ONE PIECE70巻の読者質問コーナーで面白い回答があった。
質問:
いきなりですが、尾田っちに質問します。
ワンピースの登場人物で、母親が不明だったり既に死亡していたりするキャラクターが妙に多いのは何故ですか。
回答:
なるほど。まあ。答えは簡単です。
「冒険」の対義語が「母」だからです。
この回答は示唆に富んでいる。
先日のブログでも紹介した、『シンプルな英語で話す日本史』という本を読んでいた。
英語の勉強が続かない人は「ついで学習」してみるのはどうでしょう
今日読んだのは、"Destruction of Osaka Castle(大阪城の破壊)"という章である。
豊臣秀吉が死んだ後、権力を握った徳川家康は、その子である豊臣秀頼を倒すべく、大阪城への攻撃を始めた。
これが有名な大阪冬の陣である。
一度は和睦したものの、翌年の春から夏にかけて、徳川家康は再度大阪を攻めることとなる。
その大阪夏の陣における雌雄を決した「天王寺・岡山の戦い」では、実は豊臣側は家康をあと一歩で倒せるところまで追い詰めていて、家康自身も何度も切腹を覚悟したのだという。
豊臣側の名将、真田信繁は全軍の士気を高めるべく大将・豊臣秀頼の出撃を請うも、その母である淀殿が息子可愛さのあまり頑なに出撃させなかったのだという。
歴史にif(もし)は無いというが、もし豊臣秀頼が母の制止を振り切って出陣していたら、徳川250年は存在していなかったかもしれない。
キングダムで士気を極限まで高める為に自ら前線に出て戦った嬴政のように、軍を鼓舞していたら勝敗は変わっていたかもしれない。
最近は男女はとにかく平等であるという風潮が強いので、こんなことを書くと叩かれるかもしれないが、
お腹を痛めて生んだ子供に対する”母性”はやはり、母親特有のものであると僕は思う。
子供はとにかく可愛い。
そして、可愛い子供にはなるべく危険な目に遭ってほしくない。
元気に、健やかに育っていってほしい。
より安全を願うのは母親として当然のことで、母性は時に子供を冒険から遠ざけようとする。
冒険には危険がつきものだからだ。
母の母性が本能的なものであるならば、戦国時代とは全く時代背景が異なる現代においても、母親がリスク回避的になってしまうのは致し方ないのではないだろうか。
- 子供にはできれば有名な大学に行ってほしい
- 子供にはできれば有名な企業に行くか、公務員になってほしい
- 食べるのに困るようなリスクの高い生き方はできれば避けてほしい
子供の幸せを一番に考えるからこそ、リスク回避的な生き方(=昭和の幸せな人生像)を願ってしまうのだろう。
そういう意味で、「冒険」の対義語は「母」である、という尾田栄一郎さんの回答は含蓄に富む。
一方で、リスクを取らずして大きな成功は難しいという現実もある。
「冒険」の対義語は「母」なのだが、
「成功」の母は「冒険」なのである。
したがって、人生の進路に(保守的な)母親の判断を取り入れることは「成功から逆走する行為」であるともいえ、
もし大きな野心を抱いているならば、少なくとも20歳以降の自分の進むべき道は”自分の意志”で決めていく必要がある。