匿名アカウントとリアルの自分との境界線が溶ける瞬間



2014年11月にツイッターアカウントを作ったとき、僕はアカウントの匿名性を完全に維持しようと考えていた。

今では「料理アカウント」としてレシピを紹介するような平和なアカウントを運営しているが、元々はいかにしてモテるかを研究するためのアカウントだった。

当然、性の話は匿名だからこそできるものもあり、普段関わるリアルの友人に知られたくないものでもあった。

リアルとの人格がかけ離れているというわけではなく、単にいい年して未だに「モテ」だのなんだの語っているのがバレるのが恥ずかしかったのだ。

あと、会社の中ではそういう話は一切しないので、その辺の人々にバレるのも嫌だった。
だからなんとしても、匿名性を守り抜こうと考えたのだ。

しかし万が一、匿名性が破られたときのために、一つだけルールを作っておいた。


「リアルで言えないことはネットにも書かないようにしよう」


それがいつか自分を守ってくれると信じた。



ツイッターの匿名性が曖昧になり始めたのは、ツイッターを通じて人と会い始めてからだと思う。

ブログを書いていたらフォロワーが1000人くらいになり、

「会いませんか?」

というダイレクトメッセージをもらった。

古い世代の人間なのでネットで知らない人に会うのは怖かったが、自分よりフォロワーが多い人だったし、なんとなく信頼できそうなので初めて人と会うことにした。


人と会うことで、匿名の自分とリアルの自分に接点ができる。

オフ会に代理の人間を寄越すわけにはいかないのだ。

人と会ってしまえばもはや完全なる匿名アカウントではない。


少なくとも会った人には「このツイートをしている奴はこんな顔をして、こんな声だった」というのがわかってしまう。

言うまでもなく、リアルとアカウントで距離がありすぎると会った人には笑われてしまうので、リアルとかけ離れたことはネットで言えない。

リアルとの接点ができた時点で、僕はツイッターアカウントの運用に一つルールを付け加えた。


「リアルの自分よりもネットの自分を大きく見せることはやめよう」


人間というのは色々な面がある。

同じ人間でも「モテ期なんじゃね!?」と有頂天になる時期もあれば、あまりに振られすぎて絶望的な気分になる時期もある。

ツイッターでいつもキラキラしているように見える人でも人知れず悩みを抱えていたり、うまくいかない問題に苦しんでいたりするのだ。


ツイッターでは自分のダメな面にフォーカスを当てよう。


自慢に聞こえそうなことはあまり語らず、失敗を笑い話にして語ろうと考えた。
そうすれば誰も不快な気分にさせずに済むかなという下心もあった。

匿名で始めたアカウントのはずなのに、アカウントは自分と切り離された存在であるはずなのに、嫌われることを恐れるなんて。

全然匿名で好き放題ツイートできてないじゃんと不思議な気分になった。
でもおかげで、ネットでイキリ散らさずここまでこれたのだと思う。

時々炎上するけど、今のところ無事に生き延びることができている。


ツイッターを長くやっていてもネットは相変わらず怖いので、なるべく人に会わないようにしていた。
しかしツイッターの世界にハマっていくにつれ、どうしても抑えきれない興味が湧き出てくる。


この面白そうな人がどんな人なんだろう?
この人はきっと、魅力的な人に違いない。


ツイッターで面白いなと思っていた人が参加するオフ会に顔を出すようになって、さらに匿名性が薄れてきた。
めったに飲みに誘われたりはしないけれど、誘われた飲み会にはできるだけ顔を出すようにしていたら、もはやアカウントとリアルの境目がよくわからなくなった。


俺は「ヒデヨシさん」なのか?


アカウントが「他人事」ではなくなり、リアルの自分以上にリアルな存在になっていった。
ネットの10人会ったらもはや匿名アカウントではいられなくなるだろう。

そのアカウントは匿名ではなく、リアルだ。

リアルであるなら、人間関係は大事にしなければならない。
不用意に喧嘩してはいけない。
時には我慢も必要だ。
だってその世界はリアルの延長上にあるのだから。


インターネットで長く発信を続けると、どうしても「リアルの自分」が滲み出てくる。
完全なるフィクションを描き続けられる人は天才だ。

普通に何かを書こうとすると、どうしてもリアルの自分の活動に影響を受ける。
ネタ元はいつだって、リアルの生活なのだ。


人と会って匿名性が薄れ、発信を続けていると、次第にリアルの自分が漏れていく。

そうやってリアルと匿名アカウントの境界線が溶けていって、「匿名アカウント」と「自分」が同質化していく。


ツイッター上で動いているのは、名前だけ架空のものに変えた自分自身だ。
だから他人に叩かれると苦しい。それは自分の姿なのだから。

長年運用したアバターであるツイッターアカウントは非常に思い入れの深いものだ。
たまにアカウントを消してしまう人もいるが、僕がもしアカウントを消さざるを得ない状況になったら、四肢を削られるような気分になるだろう。

ツイッターアカウントはもはや自分の一部なのである。
リアルの自分を拡張したものだともいえる。

そのレベルでアカウントと自分の境界線が曖昧になってしまったら、もはやネットで下手なことはできない。

自分にできることは美女をリツイートすることくらいになってしまった。


しかしアカウントがリアルに近づいて下手な発言ができないからこそ、むしろ人のために何かを頑張れるという側面もあり、
これからは良質な暇つぶしを提供したり、役に立ちそうな情報を提供したり、便利なアプリを作ってみたり、様々なリアルの活動をネットにフィードバックすることで、フォローしてくれている皆様に貢献したいなと思う次第である。


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