日本の労働生産性が低い理由



2019年3月6日の日経新聞「経済教室」で日本の労働生産性が低い理由についての滝沢美帆教授の分析が掲載されていた。
2017年の日本の一時間あたりの労働生産性(労働1時間あたりの付加価値額)は47.5ドルで、経済協力開発機構(OECD)加盟36カ国中20位だった。

日本の労働生産性は米国の3分の2の水準で、データ取得可能な1970年以降、主要先進7カ国では最下位の状況が続いている。

労働1時間あたりの付加価値額が労働生産性として計測されているので、サービス残業が多い日本企業の実際の労働生産性はさらに低いのかもしれない。

とりわけサービス産業分野の生産性水準が欧米と比べて低いようだ。


滝沢美帆教授の分析によると、現在の日本の低い労働生産性は大きく2つある。

ひとつは中小企業を保護した結果、経済全体の生産性水準を下げているというもの。
もう一つは生産性の高い大企業が国内での生産を縮小し海外展開を積極的に進めた結果、海外で生み出した付加価値は国内総生産(GDP)には反映されず、見た目上の生産性水準が低下しているというものだ。


生産性を下げる文化的背景

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データからマクロな視点で考察すると、教授の主張の通り、生産性の低い会社を保護した結果、生産性の低い企業が温存されてしまい、生産性の高い企業へ人材がシフトしていかないことが日本全体の生産性を引き下げているのだろう。

その一方で、僕の個人的な視点で生産性が低くなってしまう原因を考えてみた。

僕は多くの企業を渡り歩いてきたわけではなく、経験も限られている。
そのため、僕個人の考えが日本全体に当てはまるわけではない。
なので、ここからの主張は個人の主観に過ぎない。

僕は今までずっと、
「なんで会社ではこんなに無駄なことばかりやるのだろう」
「なんでこんなに生産性が低いんだろうと」
と考えてきた。

働き始めてからおっさんになるまで、ずっとだ。

どうしてこんなに無駄なことをやるんだろう?
どうして誰も無駄なことを無駄だと言い出さないんだろう?

と疑問を持ち続けて、時にそれを改善しようと奔走し、時に「現状維持」の大きな力に屈して絶望した。


思うに、日本企業の生産性が低い理由は3つある。

ひとつ目は、過度な階級主義だ。
日本企業の人間が海外に出張して現地の人と商談し、現地人が日本人に「これ、やろうよ!」と提案すると、

「上の者に相談して折り返します」

と返事される、という笑い話はよく取り上げられる。

会社員になるまでこんな話は都市伝説かと思っていたのだが、実際に働いてみると思った以上によくある事象であった。

「持ち帰って○○さんに相談します」

という台詞をいい年した中年社員でさえも普通に発してしまう事情があるのだ。

自分が見てきた環境や友人から聞いた範囲でしかないが、このような「上の者に相談します」の背景にあるのは、現場の裁量の低さと責任を避けるマインドである。

現場で話している人に裁量があれば、自分で決めて自分で行動できる。その代わり自分で責任を取らなければならない。

しかしどうも日本の大きな企業は、文化的にヒエラルキーをものすごく大事にしていて、そのヒエラルキーに染まりきった人は1から10まで上司に相談しないと何も決められなくなってしまうようだ。

自分で責任を取る覚悟がないのと、そもそも自分で責任を取っていいのかもわからないのだ。

「上の者に相談」が必ずしも悪ではない。
しかしあまりにも現場に裁量がないと、

  • 「上の者」に相談する時間分のコスト
  • 「上の者」が交渉の内容をじっくりと理解して判断するコスト
  • 「上の者」の判断を現場に降ろして、そこから交渉を再開するコスト

など、全ての判断の場面でコストが積み増しとなる。

現場に裁量があって、その場で判断できればこんなコストはかからないのだ。
すべてを上の者に判断させる場合、「上の者」もいつまでも現場を細部まで理解しなければならない。

「判断を現場に任せて、最終的な責任を取る」

程度にすれば、もっと話が早く進むと思う。

ただ、ひどいおっさんの中には、「自分の頭で考えたくない」「自分が責任を取りたくない」という思考から上に相談したがる人もいる。

そういう人は何も付加価値を生んでおらず、労働生産性はゼロなのだが、日本の雇用規制に守られてクビにはならない。


ふたつ目は、過度の平等主義だ。
俺が苦労しているからお前も苦労しろという暗黙の空気はないだろうか。

周りが頑張っている中、さっさと帰るのは気が引けるから

「私にできることはないでしょうか」

と聞き、本質的に重要でない仕事をとりあえず任される、みたいな。

無駄だと思っている会議にも「みんなが参加しているから」という理由で参加を強制され、会議の8割は内職してるようなことはないだろうか。

僕の観測では仕事ができない人の方が平等主義を押し付けようとする傾向がある。

そういう人は「何を生み出したか」よりも「何をするか」の建前を重視するからだ。
結果にフォーカスしないといってもいい。

協調性が全く無いのは困りものだが、成果を生み出すために不要なものは削っていかないと、
いつまでも「みんなで苦労して、会議もみんなで出席しましょう」から抜け出せない。

会議だって時間がかかるのだ。
不要な会議を削れば、何かを生み出す作業に多くの時間を充てられる。

「みんなが出てるからとりあえず」的な会議を減らし、アマゾンのように

  • 会議に出席するのは「ピザ2枚分の人数」
  • ダラダラと報告するのではなく、先に必要な資料を読み、会議では意思決定にフォーカスする

みたいなルールを作れば、より生産性は上がると思う。

会社の文化は多数派が規定するため、生産性を上げようとする人が多数派にならないと無駄は削減できない。
多数派のマインドを変えていかなければならない。


みっつ目は、社会人になってからの不勉強である。
リクルートマネジメントソリューションズの調査によると、新人の半数、若手の6割、中堅の7割は「自主的な学習に取り組んでいない」という。

歳を取るにつれて学習時間は減少していき、中堅以上の年齢になると、(学習している人の中でも)学習に費やす時間は週に3時間以下となる。

正直言って、週に3時間以下の学習で何かを身に付けるのは難しい。

新しいテクノロジーが次々と登場し、必要なスキルも刻々と変わっていく中で、学ぶことをやめてしまったら生産性が下がるのは当然だともいえる。

年功序列、終身雇用を前提とする場合、自主学習してもしなくても給料はあまり変わらない。
学習しなくてもクビにはならないし、学習して専門性を身に付けたとしても、会社で必要とされるのは根回しの能力だったり、折衝能力だったりする。

そもそも自主学習で能力を高めようとするモチベーションが上がりにくい構造になっているのだ。

結果として専門性を高める機会が失われ、高度な専門性から富を生み出す現代の知識社会の中で相対的に劣後し、競争力が落ちてしまっているのではないだろうか。