いい歳をしたオッサンがくだらない話を書くことを許してほしい。
親元を離れてもうずいぶん経つけれど、息子としてはいつまでも親のことは心配である。
元気で暮らしているのかな?とか、ちゃんと健康診断行ってるんだろうか?とか、いま幸せだったらいいな、とか。
そんなことを考えて、こちらの近況報告も兼ねて、一週間に一回は電話するようにしている。
親への電話はつい忘れてしまいがちだから、手帳のTODOにメモしているくらいだ。
そして親も親で、何歳になっても子供のことは心配だそうだ。
何かあると
「大丈夫?大丈夫?」
と聞いてきて、何もなくても「大丈夫?」と聞いてくる。
大丈夫かと聞かれる方がこっちとしては大丈夫ではない。
心配しないでほしいと思うものの、やはりどうやっても心配してしまうらしい。
もう自分のことだけ考えて生きてくれていいのに。
何か欲しい物があるかと聞いても「お金が心配だからいらない」と言ってくるので、とりあえず楽天で花を注文して実家に贈ったら喜んでくれた。
たまに田舎に帰るときに、東京のお土産を持っていくと嬉しそうにしていた。
「あのお土産、すごく美味しかったからまた食べたいわぁ」
と親が言うので、田舎に帰るときは必ず、決まったお土産を買うようになった。
新しく買った犬は、僕に決して懐かない。
親には感謝している。
本当に。
「無償の愛」
なんてものを本当に与えてくれるのは、世の中で親くらいなんじゃないか?
自分が親になることは全く想像できないが、親は本当にすごいと思う。
僕が僕のような息子がいたら、正直育てる気がなくなるだろう。
生意気で、面倒くさいから。
親っていうのは本当にすごい。
ツイッターにいる既婚アカウントは正直ロクな人がいない気もするが、「親をちゃんとやってる」ってだけでマジで尊敬に値する。
本当にすごいと思う。
絶対、我慢しなきゃいけないこと、たくさんあるじゃん。
すぐ風邪引くし、学校で問題を起こしたら謝りに行くし、受験だ就職だ転職だって心配掛けるし。
親ってすげえよ。
そう、親は本当に立派だと思うのだが、だからこそ、
進路や就職、転職の話をするのはやめておいたほうがいいと思う。
親が愛情を持って子育てすればするほど、子供には保守的な人生を求めてしまう傾向があるからだ。
保守的な人生とは、リスクが極限まで少ない人生である。
思っている以上に親が子供に与える影響は大きく、親の影響は呪いのように効いてくる。
僕自身、今までの進路は全て自分の意志で選び、決めてきたつもりでいるが、決断の背後には多少は親の影響はあったようにも思う。
繰り返しになるが、親の判断は基本的に、愛情が大きければ大きいほど、保守的になる。
ゼロリスクを求める。
田舎で世間を知らない親の場合はその傾向が顕著だ。
「世間を知らない」というとすごく心が痛むが、限られた狭い範囲で生きてきた場合、という意味で。
「公務員が一番安泰だ」
「大企業にいれば安心」
「転職は危ない」
「有名大学に行けば大丈夫」
これらの価値観は間違っているとは言えないのだけれど、これは昭和の時代を生きた親の世代に刷り込まれたステレオタイプな「成功像」である。
親の目からは決して、今の時代は見えないのだ。
今を生きている僕たちでさえ、今の時代がどうなっているのか、何が正解なのかわからないのに。
人生は全て自己責任だ。
自分の判断を親のせいにしてはいけない。
自分で判断して、自分で決めて、自分で行動する。
そして、自分の人生に責任を取る。
これが大事だ。
しかし、そこに
「親に心配をかけたくない」
みたいな感情が入ってしまうと、途端に手錠をかけられたように選択肢が狭まってしまう。
だって親は、自分の中で「こういう人生なら安心」と考えてきた人生像にそぐわないものは全部心配してしまうんだもん。
親は親の価値観の中で「子供の人生はリスクゼロ」を求めるから。
リスクゼロって、リターンも少ないんだよ。
むしろ、親が心配するような道に成功が眠っているのだと僕は思う。
親が心配する道は、大多数の大人が選ばない道だからだ。
人生もビジネスも、人の行く裏に道あり花の山が鉄則。
人生に関しては、何かを決断するときは必ず、意識的に親の影響を排除して、
自分の目で見て、自分の頭で判断するように気をつけよう。
ハンターハンターで、イルミがキルアの頭の中に針を指して洗脳していたってシーンがあったけど、
これは漫画の話ではなく、現実にもありえるんだよね。
「勝てない相手からは逃ゲロ」
って。
親が小さい頃から指してきた針って、どこかで思いっきり開き直らないと、なかなか抜けないんだよ。
親への感謝と尊敬と恩返しと、自分の人生の進路は分けて考えること。
当たり前だけど大事。
親の性格にもよるんだけどね。