僕たちはみんな「楽しく仕事しなければいけない病」にかかっているのではないか



学生の頃読んだ小説の最後に、こんなセリフがあった。

少しだけ長いが、僕の心にずっと残っている素敵なセリフなので、読んでみてほしい。


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卒業式は本当に淡々としていて、相変わらず僕は、さめた思いで式の進行を眺めていた。

ただ、式の最後、学長の言った台詞は印象に残った。くどくどと話をしない主義なのか、学長は、卒業おめでとう、という趣旨のことを簡単に言った後で、


「学生時代を思い出して懐かしがるのは構わないが、あの時はよかったな、オアシスだったな、と逃げるようなことは絶対に考えるな。

そういう人生を送るなよ」

と強く言い切った。

そして最後にこう言った。


「人間にとって最大の贅沢とは、人間関係における贅沢のことである」


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学生時代を振り返って、あの時はよかったな、みたいなことを考える社会人は負けだと思っていた。

それは僕の心の奥に深く刺さっていた言葉であり、強力な呪いでもあった。


偉い人はいつも、こんなことを言う。


今を一番楽しめない社会人は負け組である。

仕事が楽しくないのは、情熱が足りないからだ。

不満を感じるのは、実力が足りないからだ。

仕事を楽しくしたいなら、自分から動いて、周りに働きかけなければいけない。

若手の頃から「経営者意識」を持つことが大事なんだ────


学生の頃から意識が高い本を何冊も読んで、上に書いたような思考が正しいものと思い込んで生きてきた。

でも最近になってやっと、少し冷静に自分を見つめることができるようになってきた。


ちょっと待てよと。


本当に仕事、楽しいか?


意識の高い人や、いわゆる「すごい人」はみんな、

「学生よりも社会人の方が楽しいに決まってる」

と自信満々に言い放ち、「社会人を楽しめていないやつはダメなやつ」みたいな雰囲気を醸し出してくる。

でもちょっと待てよと。

俺は偉くもないし、別の優秀でもなければ特別な仕事をしているわけでもない。

普通のサラリーマンだ。

普通のサラリーマンにとって仕事とは......

どう考えても、どんなに頭を悩ませても、やっぱり思ってしまうのだ。


サラリーマンより大学時代の方が楽しかったに決まってる。


そんな当たり前の事実に気づくのに、僕には7年以上かかった。

当たり前だ。

そんな当たり前の事実から目を背けて、仕事が楽しくないのは自分の意識と実力が足りないからだと自分に言い聞かせてきた。


でも楽しくないものは楽しくない。

それはそれで仕方ないのだ。


学生時代は自由だった。

時間があった。

自分でやることを自分で選ぶことができた。

会いたくない人には会わなくてもよかったし、会いたい人には会いに行く時間があった。

寝たい時に寝て、遊びたい時に遊び、学びたい時に学んだ。


最高に楽しかった。

どう考えても社会人よりも楽しい。

当たり前だ。当たり前すぎるよ......。


なのに意識の高い人や偉い人はみんな、「学生よりも社会人のほうが楽しいに決まってる」などと言う。

面接でも会社説明会でも人事の人は当然のような顔をして「社会人は楽しいよ♡」って言ってた。


みんな本当にそう思っているのか?

そう思いたいだけじゃないのか?


「社会人は学生より楽しい」と嬉々として話す普通のサラリーマンの半分は、「社会人とは楽しそうに仕事をするべきである」という社会通念的なものに屈して現実を歪めているだけなんじゃないか?


本気で楽しいならそれでいい。

それを否定することなんてできない。

むしろ羨ましい。おめでとう!


でも、つまらないものはつまらないと正直に認めないと、ずっと自分に嘘をつき続けることになる。

黒いものを白いと思い込んでいるうちは、いつまでも問題の本質は見えないのだ。


「つまらないものはつまらない」

「今の仕事は楽しくない」

それが事実であるなら、ちゃんと事実として認めないと。

事実を認めてからが対策スタートなのである。


「今の仕事がつまらない」を認めてからがスタート

人間にはコントロール欲求がある。

「自分のやることを自由に選びたい」

という欲求だ。

コントロール欲求がどれくらい高いかは人それぞれだが、僕は基本的には自由であることを好む性格である。

会社員は自由と対極にある。

指揮系統が明確にあって、期待される成果がある。

組織の目的に合わせて、組織に求められる形で業務を遂行しなければならない。

組織の枠を飛び出して活躍できる人間がブランド人になったり芸人と殴り合ったりしているが、そんな風に自由な立場に立てるサラリーマンはそれほど多くないことはみんなわかっている。

成功者が自由なのは、圧倒的な成果を残したからである。

彼らは言う。


「チャレンジしないやつが、ごちゃごちゃ言うな。

嫌なら辞めろ」


彼らの言葉は凡人の心にまっすぐ響き、うだつの上がらないサラリーマンを惹き付ける。


「俺も自分らしく生きたい」

「私もブランド人を目指そう」


そう決意する人は後を絶たない。

しかし、実際に決意したところで、組織を飛び出し活躍できる人はごく一部だ。

多くの人は意識だけ高まって、現実は何も変わらず悶々としているのではなかろうか。

意識の高まりに現実がついてこない場合、僕たちは現実を歪んだ目で見てしまいがちだ。


「仕事、めっちゃ楽しい」

「ワクワクする」

「死ぬこと以外かすり傷」


こうやって自分に言い聞かせる。

目の前の仕事は変わらなくても、意識だけはスーパーサラリーマンに昇華するのだ。


自分に嘘をついてはいけない。

どんなに意識が高まっても、楽しくないものは楽しくない。


それを認めて初めて、

「おもしろき こともなき世を おもしろく」

するためにはどうしたらいいかを考えることができるのだ。

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業務を変えるように上司に働きかけてもいい。

転職するためのスキルを磨くのもいい。

会社員が向かないなら独立する、という選択肢もある。

たくさんの道があるのだ。

目の前の選択肢を鮮明にするためにも、現実を歪めてしまってはいけないのである。


僕たちは「楽しく仕事しなければいけない病」にかかると、どうしてもパワープレイに走りがちだ。

今ある業務をなんとかして楽しくしよう。

今の環境を改革しよう。

俺が会社を変えて英雄になるんだ、と。


素晴らしい心がけだが、人生は投資と同じで損切りが大切だ。

ダメなものには見切りを付けて、再スタートする権利もあるのだ。


ダメだったものはダメだと認めて、

「あー失敗したな、次どうしようか」

と、次の対策を考えるところからやり直したって別にいいのである。