「自分を嫌いになるようなことをしない」だけで、自己肯定感が高まっていく



また意識高い記事を書いてしまう罪深い俺を許してほしい。

食後のプリンは全てに通じる

昼ご飯を食べてオフィスに戻る途中、セブンイレブンでものすごく美味しそうなカスタードプリンを見つけた。

食後のデザートとして抗えぬ魅力を放つプリンを見つけた瞬間、僕は思わず手に取り、そのままレジに向かおうとした。


...でも待てよ。


僕はつい最近、与沢翼さんのダイエットに刺激を受けて、「自分もダイエットをしよう」と誓ったばかりだったよな。


「俺も頑張ろう」って。


もう自分との約束を破ってしまうのか?


お前はそれでいいのか?


と自問自答し、一度精神を落ち着かせるためにキングダムを立ち読みし、

深呼吸して、目をつぶり、そっとプリンを棚に戻した。


そしてプリンの代わりにカロリーゼロの炭酸水を購入してコンビニを出たとき、僕は謎の満足感で充たされていた。


「食後に高カロリーのプリンを食べない」


という自分との小さな約束を守ったことで、少しだけ自分を好きになることができたのだ。


「自分がやるべきこと」をやれば、自分のことを好きになれる


ほとんどの人はきっと、心の奥に


「こんな自分でありたい」


という理想像を持っているはずだ(と思っている)


自分の理想を持っているからこそ、心の中では


「今、自分が何をするべきなのか」


を知っているのだ。



僕たちは本当は自分が何をしたいか、何をするべきなのかを知っているはずなのに、

目の前の現実を屈して妥協してしまっていたり、

怠けてしまったり、

勇気がなくて行動できなかったりしている。



僕は以前、会社の仕事が嫌だったことがある。

不毛な会議が一日の大半を占め、無駄な資料を作りまくり、議論ばかりで問題に向き合わず、新しいことにチャレンジしない...

そんな業務内容に不満を持っていたことがあった。


が、何よりそんな不満を抱えながら悶々と仕事している自分が一番嫌いだった。


というのも、心の中では


「仕事に打ち込み燃え尽きる」


ような生き方に密かに憧れていて、

そんな理想とかけ離れた姿勢で仕事をしている自分がめちゃくちゃダサいことに、自分自身が気付いていたからだ。


そうして自分がどんどん嫌いになって、自信がなくなっていった。


「自信を持つ」

とは、「自分を信じること」である。


やるべきことをやらずにいると、どんどん自分を嫌いになっていってしまう。

自分が自分を信じられなくなってしまうのが、一番辛いのだ。


それに気付いてからは、できるだけ前向きに動き、無駄なことは改善するよう働きかけ、

置かれた環境でできる限りの貢献をしようと意識を変えたことで、ほんの少しだけ自信を取り戻すことができた。


「自分を嫌いになるようなことをしない」だけで、自分を肯定することができたのだ。


自分との小さな約束を守る


意識高く、大きな志を持って生きるのもいいが、

小さな目標を日々、守っていくことの方が大切だ。


何かしら小さな目標を立てている人は多いはずだ。

  • 夜、寝る前にスマホを見ない
  • ネットサーフィンに使う時間を15分以内にする
  • カロリーの高い食事を控える
  • 週に3回筋トレする
  • 毎日1時間以上勉強する
  • 好きな子に一度、話しかけてみる

みたいな。


誰に言うわけでもない、自分自身が「こうしたいな」と思い、密かに立てた小さな目標。


このような小さな目標を「自分への約束」として、約束を守って生きていくことで、自己肯定感が高まっていく。


誰にも言わなかったとしても、自分自身は「目標を立てた自分」のことをよく知っていて、

「目標を守らずサボっている自分」のこともよく見ている。


だから目標を立てたにも関わらず、何も行動せずにサボってしまうと、

自分が自分のことを信じられなくなってきて、

そんな自分のことを好きになれなくなってしまう。


逆に、小さな目標を守るたびに


「お前、よくやったやん」


と自分を褒めることを習慣にすると、自然と自分を好きになれる。


何より大事なのは、自分が「やる」と心に決めた、小さな目標を日々守っていくことなのだ。



自分の心の声に耳を澄ませる


学生の頃、理想の社会人像を思い描き、


「こんな社会人になりたい」


と志を抱いていた人も多いだろう。


向上心が強く、就活を必死に頑張ってきた人ほど、高い志を抱く傾向が強い。


が、このように高い志を持った学生も会社に入って5年くらい経つと誰も夢を語らなくなる。


僕が知る限りでは、大企業に就職した学生の90%以上が就職後5年以内に学生の頃の高い志を失い、

辛い毎日を凌ぎ、給料を使ってどうやって遊ぶかばかりを考えるようになっている。


例外は大企業から外資系金融などに転職したエリートくらいだ。


皆、学生の頃に抱いた青雲の志を語らなくなり、いつの間にか残業自慢や苦労自慢を始め、


「わかるよ。お前も大変なんだな。

...俺も大変だよ」


みたいな、悲しい話が増えてくる。

もちろんたまには愚痴も必要だ。

やりきれない想いもあるだろう。


でも僕たちは、そんな自分を好きになれるだろうか?

居酒屋で同僚と会社の悪口を言うような自分になりたかっただろうか?


もしそれが自分の理想像でないのであれば、早めにやめないと、自分のことをどんどん嫌いになってしまう。


中には、

「仕事は全力でサボり、そこそこの給料をもらいながら休日を最高に充実させるんだ」

という高い目標を持っている人もいるはずで、それが理想ならその通りに生きるのが正解だ。


大事なのは、自分の心の声に嘘をつかないことなのだ。


自分の本心に気付かないフリをしながら生きていると、意識の奥の方で自己肯定感を削られていってしまう。


「会社に貢献したかった」

「本当は会社員なんてやらずに自由に生きていたかった」

「もっと自分の求めるスキルが活かせる場所で働きたかった」

「尊敬できる上司がいる場所に行きたかった」


なんでもいい。


自分が思い描いた理想から目を背けずに、しっかりと言葉にして理解しなければいけない。

心の奥底から理想を引っ張り出して、言葉にして目に見える形にする必要がある。



現状がどうであれ、自分が思い描いた理想とのギャップを縮めようと努力しているうちは、

きっと自分のことを好きになれるはずだと僕は思う。


自己肯定感ってそうやって高めていくものなんじゃないかな。