祖父が他界してからは母と祖母と3人で暮らしてきた。
物心ついたときから父親はいない。
大学に入って家を出て、実家には母と祖母が二人暮らし。
大学生は年中夏休みみたいなものだから、よく彼女を連れて実家に帰ったものだ。
帰るたびに、祖母は嬉しそうな顔で迎えてくれた。
社会人になって数年経ち、祖母の年齢が90歳近くなったときに一度病気をして、それがきっかけで認知症が進んだ。
高齢者は一度入院してしまうと、足腰が極端に弱くなってしまう。
病院から出る頃には祖母は自分の足で歩けなくなってしまっていた。
東京で働きながら、週に2~3回は田舎の母と電話していたのだが、
老いた母による祖母の介護はもはや「老老介護」と言ってもよく、母は介護に疲れ切っている様子だった。
そのまま一年くらい過ぎて、祖母はついにトイレにも行けなくなり、母が排泄処理をするようになった。
「さすがに施設にお願いしたほうがいいんじゃないかな」
と母に言っても、
「実家にいれないと、ばあちゃんがかわいそうで」
と言って聞かない。
僕自身は会社を辞めて田舎に帰ることもできないので、何度か母と話しながら、叔母(おば)や祖母の兄弟と連絡を取り、協力をお願いして面倒を見てもらうことにした。
親戚一丸となって、ずっと介護してきたのだが、祖母の痴呆が一気に進んだことがきっかけで、施設に入居する手続きを進めることになった。
田舎の介護施設はどこも混み合っていて、施設に入れるには数ヶ月待たなければいけない。
祖母の介護施設に入居したのは最近のことである。
母はやっと自分の時間を過ごすことができるようになった。
申し訳なさそうに祖母の介護施設への入居を見送る一方で、負担が軽くなったことに安心したようにも見えた。
僕も祖母には申し訳ないが、施設への入居が決まったときは安心した。
親戚みんなで面倒を見ても、これ以上は限界だと思っていたからだ。
若い頃は僕のような手のかかる不良息子を育て、年を取ってからは祖母の介護に明け暮れる母は、70歳近くなってやっと、自分の時間を過ごすことができているように感じる。
母は週に2、3回は祖母に会いに行っており、施設に入った祖母の写真がたびたび送られてくる。
祖母は施設にいるのか実家にいるのかあまり区別がついていないようだが、写真の祖母は幸せそうに笑っていた。
母の介護の様子を聞いてきた経験から、介護は素人が手探りで続けていくのはあまりに負担が大きいものだと感じている。
それでも、介護は
「実家にいないとかわいそう」
とか、
「自分が面倒を見なければいけない」
という道徳心が先立って、
「誰かに任せる」
という選択を取りづらい。
しかし、老老介護は肉体的にも精神的にもあまりにも負担が大きく、続けているといつか共倒れになってしまう。
なので、もし可能であるならば、介護はプロに任せてしまった方がいいのではないかと。
専門家が複数人いる介護施設の方が、素人が自宅で見る介護よりも安全なようにも思える。
トイレの世話、食事の世話、着替え、睡眠。
全てを素人が面倒を見るのはあまりにも過酷である。
ばあちゃんが施設に入った後は、母の精神的な負担や肉体的な負荷が減ったのが目に見えてわかった。
母の表情が明るくなった。
道徳的に正しかったのかは判断できないが、ばあちゃんの楽しそうな写真を見ると、家で動けずに横になっているよりも良かったのではないかと思う。
施設の人が車椅子を押して、色んなイベントを開催してくれる。
そっちの方が心身ともに健康に過ごせるのではないだろうか。
さて、育児である。
たとえばベビーシッター要らないと言うのは、その母親は「周囲に真面目に子育てしてないと思われるのがかなわんなあ(古臭い価値観だ)」あたりが本音だ。現実には育児でノイローゼになってたりする。
— サウザー (@Fist_of_Phoenix) 2018年7月17日
ダメな男は女の言葉を真に受ける。そして女は、なんでこの男は察しないのか?と不機嫌を加速させる。
僕は親戚の家にシッター導入する為の茶番まで指導する事になった。
— サウザー (@Fist_of_Phoenix) 2018年7月17日
男に「俺の責任で勝手にキッズラインお願いしといたから」「美容院でも行ってきたら?」と言えと。
女は「頼んで無いのに勝手に呼びやがって」と悪態をつくであろうと予測、しぶしぶ外出しそしてご機嫌になる。全て想定通りになった。
サウザーさんのベビーシッターについてのツイートを見たことが、この記事を書くきっかけとなった。
僕は育児をしたことがないので想像するしかないのだが、全く理屈の通じない赤ちゃんの世話は想像以上に負担が大きいものなのだろう。
その負担を一身に背負うのが母であり、父でもある。
子供はもちろん可愛いはずだが、時には自由になりたいときもあるのではないだろうか?
もしたまに遊びに行きたいときがあれば、思い切ってプロのベビーシッターにお願いするのもいいんじゃないだろうか。
ベビーシッターにお願いして、子供の面倒を見てもらい、その間は自分の時間を思いっきり楽しんで、リフレッシュする。
「親以外の別の大人」に触れさせることは子供にとっても良いことだと聞いたこともあるし、
改めてスッキリした気持ちで子供に向き合える「良い息抜き」にもなるかもしれない。
もちろん、介護も育児もプロに任せるにはお金がかかるし、お財布の事情と相談しなければいけないのだが、人間はもっと楽をしていいと思う。
「絶対に私が面倒見なきゃ」
「俺がやらなきゃいけないんだ」
という強い道徳心から生まれる責任感は、時として人の負担を覆い隠す。
心身ともに負荷がかかっているのに気付かずに、ずっと張り詰めた状態でいると人間はおかしくなってしまう。
人間はもっと楽していい。
人間はもっと、楽することを選んでもいい。
辛いのを我慢するだけが人生じゃないはずだから。
僕たちが楽しく生きていくためには、緊張と緩和の両方が大事なんだ。
そのために、ときどきプロの力を借りることは悪いことじゃないと思うんだ。
一番苦労した当事者じゃないからこんな風に言えるだけなのかもしれないけどさ。