ツイッターには「クソリプラー」と呼ばれる人々がいる。
通常のリプライとクソリプの区別は主に受け手の主観によるのだが、クソリプラーに共通する特徴は以下のようなものである。
- 元ツイートを読まず、自分の言いたいことだけを書き残す
- 妙に攻撃的で偉そう
- なぜか上から目線
- 礼儀知らず
- 他人と「対話」する気がない
- 相手の気持ちを考えない
- ツイート内に有用な情報はなく、自己満足のためだけにリプを飛ばす
もちろん、ツイッタラーによってはFF外(フォロー・フォロワー外)からのリプはクソリプと考える敏感な人もいて、クソリプの判断基準を明確に定めることはできない。
しかし、どんなクソリプラーであれ、議論を交わすのは時間の無駄だ。
クソリプラーと闘っても得られるものは一つもなく、あとに残るのは徒労感と敗北感だけなのである。
ツイッターでウザ絡みしてくるおっさん垢に筋道立てて反論する必要なんてなくて、たった一言、
— ヒデヨシ (@cook_hideyoshi) 2018年11月3日
「お前、絶対モテないだろ(笑)」
と返して後はミュートで大丈夫ですよ。
「お前絶対モテないだろ」は「お前の母ちゃんデベソ」くらい根拠はないですが、意味不明のダメージを与えることができます。
ところで、クワガタに「ノコギリクワガタ」や「ミヤマクワガタ」といった種類があるように、クソリプラーもその特徴によっていくつかに分類することができる。
以下、クソリプラーの分類と対策を考えてみたい。
ただひたすら暇な人
一番多いのは「暇人」に属する人である。学名は「ヒマナクソリプラー」
「そんなことを言っても、そもそもツイッタラーの多くが暇人だろう」と言われると「そうだ。間違いない」と頷いてしまうのだが、クソリプラーは暇なツイッタラーの中でも輪をかけた暇人だ。
「ヒマナクソリプラー」はとにかく寂しがり屋である。
クワガタというよりはウサギに近い。
彼らのクソリプは「構ってほしい」の裏返しだ。
リプに返信がついたら嬉々として喜び、議論を続けようとする。
議論を意味あるものにするためには、お互いに利害関係があって、共通の目的がなければならない。
ただの「言い負かし合い」に過ぎない論戦をツイッターで繰り広げることに全く意味はないのだ。
が、「ヒマナクソリプラー」はそもそも「暇つぶし」が目的であるため、意味がなくても議論を続けようとする。
昔の携帯電話で、メールの件名に「Re:」が増えていくことを喜んでいたときのように、彼らは重なるリプライに歓喜する。
結果、喜ぶのはヒマナクソリプラーだけで、議論多くして得るものはなく、時間を無駄にしてしまったという残念な気持ちだけが残るのだ。
<ヒマナクソリプラーへの対処法>
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持論を強化したい人
自分がこだわっている主義主張があって、その持論を強化するために他人にリプを飛ばす人がいる。
彼らは道場破りでもするかのように「持論」という看板を引っさげ、他人に論戦を挑もうとする。
こっちはお前の持論などどうでもいいのに、なぜか自分のタイムラインだけでは満足せず、他人のタイムラインに介入しようとしてくるのだ。
彼らの学名は「リプデロンパラー」である。
「リプデロンパラー」は自分の主張を世の中の人に聞いてほしくて仕方がない。
「この俺が正しい」
「この俺の話を聞けぇ」
という鬱屈した想いが、彼らがリプライを送るモチベーションなのである。
彼らには他人の意見を取り入れ、自らの意見を止揚させる能力はない。
とにかく自説が一番大切で、自説以外に価値はなく、他人は自説を持って論破する対象に過ぎないのだ。
だから、「リプデロンパラー」と議論をしても意味がない。
他人の意見など最初から聞く気がない相手と議論をしても、最終的には揚げ足の取り合いに終わり、恨みしか残らないからだ。
そもそも我々は、会ったこともない、見たこともない、利害関係もない他人から意見を投げられたとしても、自分を変えるようなことはしないのだ。
<リプデロンパラーへの対処法>
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敵を屈服させることに快楽を覚える人
現実世界で不満が溜まっている人の一部には、ネットの世界で他人を屈服させることでプライドを満たそうとする人間がいる。
他人を見下し、自分が正しいことを証明しないと、彼らは自尊心を保つことができないのだ。
絡まれた方はたまったものではないが、彼らにとっては他人の迷惑などどうでもよい。
自分のことが一番で、インターネットで正義を振りかざすことに快感を覚え、自分の意にそぐわない相手を叩きのめすことを生きがいとしている。
そんな彼らの学名は「クソリプデジイ」
自分の快感のために他人を叩くという恐ろしい特徴を持つ、危険種である。
橘玲先生の『朝日ぎらい』では、道徳的な不正を働いた人間をバッシングすることで快楽を得る人間がいることを指して、
「正義は快楽である」
と述べた。
正義依存症のネット民は、芸能人の不倫や失言を叩くことで脳からドーパミンが放出され、ドラッグを摂取するのと同様の快楽を得ているのだという。
「クソリプデジイ」も同様に、ネットで「自分の正義」に合わない人間を叩き潰すことで快楽を得ているのである。
<クソリプデジイへの対処法>
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下心を隠せない人
すまん。これは私である。
冷静に感情を消して、ツイッターを客観的に観察してみると面白い。
モテなそうなおっさんアカウントが女子垢のツイートにぶら下がり、日々
「大丈夫?」
「俺で良ければ話を聞くよ」
「元気だして」
「かわいいよ」
などのリプを送っている。
彼らを学名で「リプデラブレター」という。
私自身、何度もリプでラブレターを送り、毎回スルーされることで気付いたのだが、聞いてくれ。
俺たちが必死で隠したつもりの下心は、バレバレだ。
ラブレターを届けた女子垢にも、周りでリプライを観察している人にも、全ての下心はバレている。
そしておっさんアカウントが丁寧に心を込めて送る「優しいリプライ」は、悲しいことに「キモイ」と思われているのだ。
俺たちだって、太ったオバタリタン的な中年女性から誘惑されたら「キモイ」と感じてしまうだろう。
相手にとってのそれが、我々なのである。
書いていて心が苦しい。
なぜ俺は、ネットでもこんなにモテないのか。
なぜ誰からもDMが来ないのか。
フォロワーが増えてもそれがアカウントの魅力であるとは限らない。
もっとイケメン風に、会って楽しそうな人のように、ネット上の自分を「ブランディング」するのが大切なのだ。
<リプデラブレターへの対処法>
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全てをクソリプと判断してはいけない
さて、ここまで色々とクソリプラーを分類してきたが、「リプライを受ける側」としても気をつけなければならないことがある。
たしかに、多くのクソリプは議論に値せず、無視するのが最適解となるのだが、全ての反対意見をシャットアウトしてしまうと、ネット上で裸の王様になってしまう恐れもある。
とあるアルファブロガーは否定的な意見を全てブロックし続けて、周りに自分を持ち上げる人しかいない快適な空間を作り上げていた。
その結果、主張はどんどん独りよがりになっていき、頓珍漢な発信となることが増えてきたのだ。
会社で年をとると叱ってくれる人がいなくなるように、フォロワーが増えると反対意見を言ってくれる人も少なくなる。
まともな人は、フォロワーの多いアカウントに辛辣な反対意見を飛ばしても自分が得しないことをよく知っているから、いちいち間違いを指摘はしない。
そうすると、リプを飛ばしてくるのは「やばいクソリプラー」だけになって、受け手側も「リプライを飛ばす人は敵」と考えてしまいがちなのである。
他人の意見によって自分の主義主張を曲げる必要は無いが、批判に耳を傾ける心の準備はしておいてもいい。
議論をする必要はない。
「こういう意見もあるんだな」
「世の中の人はこう考えるんだな」
と、批判を参考にする意識だけあれば、「ネット上の裸の王様化」はずいぶん防げるように思う。