映画『万引き家族』の衝撃。その絆は愛か金か。



感想

『万引き家族』は衝撃的な映画だった。

監督の是枝裕和は『そして父になる』の脚本を書いた人でもあり、以前と同様に社会問題に鋭く切り込み、そして最後まで救いがなかった。


冒頭のシーンからクライマックスに至るまで、劇中に常に「破滅の匂い」が付きまとっていた。


これ、たぶんダメになるだろうな...


という「空気」がありありと伝わってくるのだ。


着実に忍び寄る破滅の黒い影と、吊橋の上を手をつないで歩くような危うさが同居して、食い入るように見てしまった。


ここから先はネタバレ含むあらすじを語っていきたい。


もしネタバレが嫌な人がいたら、ここでブラウザをそっと閉じるか、あるいは僕が大好きなGoogleのインターンの映画のレビュー記事を読んでいってほしい。

この映画は『万引き家族』と違ってとても明るい気分になれるのでおすすめだ。

どん底から人生の逆転をかけてGoogleインターンに挑戦する映画「インターンシップ」がめちゃくちゃ面白かった。




あらすじ

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『万引き家族』はそのタイトルの通り、万引きのシーンから始まる。

父(のような男)と、息子(のような少年)でスーパーに入り、コンビを組んで食料を盗む。

二人は実に息の合ったコンビだった。

片方が店員の視界を遮り、片方が食料をカバンに詰める。


持ち帰った食料は「家族」と一緒に分け合って食べる。

家には

  • おばあちゃん
  • 息子

の(ように見える)姿があった。


危うく見えても、家族には「絆に見える何か」があった。


横に並んで歩く大人の男のことを決して「父」と呼ばない少年。

「おばあちゃん」のことを心配する様子もない「父」のように見える大人の男。


背後に大きな秘密があるのをそれとなく示しながらも、クライマックスまでそれは明かされずにいた。


ある日、道で少女を拾った。

保護した、と言ってもいい。


腕には虐待の後。


ふさぎ込んでいる少女と一緒に暮らし、守っていくことに決めた。

少女と周りの家族の間には、たしかに愛はあったと思う。


家族に新しい妹ができた。


当たり前に万引きする「父」と「息子」、「母」。

風俗で働く「姉」。

元夫の息子に金をせがみにいく「祖母」。


この家族をつないでいるのはなんなのだろうか?


この映画を観ながらずっと、


「お金がないとこういう生活になるのか」


と考えてしまっていた。


ある日、おばあちゃんが死んだ。


朝起きたら、既に固まっていた。


おばあちゃんに一番懐いていた「姉」は動かなくなった「おばあちゃん」の前で涙を流した。

その涙に嘘はなかった。

その涙には「姉」の愛が込められていたが、他の「家族」が涙を流すことはなかった。


次に家族がとった決断は、「おばあちゃん」の死を隠すことだった。


なぜか。


死んでしまうと、銀行口座が凍結されてしまい、年金を受け取ることができないからだ。


これは現実にも起こった「高齢者所在不明問題」を元にしたものである。


所在不明の高齢者の死を隠し、不正に年金を受給する。


そんな事件は映画の中だけではなく、現実の日本で数千人単位で起こっていたことなのだ。

ちなみにwikipediaによると、日本で最も高齢の人間は2010年時点で200歳。

ショパンや緒方洪庵が生きていたら同じ年齢になっていたレベルの人が、戸籍上は存在していることになっていた。


戸籍上に存在する謎の高齢者が年金の不正受給の温床になっていたのだ。


映画はそんな不正受給の現場をリアルに描く。



「おばあちゃんは、最初からいなかった」


「5人家族だったことにしよう」



そんな家族の様子に「息子」は疑問を抱き始める。

そしてある日、「息子」の万引きがバレて警察に捕まり、芋づる式に家族の秘密が暴かれていくことになる。


「おばあちゃん」は夫を奪った相手の息子に毎月金をせびりに行き、家にいた「姉」はなんと、その家の娘だった。

娘が家を出たときに「おばあちゃん」が優しく声をかけ、家に呼んだのだ。


そのことに「娘」は気付いていなかった。

「おばあちゃん」は元夫の家族に復讐をしていたのか、あるいは愛情があったのかは死んでしまった後なのでわからない。


「息子」は車中荒らしをした際に車の中から連れてきた少年だった。

もしかしたら誘拐だったのかもしれない。


「娘」は虐待されていた実の母の元に帰った。


「母」は逮捕。


「父」は全ての責任を「母」に押し付け、逮捕を逃れた。


「万引き家族」はバラバラになり、その絆は戻ることはなかった。



誰の血もつながっていない「万引き家族」

危うさの中に、たしかに絆は存在しているかのように見えた。


それは幻だったのか、愛だったのか。

映画では最後まで明らかにされることはなかった。


貧すれば鈍する


この映画を観ながら、


「お金がない生活」


に思いを馳せた。


明日は我が身かもしれない。

そんな恐怖が襲ってきた。


「食えなくなる恐怖」である。


家族ぐるみで万引きし、金のために人の死すらも踏みにじる。

その空気感はなんとなく見覚えがあった。


僕が中学生の頃に住んでいた田舎の空気だ。

さすがに年金の不正受給はなかったと思うが。


学校のヤンキー友達はみんな等しく貧乏だった。

当時、ヤンキーの間では「万引き」が流行っていて、服を盗んだりお菓子を盗んだりしている連中が大量にいた。


お金があれば万引きなんてしなくてもいいのに、みんな金がないから物を盗む。


ヤンキーの場合は己の力を誇示する意味もあったのかもしれないが、結局はみんな、金がなかったのだ。


貧しさの中に清らかな心は生まれない。


人間、食うためには必死なのだ。


その空気を知っているから、僕はこの映画を他人事のように観ることはできなかった。

いつか自分も、あの空気の中に落ちていくかもしれないのだと。


捉えようのない恐怖に襲われた。


金。


金は本当に大事だ。


夢も、志も、モラルも、誇りも。

お金がないと守れない。


一度最底辺に落ちてしまうと、そこから這い上がるのはものすごく難しいのだ。

そうして貧困は連鎖していく。


貧しい家族が不幸だとは言わないが、明日の食料を心配して、スーパーで万引きして暮らす生活が幸福だとは思えない。


人生の余計な問題を回避するためにも、やはりお金は本当に本当に大事なのである。