インターネットの「無敵の人」から身を守る方法



Hagex-day.infoの管理人、Hagexさんこと岡本顕一郎さんが背中を刃物で刺され亡くなった。

Hagexさんははてなブログ愛好者の間ではとても有名な方で、「ネットウォッチャー」として名を馳せていた。

ネットウォッチャーとは、ネットで起こる炎上事件や、俗にいう「香ばしい事件」を追い続け、面白おかしく記事にする人々のことだ。

ちなみに山本一郎さんも昔は「ヲチャー」と呼ばれていた。


Hagexさんはプロブロガーやサロンビジネスを展開するインフルエンサーを普段から手厳しくディスっており、人から恨みを買っていないといえば嘘になるだろう。


しかし、今回の事件を起こしたのはHagexさんが日々ディスっていたインフルエンサーではない。


むしろ、ほとんどのインフルエンサーは哀悼の意を表している。


普段散々Hagexさんにディスられた人たちでさえ、哀しまずにいられないほど衝撃的な事件だったのだ。


事件は福岡市大名で起こった。

「Fukuoka Growth Next」と呼ばれる官民共働型スタートアップ支援施設で、「100万PVブログ達成への道」というセミナーを行った直後のことである。


犯人は「低能先生」と呼ばれる人物で、はてなブックマークで日々誹謗中傷を繰り返していた。


インターネットで他人を誹謗中傷するときに、必ず「〜〜だろ低能」と書くことから、「低能先生」と呼ばれるようになった。

「低能先生」はネットスラングのようなものである。


本名・松本英光。無職42歳引きこもり。

失うもののない「無敵の人」である。


Hagexさんと低能先生の関わりは以下の記事のみ。

低能先生に対するはてなの対応が迅速でビックリ


「嫌がらせをするユーザーの対処法」のようなエントリーを書いて、それがはてな界隈でバズった。

それ以来、低能先生の中の人はHagexさんを逆恨みして、ずっと復讐の機会を伺っていた。



運も悪かったのかもしれない。

今回、Hagexさんがセミナーを行った福岡に、低能先生こと松本英光が住んでいたのだ。


セミナーが終わる時間を見計らって待ち伏せし、持っていたナイフで首や背中を刺し、自転車で逃走。


はてな匿名ダイアリーに


「俺はネット弁慶じゃない。

悪いのはお前らだ」


という主旨の投稿をしてから、自首した。


出頭前にわざわざはてな匿名ダイアリーに投稿する行為から、松本氏は自尊心を取り戻そうとしていたことが伺える。


僕はHagexさんが好きだった。

会ったことも見たこともないけど。


インフルエンサーは手厳しくディスるけど、筋が通っていないことはしない。

(インフルエンサーと対比して)一般の人がHagexさんの主張に反論しても、筋が通っているものは受け入れる度量の深さもあった。


僕はHagexさんが好きだった。

そして僕と同じように、よくわからないけどお茶目で、どうでもいいことに一生懸命な彼のキャラクターを愛していた人はたくさんいただろう。


最後のセミナーのテーマが「ブログトラブル110番」だったのは皮肉が効きすぎているんじゃないか。

見たことのない人の死にこれほど衝撃を受けたのは初めてかもしれない。

無敵の人


この事件を語るにあたって、「無敵の人」に触れずにはいられない。

「無敵の人」とは、何も失うものがない人である。

2ちゃんねるの創設者である西村博之さんが提唱した概念だ。

逮捕されると、職を失ったり、社会的信用が下がったりします。

元々、無職で社会的信用が皆無の人にとっては逮捕というのは、なんのリスクにもならないのですね。


花輪和一さんの刑務所の中とか読んじゃったりすると、「刑務所もそんなに悪いとこじゃないのかもねー」とか思っちゃったりもするかもしれません。(中略)


でも、現在はインターネットを使った犯行予告をすることで、警察官を特定の場所に動員したり、飛行機を遅らせたり、警備員を走らせたりするぐらいの発言力が手に入ってしまっているわけです。

彼らは、それなりの社会的影響力を行使できる状態にあるのですね。


でも、欲望のままに野蛮な行動をする彼らを制限する手段を社会は持っていなかったりするわけです。

ちなみに個人的に、こういう人を「無敵の人」と呼んでいたりします。

無敵の人の増加。 : ひろゆき@オープンSNS

今回の犯行はまさに「無敵の人」によって行われたもので、ツイッター上では


「無敵の人を刺激してはいけない」

「人の恨みを買ってはいけない」

「これで殺されるならどんな人も無敵の人を防げない」


など、様々な意見が交わされている。


「無敵の人」の特徴は、繊細で自尊心が高く、粘着質なところだ。


何の実績も積み重ねてこなかったため、自分が自分を信じることができない。

でもそんな自分を認めたくない。

認めたくないけど、いまさら地道な努力はしたくない。


そうやって無敵の人の関心はネットに向かい、ネットで多数の人を「見下す」ことによって、自尊心を保とうとする。

その自尊心は砂上の楼閣であるため、ちょっとした刺激で崩れてしまうほどに脆い。


だから、自分を攻撃する者は許すことなく、執拗に誹謗中傷を繰り返す。

無敵の人は暇人が多く、インターネットにおいて


「暇である」


というのは大きなアドバンテージになるのだ。


インターネットで影響力を持つ人は、忙しい人が多い。

そんな忙しい人をネットの中ではコテンパンに罵倒することができる。


同じように影響力のある人をコテンパンにしたいと考えている「無敵の人」、「凖無敵の人」が匿名掲示板に集まり、そこで悪口を書きあい、


「お前は正しい」


「よく言った」


「表では言えないことをよくぞ的確に表現してくれた」


とお互いを認め合うことで、鬱屈した感情を開放し、承認を得て、自らの承認欲求を満たしているのだ。


インターネットの人は何に怒っているのか


インターネットでいつも怒っている人の思考は5つのパターンがある。

  • 過度な自己投影
  • 嫉妬
  • 正義を行使して快感を得る
  • 自尊心を取り戻す闘い
  • 他者の承認を得るため


これらは別の記事で詳しく語るが、特に危険なのは「自尊心を傷つけること」で、無敵の人をリアルな世界での行動に駆り立ててしまう恐れがある。

インターネットには属性を批判されたことに怒る人はたくさんいる。

  • 非モテ
  • 低学歴
  • 低年収
  • 貧乳

など、特定の人ではなく、一般的な特徴について語られたことに対して、自分が言われたかのように怒ってしまうのだ。

これは「過度の自己投影」と「自尊心を取り戻す闘い」が組み合わさったパターンの怒りだが、属性を批判するくらいなら炎上で済む。


まずいのは、一人の人間を名指しで否定してしまうことだ。

なぜなら、そこには逃げ道がないからである。


指を指されて、”自分が”否定される。

特に影響力のある人に否定されたときは悲惨だ。

自分の声は届かず、取り巻きが一緒になって”その人”をディスるため、大勢に馬鹿にされているように感じてしまう。


そこで感じた屈辱は強い憎しみに変わる。

自尊心が脆弱な無敵の人にとって、名指しで批判されることは絶対に耐え難いことなのだ。


だから少しでも影響力のある人は、批判する相手は選ばなければならない。

インターネットで長く情報発信をしている人を批判するのはいい。

そういう人はブロックはするかもしれないが、大きな事件は起こさないし、おそらく匿名掲示板で粘着もしないだろう。


危ないのは、発信力のない卵アカウントをディスる行為だ。

彼らは発信力がないため、ぶつけどころのない怒りを匿名掲示板に書き連ねる。


直接言っても届かない怒りを匿名掲示板にぶつけて仲間を募ることで、「自分が正しく、相手が間違っている」ことを証明しようとする。


それも、執拗に。

相手が屈服するまで。

相手が過ちを認めて、自分を認め、謝罪するまで。


無敵の人から身を守る方法


無敵の人に出会ってはいけない。


無敵の人は


出会う=即ゲームオーバー


の魔王的な存在なので、ネットの世界から動かしてはいけないのだ。


リアルの世界では、僕たちは様々なスクリーニングを経て、「バカの壁」を築き上げていく。

早い人は中学受験、遅くても高校受験から、周りには同じような属性の人が集まるようスクリーニングされていく。


努力して受験勉強した人、就職活動を頑張った人、部活動を頑張った人。


そういう人が周りに集まっている状況は実はとても幸せなことだし、それは自分が努力の末に手に入れた「守られた環境」なのである。


インターネットに「バカの壁」はない。

だから、自分たちで壁を作るか、隠れるか、人を怒らせないことでしか「ヤバイ人」を回避する方法はない。


「インターネットで壁を作る」方法は3つある。


一つ目は、お金の壁だ。

セミナーやらサロンやらnoteを有料にして、やばい人の目が届かないようにする。

「お金を払ってでもあなたのことが知りたい」

という人だけに情報を届けるようにする。


ネットで粘着する人の99%は「お金を払ってまで叩きにいかない」ので、有料化で壁を作ることで、自分の身を護ることができる。

少し話がそれるが、Hagexさんのセミナーの価格はちょっと良心的すぎたように思う。

2,000円で開催されていたのだ。

今回の事件は犯人がセミナー会場の外で待ち伏せしていたので価格とは関係ないが、「身を守るための壁」として、もう少し手の届きにくい価格で、お金を払ってくれた人にだけセミナー会場の住所やタイムテーブルを公開するようにすればよかったのではないか、と思う。


二つ目は、信用の壁。

インターネットでもリアルでも、ある程度の信用がある人以外に情報を公開しない。

ネットの信用は目に見えないけれど、発信する内容を見ればどんな人かはわかるし、「継続的に人に何かを与える」意識で発信している人には信用が蓄積する。


そんな「信用の蓄積」があるかないかで接する人を選ぶのも、壁を作る一つの手だろう。

誰かから紹介された人だけに会う、みたいに、一見さんお断りを徹底するのもいい。



三つ目は、常識の壁。

初対面からタメ口だったり、非常識なことをやっている人とは関わらない。

インターネットの悲劇は、持っている常識が全く異なる人が、同じ空間にごちゃ混ぜになってしまっていることだ。


その人はその人で正しいのかもしれないが、”自分の”常識で理解できない人とは関わらないようにする。

どんなにフォロワーが多くても、どんなにすごそうな人でも、自分から見て「ん?」と思う人とはリアルでは会わない。

もしかしたら自分の可能性を狭めてしまうことになるかもしれないが、「その人の世界観」を理解できるようになってから会うのでも遅くないと思う。



壁を作る以外には、「匿名」を盾に隠れ、リアルの存在を嗅ぎつけられないようにするのもいい。

ただ、ずっとネットで情報発信を続けていると、匿名人格とリアルの人格はどうしても結びついてきてしまう。

ネットの影響力が増してくると、匿名性を維持するのは難しくなってしまうのだ。


だから実質的には、「壁を作る」か「人を怒らせない」くらいしか対策がない。


無敵の人がネットの外に出るモチベーションを与えないように、

無敵の人が強い憎しみを抱かないように。


教訓を得ると言うにはあまりにも痛ましい事件だけど、今回の事件は他人事とは言い切れないところに、悲しみと同時に恐ろしさを感じてしまったのだ。


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