恋愛苦手な人は自分にベクトルが向きすぎているのではないか



こんな僕でもごく稀に、モテることがある。


「モテる」と言っても、会社ですれ違う女子社員から黄色い声援が届くとかそういう類のものではなく、


10歳以上年上の人からなぜか食事に誘われる


程度のものだ。



1年くらい前の話。

仕事関係で知り合った方から何度か食事に誘われた。


仕事の関係なので、その辺で声を掛けた子のように雑に扱うことはできない。


正直、ずいぶん年上の方だったので恋愛対象としては全く見ておらず、

仕事に悪影響がないように、どうか軟着陸できますようにと願いながら食事に出た。


何度か誘われ、そのうちの何度かは断り、何度かは断りきれずに食事に出掛け、話を聞いていた。

無論、会計は男の僕が全て払っていた。


ある日、押しても叩いても反応の無い僕に対して、彼女はこう言ったのだ。


「私からこんなに人を好きになること、あまりないんですよ」


と。


それを聞いた時、僕は思った。




それがどうしたというのだ────。




その人が男を好きになりやすかろうと、なりにくかろうと、正直どっちでもいい。


滅多に好きにならないからといって、こっちが彼女を愛する理由になるのだろうか?


しばらく返す言葉を失い、最後に僕は言った。


「ど、どーもっす...」



しばらくしてこの事件について振り返ると、恋愛が苦手な人には共通して似たような傾向があるように思えてきた。


自分の感情で頭が一杯になってしまっているのである。



こういう状態を「自分にベクトルが向きすぎている」という。


ツイッターでは時々、「おじさんLINE」が話題になる。


キャバ嬢がおじさんLINEを晒し上げ、おじさんがディスられているシーンを見たことがある人もいると思う。


おじさんLINEもだいたいパターンが決まっている。


「いつ会えるかな?」


「なんで返事はくれないのかな?」


「会いに行っちゃおうかな」


などなど。


それに対して、キャバ嬢が「キモい〜」とディスるのが定番の流れである。


このおじさんも、自分にベクトルが向きすぎている。


人は誰かに恋心を抱くとき、その感情の重さゆえに、自分を特別扱いしてしまいがちだ。

その結果、相手のことが頭から抜け落ちて、独りよがりなアピールをしてしまう。


自分のことばかり考えて、相手のベネフィットを全く考えていないのだ。

ベネフィット、すなわち「相手にとっての価値」である。


ベネフィットについては前のマーケティングの記事で書いたが、この続きだ。

「ドリルを売るには穴を売れ」はどういう意味か?



マーケティングで大切なのは、顧客に「価値」を届けることである。


たとえば新宿に服を買いに行ったとして。


店員が、


「この服を作るのにめちゃくちゃ苦労したんすよォ」


「だから買ってくださいよォ」


とか言ってきたら、



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「おまえは何を言っているんだ」


と思うはずだ。


苦労したからなんなんだと。



「私が人を好きになることなんて滅多にない」


というのは、「服作るのに苦労したんス。だからこの服買ってくだせェ」という店員に似ている。


ベクトルが自分にばかり向いて、相手のベネフィットを全く考えていないのだ。



若いうちはいい。


「若くて可愛い」


というのは、何よりも大きな価値がある。


男だって同じだ。

若くてハツラツとしているだけで価値がある。


おっさんになると、誰もが等しくKKO(キモくて カネのない オッサン)なのである。


TOKIOもKKOなのだ。



悲しいかな、あの日本を代表するTOKIO山口達也でさえKKOになってしまったように、我々も加齢によるKKO問題からは逃れられない。


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若さという価値を与えられないからこそ、自分は相手にとってどんな価値を与えることができるのか、と自問する必要があるのだ。

相手が何を望み、どんな振る舞いが求められているのか、慎重に判断していかなければならない。




最後は余談。

恋愛に関しては、ダメ男がやたらとモテたり、意味不明なディスりが効いたりすることもある。

それはそれで、相手にとっては価値のある振る舞いなのだろう。

逆に、そういう振る舞いを望んでいない人にダメ男風にディスったらブチ切れられるはずだ。


営業が数撃ちゃ当たるように、恋愛も数撃てば当たることもある。

その成功体験が強烈だからこそ、失敗を忘れ、失敗から学べない。


ディスって押しまくったらうまくいった


という成功体験だけが頭に残り、不快にさせてしまった人のことを忘れる。

これはかつて僕が犯した失敗である。


「うまくいったのはたまたま。失敗には理由がある」

と考え、失敗に真摯に向き合うことが大切なのだ。


「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」


という野村監督の言葉を胸に刻もう。