昔々、李徴というものすごく頭の良い美男子がいました。
しかし彼は自意識過剰で、自尊心が高く、とにかく自分は特別な人間だと思いこんでいました。
彼の才能が評価されて、ちょっといい感じの公務員に任命されたのですが、彼は凡庸な人間で終わるつもりはありません。
自分は特別だと思い込んでいる李徴は当然、公務員の内定を蹴り、詩を書いて100年先の未来に自分の名を残そうと企みます。
しかし李徴の自尊心と裏腹に、世間の評価はそれほど甘くはありません。
全然詩が売れないのです!
妻子を食わせるだけの稼ぎもなく、しょうもないニートに成り下がった李徴は、ついに貧窮に耐えられず、会社勤めをはじめます。
会社員として1年頑張った後、李徴は発狂してしまいます。
...。
.......。
そうです。
李徴は虎になっていたのです。
ある日、李徴の友人の栗輪(クリリン)という男は、部下を引き連れて「人食い虎が出る」という林の中に入っていきました。
そのとき、一匹の猛虎が襲いかかってきたのです。
が、虎はくるりと身を翻し、草むらに身を隠しました。
「あぶないところだった」
虎はブツブツとつぶやいています。
「ま、まさか李徴!?」
栗輪は訊ねました。
「いかにも、私は李徴である」
李徴はかつての親友に頼みました。
ほんの少しでいいから、話をしてほしい。
栗輪は頷きます。
李徴は一日のうち、わずかな時間だけ人間に戻ることができるのです。
それでもいずれ人間の自我は失われ、完全に虎になってしまう日がくるでしょう。
その前に李徴は詩人として世に何かを遺したかったのです。
栗輪は虎になった李徴が詠む詩に感心しながらも、どこか物足りない気がしていました。
そんな様子を察してか、李徴は自嘲気味に笑います。
ここからが山月記の教訓です。
「自分は故郷で神童扱いされていた。
そんな私に自尊心がなかったとはいわない。
でもそれは、臆病な自尊心というべきものだった。
詩によって名を成そうと思いながら、進んで師に就いたり、詩友と交わって切磋琢磨に努めたりすることをしなかった。
かといって、俗物となって黙って会社員をやる人生も良しとしなかった。
両方とも、自分の臆病な自尊心と、尊大な羞恥心のせいである。
次第に世の中から離れ、人と距離を置き、憤悶と慙恚、すなわち怒りと恨みによって自分の中の臆病な自尊心を膨らませていった。
人は誰だって猛獣使いなのだ。
その猛獣にあたるのが、各人の心である。
私の場合、この尊大な羞恥心が猛獣だった。
これが自分を蝕み、妻子を苦しめ、友人を傷つけ、自分の姿を内面にふさわしい虎に変えてしまった。
私は才能がないことを認めるのが怖くて、挑戦を怠ってしまった。
自分よりも才能がない人間も、一心不乱に才能を磨いたおかげで立派な詩家となった者がいくらでもいるのだ。
虎となって初めて気付いたのだ」
最後に李徴は親友に「妻子のことをよろしく頼む」と言った。
「本来ならば詩を残すことよりもまず、妻子のことをお願いするべきだったのだ。
飢え凍えようとする妻子のことよりも、己の乏しい詩業を気にかけているような男だから、こんな獣に身を落とすのだ」
李徴は自嘲気味に笑いました。
李徴が自我を保つことが難しくなってきたので、栗輪はその場を去りました。
しばらくして後ろを振り返ると、一匹の虎が月に向かって吠えていました。
まるで山月記でしたね。
— 田端信太郎 @田端大学塾長である! (@tabbata) 2019年1月12日
臆病な自尊心と尊大な羞恥心。
そして虎になってしまった。。。 https://t.co/eTVOyCAinW
登場人物を勝手にクリリンにしたり、色々と文章をいじくっているので、原著が気になる方は上の青空文庫から読んでみてください。5分くらいで読めると思います。
高校だか中学の教科書で読んだときはあんなに眠かったのに、社会人になってから読むと、
「俺、李徴やん!?」
と身につまされる気がして、面白いです。
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