれば、合格という勲章を得ることができる。


勉強は辛いけど、進むレールを自分で考えなくて良い分楽なのだ。


学生時代にファイナンシャルプランナーの2級を取るために一ヶ月くらい図書館にこもったことがある。

そのときに税務やら財務やらを一通り勉強した気がするけど、全然覚えていない。

FPの勉強するよりも、自分で確定申告書類を作ったときの方がよっぽど良い勉強になった。


やっぱり、知識は道具なのだ。

道具の説明書をたくさん暗記するよりも、実際に使ったほうがいい。

怒られないために仕事する?

中川淳一郎さんが書いた本に


サラリーマンは怒られないために仕事をしている


と書いてあった。

この説明を読んだとき、僕は会社員の行動原理が腹に落ちた気がした。


お客様のため


とはよく言われるけど、本当に胸に手を当てて本心を言うと、多くの人は


「怒られないため」


に仕事をしているだろう。


部下は上司に怒られないため。

上司はさらにその上の偉い人に怒られないようにするため。

役員だって株主に怒られないようにするために頑張っている、と少し穿った見方をすることもできる。


これについて少しエピソードを付け足したい。

東京ミッドタウン日比谷に突撃した記事を書いたとき、ホームページを色々と調べてみた。

すると、こんな文章を見つけた。

日比谷が培ってきた歴史や、日比谷ならではの特性をもとに、新たな都市空間を創出するとともに、各エリアのポテンシャルがコンパクトかつバランスよく複合した質の高い街を形成することができる可能性こそが、日比谷エリアの特色なのです。

https://www.hibiya.tokyo-midtown.com/jp/about/development/


この文章から、何か伝わるものがあるだろうか?


「ポテンシャルが複合した質の高い街を形成できる可能性こそが特色」

って、何それ?


これこそが、サラリーマンが上司に怒られないために書いた文章である。

聞こえの良い言葉を無難に並べて、そのくせ自分の想いは込めない。


減点を避けて無難な作業に終止してしまう。


これが怒られないための仕事である。


責任を取らないための手続き?


「一人でやれば半日で終わるようなことに、なぜチームでやって一週間以上も時間がかかるのか」


と不思議に思うことがある。


とても簡単な作業をするのに、いちいち会議で合意を取り、ルールを確認し、問題ないことを全員が確認する。

それから作業開始して、その作業の記録を残し、問題がないことを証拠として残す。


...なんてことをやっていたことがあった。



「これ、よろしく!」


「やっておいたよ!」


「ありがとう!」


で半日で済むことを、延々と会議やら承認やらで周りの人と調整に時間を費やし、遅々として作業が進まない。


ミスを防ぐため、というと聞こえがいいが、本当はそれだけじゃないことをみんなわかってる。


ミスを防ぐためじゃなく、責任の所在が不明になることを恐れているんだって。


官僚組織的な思考である。


もちろん、適当にやってミスしていい、なんて仕事があるわけではない。

ミスの可能性はできる限り減らすべきだ。


だからといって、小さな作業にいちいち承認のプロセスを絡ませていたら、やろうとしていた作業が全く進まない。

あまり深く考えずに既存のプロセスに従っているけど、大きな組織のスピード感の無さは


・責任を回避するための手続きの多さ

・責任を明確にするための承認プロセスの多さ


に起因すると思っている。

ここに改善の余地がある。


処方箋は、チームを小さくして、そのチームに権限を与えることだ。

社内には偉い人に報告する資料を作るためだけに一日の大半を費やし、勤務時間の大半を偉い人に


「よし」


と認められるために過ごしている人がいる。

その時間はさすがにもったいないだろう。その時間で生み出せる付加価値はもっとたくさんあるし、そうすれば顧客も喜び、結果として会社のためになるはずだ。


「社内の偉い人が確認することで失敗を減らし、投資の確実性を担保できる」

そう信じて皆が報告資料を作るわけだが、偉い人がOKしたら問題は全てなくなるかと言えば、そういうわけでもないだろう。


儀礼的な会議を減らして、現場がリスクを取る。


そういう仕組みに変えていくことで、スピード感が生まれるのではないだろうか。


自分が好きなことをやってると時間を忘れた


自分でウェブサイトを作ったとき、時刻は1時を過ぎていた。


「作りました!」


と宣言してからもミスが無いか隅々までチェックして、改善できるところがあれば時間を忘れて直した。


本当に、時間を売って労働しているときとはまるで別で、仕事のクオリティを高めるために、時を忘れて没頭していた。


稀有な体験だった。


自分のことなら、こんなに頑張れるんだ。

自分が好きなことなら、こんなにやれるんだ。


と感慨深くもなった。


もちろん、会社の仕事も「自分のこと」としてやっている。


しかし、自分で企画して、自分で作って、自分の名前でモノを出す場合。

つまり、自分自身の魂を賭けて世の中にサービスを生み出すときと比べると、どうしても当事者意識に差が出てしまう。


当事者意識を持った仕事は面白い。


本当に面白い。時間が経つのを忘れるくらいに。


時間売りの仕事はつまらない。

これが一番問題だ。


労働時間を切り売りする仕事は全然ワクワクしない。


だから、仕事を楽しみたいなら、当事者意識を持てるように「自分」をもっと出していく必要がある。

会社で成果を上げてもそれは組織の成果となるため、自分自身で作るものほどの当事者意識を持つことは難しいかもしれない。


それでも、仕事を楽しむコツは自分の魂をぶつける以外にないと僕は思ったわけだ。


自分の好きなことに、自分の魂をぶつけて全力でぶち当たっていく。


これこそが、仕事を楽しむためのたった一つのコツである。