ガラケー時代の思い出を振り返る



高校1年生のときに初めて買ってもらった携帯電話は「J-PHONE」と呼ばれる機種だった。

腕時計より少し大きい画面の中でドット絵が動いているのが新鮮で、何時間も飽きずに携帯電話を眺めていたものだ。

携帯電話は間違いなく、僕にとっての宝物だった。

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日本の携帯の独自の進化を揶揄して、「ガラケー」と呼ばれる。

大陸から切り離された場所で独自の進化を遂げたガラパゴス諸島の生態系が由来だ。


僕が高校一年生の頃は、携帯電話を持っている生徒はクラスの半分くらいで、その他の友達には「家電」と呼ばれる家庭用の電話を通じて連絡を取り合っていた。

そして「携帯持ち」の3割くらいは「エッジ」と呼ばれるPHSを使っていた。

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今の若者は「PHS」なんて言葉を知らないだろう。

劣化版携帯電話と考えておけば、ほぼ間違いない。

そして「PHS」が生まれる前は、僕たちは「ポケベル」と呼ばれる機械を使って連絡を取り合っていたのだ。

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この緑の箱を見たことがある人はいるだろうか?

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これはガチャピンではない。

公衆電話と呼ばれる電話である。

この緑の箱に10円を入れて、好きな子に電話をかけていたのだ。

ポケベルにメッセージを送るのにもこの公衆電話を利用していた。


「114106」


これは僕が中学生の頃、欲しくて欲しくて仕方がなかった暗号である。

この暗号の意味は「愛してる」だ。

あの時代、僕たちはたった5文字を送るためにわざわざ外に出て、公衆電話を探し、10円を入れて、数字を打ち込んでいたのだ。


このようにとても不便だったのが中学時代。

高校生になって携帯電話と出会ったのは衝撃的だった。


高校初期の頃に流行り始めたケータイは瞬く間に普及し、高校2年生になる頃には「ケータイを持っていない生徒」は全体の1割程度にまで減ったと記憶している。

本当にあっという間だった。


あの頃の僕たちはみんな、NECが開発した「Nシリーズ」のケータイを使っていた。


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パカパカと開く携帯電話。

NECが最も輝いていた時代ともいえる。


あの時代ほど「携帯電話」というテクノロジーに興奮した時代はなかった。

スマホが出たときよりも興奮していたと思う。


「電話を持って歩くこと」が楽しくて仕方なかった。

家に帰っても四六時中携帯電話をいじくり回して、試験の成績は地に落ちた。


携帯電話は電話やメールのためだけに使われていたわけではない。

あの時代の厳しい制約の中で、僕たちは独自の”遊び”を発明していたのだ。

平成が終わる前に今、あの頃の思い出をみんなに伝えたい。

この先の未来でパカパカの携帯電話がなくなったとしても、僕たちの記憶からは消えないから。

ワン切り

「ワン切り」という言葉を知っているのはおそらく30歳より上の人間だろう。

「一度コールを鳴らして電話を切る」という必殺技である。


当時の携帯電話は通話料金がべらぼうに高かった。

1分電話すると50円だか100円だかの料金を取られていたのである。


当然、高校生にそんな通話料を払う金など無いため、どげんかせんといかん、ということで発明されたのが


「ワン切り」


である。

気になる人に電話をかけて、「プルッ」と鳴った瞬間に電話を切る。

現代で同じことをやると完全にウザいいたずら電話だが、当時はウザいどころか、挨拶の意味で使われていたのだ。


彼女から「ワン切り」が無いと不安になったし、好きな子から「ワン切り」が届くと飛び上がって喜んだ。

メールを打っている途中に「ワン切り」を取ってしまい、「なんで取るの!」と怒られることもあった。

通話料金にものすごく敏感な時代だったのだ。


着信履歴が特定の人間で埋まっていた場合、今だと気持ち悪くて女子界のネタにされるかツイッターに晒されてしまうだろう。


しかし「ワン切り」全盛期は、着信履歴が特定の誰かで埋まる事象は普通に起こり得ることだった。

LINEで「おはよう」と送るのと同じレベルで着信を残していたのだ。

着信履歴が好きな子で埋まっていたときはキモいとは思わず、無邪気に喜んでいた。


ある日、男友達で集まってお泊まり会をしたことがあった。

そこで衝撃的だったのは、イケメンの携帯電話にはひっきりなしに「ワン切り」が届くことであった。

僕は性格が悪いので、イケメンの携帯に「ワン切り」が来たら、「184」をつけて「非通知」でワン切りを送り返してやった。

そして今、非通知で思い出したのだが、なぜか僕の携帯電話に毎晩夜中の3時くらいに非通知でワン切りする輩がいた。

おかげで毎晩寝不足だったし、正直ちょっと怖かった。

夜中の非通知電話の経験から、人の恨みを買ってはいけないことを学んだ。

光るアンテナ

光るアンテナは衝撃だった。

なんといってもアンテナが光るのだ。


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光るアンテナ
https://www.watch.impress.co.jp/mobile/column/kitahara/2000/02/09/より



初めて光るアンテナを見たときは腰が抜けるほどの衝撃を受けた。


あ、アンテナが...

光っている...!!


宇宙人を見たかのように驚いた。

そして僕も欲しいと思った。

家の皿洗いを手伝うことで親を懐柔し、光るアンテナを買ってもらった。

高校2年から高校卒業までの間、僕の携帯電話のアンテナは光り続けていた。

いま振り返ると、携帯電話のアンテナが光っていたのは学校で僕くらいだった気がする。

......も、もしかして、ダサかったのだろうか?

今ではアンテナどころか頭のツルピカである。

同じ光るなら、アンテナの方がいいな。

LOVE定額

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岡田准一が、イケメンすぎる。


ソフトバンクが2005年に繰り出した衝撃的なキャンペーンの名前が「LOVE定額」であった。

  • 回線がソフトバンク同士
  • 特定の一人だけ

という条件で、なんと月額300円で電話し放題になったのだ

盛っていた高校生にとっては衝撃的なプランである。

あの頃の僕たちは、通話に飢えていた。

当時の我々にとって携帯電話の通話料金は高すぎたからだ。

やむなく「自宅電話の子機」的なものを使って電話をかけて、

電話が長いと親に怒られ、


盛り上がったタイミングで電話線を抜かれる


的なハプニングも日常的に起こっていた。


「真由美、おれのこと、好きか...?」

「ちょっとぉ、なんでそんなこと聞くのさ」

「どうしても聞きたくなって」

「......」

「す

ブチッ



おいいいィィィィ!!!!!!!


こんな感じで、いいところで電話線を抜かれるのである。


僕たちはいつも夢想していたのだ。


「親に邪魔されることなく、携帯電話でいつまでも電話できたらいいのに」


と。


いまのLINE通話で無料でいつまでも電話できる若者は幸せである。

マジで、今の環境の幸せを噛み締めてほしい。


いま当たり前の幸せがあるのは、先人たちがたゆまぬ努力で技術革新を積み重ねてきたからだ。

昔は自分の携帯電話で夜中まで電話することなど、夢のまた夢だったのだ。


「相手の声がいつでも聞ける」

そんな今の時代にもっと幸せを感じてほしい。

そしてできるならば、次の若者のために、もっと楽しい未来を一緒に作っていこう。

メール問い合わせ

「メール問い合わせ」とは、「届いていないメール」がないかドコモのメールセンターに確認する行為である。


彼女にメールを送っても全く返ってこないことは多々あったが、そんなとき僕は1分に1回センター問い合わせを行っていた。

彼女が俺を無視するはずなんて無い。
ドコモの不具合でメールが届いていなかったに違いない、と勝手にドコモを悪者にしていたのだ。


しかし現実は厳しい。

ドコモは不具合など起こすことなく、ただ単にメールをスルーされていただけだった。

既読スルーは昔からあったのである。


関連記事:「久しぶり。元気にしてる?」の既読スルー率は異常。


今ではメールなど仕事以外では使わないが、相変わらず既読スルーばかりである。

時代は変わり、テクノロジーが進化しても、人間自体はあまり進化しないことがよくわかる。


チェーンメール

携帯電話が流行り始めた頃、チェーンメールと呼ばれるメールが転送されてくるようになった。

人から人へメールを転送して、鎖のようにつながっていくのが由来である。


メールの内容は「あるあるネタ」が多く、最後に「友達5人に転送してね」みたいな文言が添えられている。

僕は当時から圧倒的に姑息だったため、チェーンメールを不埒な目的で使っていた。

回ってきたチェーンメールの末尾を偽装し、


「特別だと思う相手に転送してね☆」


と書き換え、可愛い女の子にだけ転送したのだ。

高校生にとって、面と向かって「可愛い」とか「好きだ」というのは大変リスクが高い行為であった。

そんなリスキーな「好意を伝える」という行為も、チェーンメールを使えばオブラートに包んで伝えることができる。

時々、音楽付きの「メロディメール」が送られてくることもあった。

僕はその音楽メールも可愛い子に転送した。


「気になる人に転送してね☆」


と末尾を偽装して。

不思議なことに、僕から可愛い子に送ったチェーンメールは多々あるが、僕に回ってくるチェーンメールは男からばかりであった。

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その他にもたくさんの文化があった。

  • 写メール
  • 自作着メロ
  • ドコモ絵文字

などである。

僕たちはあの頃を全力で生きていた。

青春の真っ只中だったのだ。

きっと大人からすると意味がわからないことに夢中になっていたんだと思う。

それでも楽しかった。

毎日がキラキラと輝いていた。

あの頃の1年間は、今の5年分の密度があったように思う。

俺はこんな大人になりたかったのかな。


......長くなった。

最後に忘れられない「匿名メール」のエピソードを紹介して記事を終わりたい。

匿名メール

匿名メールは破壊的なテクノロジーであった。

破壊するのは既存の技術とかではなく、人間関係である。


「匿名メール」というサイトを使えば、他人のフリをしてメールを送ることができたのだ。

メールのヘッダが簡単に偽装できた時代ならではのエピソードである。


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この匿名メールが衝撃的だったのは、イタズラをした人が誰だか全くわからなかった点だ。

誰かのメールアドレスを勝手に使って、勝手に知らない女の子のに告白する

という嫌がらせが多発したのだ。

知らない間に好きな子に告白されて、いきなり「ごめんなさい」とメールが届くのだ。


完全にテロである。


匿名メールはいつの間にか「押してはいけない核爆弾のスイッチ」のように扱われるようになった。

誰かが使ったら、他の誰かに復讐される可能性もある。

ボタンを押せば世界が崩壊するテクノロジーだった。


しかし、今思えば。

今思えば、振られることなんて大したことなかった。

誰かが僕のメアドで匿名メールを送ってくれていたら、人生が変わっていたかもしれない。


もし高校生の人がこのブログを読んでくれていたとしたら、おじさんのアドバイスを聞いてほしい。

「好きな子がいたら、振られることを恐れずにアタックせよ」

大学生も同じだ。アタックしよう。


そのとき振られてヘコんだとしても、大人になったら1ミリのダメージもなくなっている。

可能性に挑戦しなかったことの方がずっと悔やまれることなのだ。


おっさんにとっても同じことが言える。

人生で一番若いのは今なのだから、やりたいことや望むことは全力で掴みにいったほうがいいはずだ。

いまリスクだと思っていることは、遠い将来から見たらリスクでも何でもないことなのだから。