サラリーマンの給料はどうやって決まっているのか?



サウザーさんのラジオを聴いて、マルクスの資本論に興味を持ちました。

とはいえ、本家マルクス先生の資本論はとても難解という噂を聞いています。

いきなり難しい本を読み始めて心が折れてしまうのも辛い。

なので、まずは「労働力の生産コスト」について詳しく説明している本を買ってみました。


木暮太一さんの「ずっと安月給の人の思考法」という本です。


ずっと「安月給」の人の思考法

ずっと「安月給」の人の思考法


難しい資本論のエッセンスを噛み砕いて、「私たちの給料はどう決まっているのか」を説明してくれています。


サウザーラジオのファンの方にはピッタリの内容です。

サウザーラジオ 〜青雲の誓い〜


「使用価値」と「価値」

マルクスは取引をするモノは全て「商品」であると考えました。

会社で購入したパソコンも、スタバのコーヒーも、そして人間の労働力も「商品」です。


一方で、同じ種類のものでも商品になるものとならないものがあります。


たとえば、道端に落ちている石は商品になりませんが、どこで仕入れたかわからないパワーストーンという石は商品として売られています。


その違いはどこにあるかというと、「価値」と「使用価値」があるかないかです。


使用価値?

と疑問に思ったかもしれません。


「使用価値」とは、「それを使うメリット」のことです。


商品がどれだけ役に立ったか。

どれだけ有用だったかが使用価値です。


では、言葉としては似ている「価値」とはなんでしょうか?


マルクスは「価値」を「労力の大きさ」と定義しました。


「価値が大きい」ということは、「たくさんの労力がかかっている」ということなのです。



「それを作るのにどれだけ手間がかかったか」


が、価値を測る尺度になります。


道端に落ちている石ころには「使用価値」がありません。


役に立たないものは買ってもらえないため、商品になりません。


同じように「使用価値がある=役に立つ」という理由だけでも商品にはなりません。

たとえば、山奥のキャンプ上で綺麗な水が流れる川の横のコテージで水を売っても全く売れません。


そこに労力がかかっていないからです。


そしてマルクスは商品価格の相場を決定するのは「価値」であるとしました。


つまり、その商品を作るために必要な労力こそが価格を決定するということです。


本の中では

・3日間煮込んだカレー

・30分で作ったカレー

の例を上げ、どちらの値段が高いのが妥当か考えるように例を挙げています。


多くの人は「3日間煮込んだカレー」に価値があると考えるでしょう。


もっと身近な例で言うと、最近流行っているnote。


noteでは有料部分の「文字数」が表示されます。

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同じ作者の場合、


「残り文字数が多い方が高い」


というのは納得感があると思いませんか?


これは私たちが商品の価格を「費やした労力」から判断しているからに他なりません。



労力がかからないものには「価値」がない。

マルクスはそう考えました。


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価格の相場を決めるのは「価値」で、そこから価格を上下させるのが「使用価値」であるとマルクスは考えました。


たとえば手元にあるボールペン。

めちゃくちゃ便利です。

どんなに電子化が進んでも、ボールペンなくして仕事はできません。


それほど使用価値の高いボールペンですが、価格が1万円を超えることはありません。


「ボールペンを作る労力はこれくらいだな」という「価値」が価格の相場を作っているからです。

価値によって定められた相場を基準にして、価格を上下させるのが使用価値です。


ジェットストリームとサラサの価格が微妙に違うのは使用価値の違いです。


労働力の生産コストとは


商品の価格は「それを作るためにかかった労力」を基準に決められていました。


給料も同じように考えます。


給料 = 人を働かせるのに必要なコスト


となります。


「労働力を作るのに必要なコスト」とは何でしょうか?


人が働くためには体力や知識、経験が必要です。


労働者として働いてもらうためには衣食住を確保して、エネルギーを回復させてもらわなければいけません。


「食費 + 住宅費 + 衣服代 + ストレス発散のための娯楽費 + 知識習得費 + 子供がいる世代なら教育費 + その他」

これらの合計が給料となります。

若手の給料が安いのは、労働力を作るためのコストに「家族を養うための費用」や「家のローンを支払うための費用」が含まれていないからだと考えることができます。


なぜ医者や弁護士の給料は高いのか


医者や弁護士の給料が高いのは、専門的な知識を身に付けるために膨大なコストがかかっているからです。


給料はあくまでも


「労働力を作るために必要な生産コスト」


つまり、


「労働者が明日も同じ仕事をするために必要な経費」


なのです。


一見こじつけのようにも見えますが、こう考えると辻褄が合うことがたくさんあります。

たとえば、同じ仕事をしていても地方の支社と東京本社では給料が違うことがありますが、これは


「東京の方が生活コストが高く、それゆえに『労働力の再生産コスト』が高いから」


と考えることができます。


労働力の生産コストは「労働力の再生産に必要なコストの平均額はこれくらいだろうな」という社会通念を基準にして決定されています。


「自分は飯を食いまくらないと仕事できないからもっと給料くれえ!」

と叫んでも給料が上がらないように、社会的に妥当な水準から「価値」が決まります。


そう考えると、シェアリングエコノミーが発達し「今の労働者は車もいらんやろ」というのが社会のコンセンサスになったら、将来的には給料は下がっていくことが予想されます。


「デフレでモノの価格が下がると労働者の給料が下がる」


というのは、一般的な経済学ではモノの値段が下がって企業の取り分が減るから支払う給料が減る、というロジックで説明されますが、

マルクス風に言えば、デフレで生活コストが下がるから、労働の再生産コストが下がる。

だから、給料も下がる、という説明になります。


なぜ成果を上げても給料は上がらないのか


最初に、価格のベースとなるのはあくまで「価値」という話をしました。

「労働力の再生産コスト」が労働力の「価値」です。


労働力の再生産コストとは、労働者が明日も元気で働くためのコストのことで、これには自分が食べる分だけでなく、家族を食べさせる分のコストも含まれます。


このような労働力の再生産コストである「価値」を基準(ベース)にして、「使用価値」によって価格が上下します。


優秀な労働者とは「使用価値」が高い労働者です。


つまり、能力が高く、会社に対して大きな利益をもたらす人が使用価値の高い労働者で、

能力が低く、成果を上げられない人が使用価値の低い労働者です。


「活躍する若手より、あまり働かないおじさんの方が給料が高い」

というのは日本企業ではよくある光景だと思います。


それは給料の基準が「労働力の再生産コスト」によって決まっているからです。


おじさんは家族を守らなければならないし、子どもを養っていかなければいけません。

家のローンを払うにもお金がかかります。

それらのコストは「労働力の再生産コスト」となるのです。


そのため、家はワンルーム、車もなし、家族もいない若手ビジネスマンよりも、

おじさんの方が労働力の再生産コストが高くなります。


(繰り返しですが、「若者には守る家族やローンがない」という社会通念によって、「労働力の再生産コスト=価値」が決まります)


労働力の再生産コストが高くなるということは、給料のベースが高くなるということです。


「価値」をベースにして、「使用価値」で上下するのが価格(=労働者の給料)の決まり方なので、成果に比例して給料が上がるわけではないのです。


では「労働力の使用価値」にはどんな意味があるのでしょうか?

書きやすいボールペンが何度もリピートされて買われ続けるように、

快適なカフェに何度も常連の客が来るように、

「使用価値が高い労働者」は企業に継続的に雇用してもらえます。


企業に利益をもたらすことで得られるのは昇給ではなく、「継続的に雇ってもらえること」なのです。