久しぶりに見返したmixiが耐え難いほどエモかった。
こ、これを見てくれ。
2006年まで遡ってmixiのメッセージを見返してみたんだ。
そしたら半分くらい退会してた。
でも、中には付き合ってた子とのメッセージとか、ワンチャン狙ってた子にひっそりと送ったメッセージとかが残ってて、そのあまりの生々しさに目を覆いたくなった。
当の本人は隠したつもりだったのかもしれないが、12年経った今、改めて見返すと隠しようのない助平心が滲み出ている。
mixiは黒歴史の掃き溜めであった。
と同時に、もう二度と取り戻せない青春の記念碑でもある。
2000年代半ば。
僕たちはmixiの熱狂の中にいた。
誰もがmixiをやっていた。
大学の図書館にあるパソコンルームに入ると、画面のほとんどがオレンジ色に染まっていた。
夕暮れではない。
mixiである。
「誰かに招待してもらわないと入れないソーシャル・ネットワーキング・サービス」
という響きがどこか秘密の隠れ家のように聞こえて、次々と「マイミク」が増えていった。
あの頃の僕たちは、mixiと共に青春を過ごした。
mixiに汚染された大学生活はオレンジデイズと呼ぶにふさわしいものであった。
平成が終わろうとしている今、改めて10年前の自分を振り返り、mixiの思い出をここに残しておきたい。
この記事は僕が次世代に向けて送るバトンである。
あしあと
mixiには「あしあと」と呼ばれる機能があった。
「あしあと」を辿れば、誰が誰のプロフィールを見たのかがわかるのである。
これは非常に便利な機能であると同時に、恐ろしい機能でもあった。
可愛い女の子のページを何度も覗いていたら、すべてバレてしまうのである。
あまりにも「あしあと」を付けるのがバレすぎてしまうせいで、mixiブームの後期には「足跡を消す機能」が登場したくらいだ。
この「あしあと」
付けてもらう分には都合がいい。
「足跡から辿ってきました〜☆」
みたいなメッセージを送ることができる。
問題は、自分の助平心が隠しきれない点だ。
僕レベルの「踏み逃げの達人」になると、元カノのmixiページに足跡を残し、可愛い女の子にも足跡を残し、気になる子にも足跡を残した。
ワンチャンを狙い、足跡を残しまくった末に送られてきたメッセージがおそらくこれである。
「なんかやたら足跡あるから不審だったよ」
そう、僕は不審者だったのだ。
そしてその上の「もじもじかぃ(笑)」が何を指しているのかは今では全くわからないし、わかりたくもない。
何かにもじもじしていたに違いないが、触れないでおきたい。
それはそうと、ドコモっぽい絵文字と小さい平仮名の「ぃ」に歴史を感じるのは僕だけだろうか。
昔は手の平の絵文字だったり、汗の絵文字だったりがよく使われていたのだ。
ちなみにツイッターのDMではこういうエモいやり取りは全くないどころか、マジで全然DMが来ない。
僕はいつだって、もじもじする覚悟はできているというのに。
初めてのオフ会で人生最高の美女
大学時代から日記に人生を懸けていた僕は、mixiの日記に下ネタを書き散らし、一部でカルト的な人気を博していた。
今でいうとFacebookにツイッター的な下ネタを投稿しまくるイメージである。
確実に頭がおかしい。
それでも中には下ネタを受け入れてくれる人もいて、一部の人はコメントを残してくれた。
そのコメントを残してくれた、とある女の子のプロフィール画像のプリクラが、めちゃくちゃに可愛かった。
mixiに...こんな美女...!?
一体どういうことだってばよ...と思いながらも、何かと理由をつけてコメントを返し、日記のコメントを通じて親睦を深めた。
ある時、
「旅行してくるからお土産を渡したいでござる」
という体のいい言い訳を用意して、なんと、人生で初めてのオフ会的な出会いが実現した。
そのときのメッセージのやり取りがおそらくこれである。
なんだろう。
いま振り返ると微妙に頭が緩い感じがしてならないが、顔が可愛すぎてそんなことはどうでもよかった。
ゎーぃ。かゎぃぃ子に会ぇる!という気分だった。
待ち合わせの前にその子のプロフィール写真を100回は見返したものだ。
ターミナル駅で待ち合わせたmixi女子。
100メートル離れた場所から見ても一瞬でわかった。
可愛すぎて、後光が指していたのだ。
天女かと思った。
その子の元に駆けつける僕のスピードは、ウサイン・ボルトを遥かに凌駕していたことだろう。
男女の出会いは最初の一言が肝心だ。
爽やかな笑顔で、心を掴むんだ。
下ネタばかりのmixi日記とのギャップを演出するんだ───。
<脳内>
(やあ、こんにちは!はじめまして!会えて嬉しいよ)
<現実>
「あ......が.......ま......」
可愛すぎて言葉が出ない。
出会い頭から不審者となってしまった。
日記ではあんなに流暢に語っているのに、実物はただのキモオタじゃないか...!
しかし僕はこのときから、インターネットの出会いには無限の可能性が眠っていると信じ切っている。
「ネットの出会い」は怪しい響きもあるが、稀に人生で出会ったこともない天使が現れることだってあるのだ。
ちなみにこの天女との出会いでは、終始ペースを握ることができず、何一つ気の利いたことも言えずに終わってしまった。
今でもFacebookの友達としてひっそりとつながっているが、30歳を過ぎてもなお、容姿が衰える様子はない。
31歳の石原さとみが美女であるように、35歳の深キョンがセクシーであるように、美女は何歳になっても美女なのだ。
美しさは年齢ではないのだ。
紹介文ブランディング
プロmixiプレイヤーにとって、紹介文は命とも呼べるほど大切なものであった。
紹介文をブランディングすることは、イメージアップに不可欠だったからだ。
なので僕は紹介文で悪口を書かれるたびに「紹介文を削除」ボタンを押して無慈悲に削除していた。
その姿はさながらデスノートのようであった。
友達を紹介文で褒めまくることで自分も褒めてもらえるように誘導し、後輩に学食でラーメンを奢ることで、紹介文に「イケメン」と書かせることに成功した。
インターネットはブランディングが命である。
そんなことはわかっていたはずなのに、2018年になった今、ツイッターのブランディングに失敗している自分がいる。
歴史を振り返ってわかるのは、人間は歴史から何も学ばないということなのだ。
他の女の子につけたコメントを彼女に発見される
僕はmixiが大好きで、mixiの中で生きていたといっても過言ではない。
そんな僕はしばしば、mixiによって殺されそうになった。
彼女に下心を見抜かれたのである。
「XXくん、このコメント気持ち悪い!」
と突然、携帯電話の画面を見せられ、そこには僕が可愛い女の子につけたコメントが。
「あからさますぎて、何か企んでるのすぐわかるから!」
......なんということだろう。
巧妙に隠したはずの浮気心は容易く見破られ、改めて女の第六感の鋭さ、的確さに恐れおののいた。
その後から僕は公の場でコメントするのを控え、こっそりとメッセージを送る作戦に切り替えたのは言うまでもない。
SNSは人間と人間をつなげると同時に、人間関係を壊すきっかけにもなり得るのだ。
不用意なコメントには十分に注意しなければならない。
余談だが、「ミクシィ友達がほしい人集まれ☆」みたいな名前のコミュニティから下心がバレることもあった。
ツイッターでは「いいね欄にその人の本質が現れる」と言われているが、mixiでは「コミュニティ」に人の本質が反映されていたのだ。
怪盗ロワイヤル
mixiブームが終わりに近づいた頃、「mixiアプリ」が流行った。
そこで多くの人がハマっていたのが、
「怪盗ロワイヤル」
という携帯ゲームである。
例に漏れず僕も夢中になって、暇があればポチポチとクリックしていた。
怪盗ロワイヤルの中毒性は凄まじかった。
ちょっと携帯電話を見ない間にいつの間にかアイテムを奪われていたりで、目が離せなかった。
ある日、
「おい、お前。ふざけるなよ」
とメッセージが届いたこともある。
僕が怪盗ロワイヤルでボコボコにしまくった人からの脅迫メッセージが届いたのだ。
若干記憶が曖昧ではあるのだが、この時期の僕たちは携帯ゲームにハマっていた人が多かったように思う。
モバゲーやグリーには手を出さなくても、mixiゲームはやっていたという人も多いだろう。
思えばこの怪盗ロワイヤルブームが、消えゆくmixiの最後の灯火だったのかもしれない。
mixiのオワコン化は本当に寂しい
Facebookが日本で流行り始めた頃、多くの人は
「実名で顔出しのSNSは日本では流行らない」
と言っていた。
僕もそう思っていた。
しかし、Facebookは津波のように日本のSNSユーザーを取り込んでいった。
今では実名が流行らないどころか、多くの人がInstagramに顔写真をアップし、TikTokで踊り、Facebookに仕事の話を描き込んでいる。
mixi時代は実名で登録している人は少数で、フォトアルバムも「マイミク」に限定された範囲でしか見ることができなかった。
リアルでありながらも、どこか秘密めいた場所のようなトキメキがあった。
Facebookは「人の顔」と「名前」をオープンな世界に開放してしまったように思う。あの秘密めいたトキメキと一緒に。
それと同時に、匿名と実名が曖昧な、リアルな人間関係でつながっていながら気軽に発信できるような、mixiのような居心地の良い場所はなくなってしまった。
僕はmixiが好きだった。
周りにもmixiが好きだった人はたくさんいたと思う。
昔の友だちと飲みに行くと、
「mixi面白かったね」
という話が出ることもある。
「また流行らないかな」
「今はもう誰もログインしてないよね」
今やインターネット上の巨大な廃墟となってしまったmixiだが、栄華を極めた頃の姿は今でも鮮明に思い出すことができる。
ツイッターみたいな戦争もなく、かといってFacebookのような息苦しさもない。
あの居心地の良いmixiのような空間がもう一度誕生しないかな、と願ってやまない。
ちなみに僕より若い世代の人はmixiではなく「前略プロフィール」でつながっていたことは忘れずに書き留めておきたい。
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