45歳のイチローを持ち上げるテレビに違和感



2019年は7年ぶりのイチローの凱旋に日本が湧いた。
プレシーズンゲームとして、イチローが所属するマリナーズと巨人が試合を行ったのだ。

イチローは9番右翼で先発出場。

「9番打者」として試合に出るイチローに戸惑いを感じながらも、きっとイチローなら結果を残してくれるはずだと思いながらテレビを見ていた。

テレビは「イチロー尽くし」だった。
守備をしているときもカメラはイチローの姿を追いかけ、実況はイチローのことばかりを話していた。

そんなイチロー尽くしのテレビを見て違和感を覚えたのは僕だけではないだろう。
実況の人も解説の人も、誰一人として

「イチローが年齢によって衰えていること」

には触れない。最後まで褒めてばかりだった。


3回の守備ではイチローが魅せた。
往年とまでは言わないが、右翼から三塁までノーバウンドのストライク送球。

東京ドームが湧き上がり、ツイッターが盛り上がった。

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テレビではイチローのストライク送球ばかりが繰り返し流れていた。
まるでイチローのために試合があるような、そんな放送ぶりだった。

球場が盛り上がる中、多くの人のコメントが

「45歳でこれはすごい」

というものだった。

そう、イチローはもう45歳なのだ。


僕はイチローが大好きだ。
彼ほど「プロであること」に徹している人はいない。

徹底的に準備し、全力を尽くし、野球に真摯に向かう姿は哲学者のように見える。

数々のイチローの伝説の中でも、2009年のワールド・ベースボール・クラシックの決勝はとりわけ印象的だった。
韓国対日本の決勝で勝利を決める一打を放ったイチローの勇姿は、今後30年語り継がれる伝説となるだろう。


日本中が感動し、僕も僕の友達もテレビを見ながら涙を流した。
こんなドラマティックな展開はないだろう。

イチローは日本の英雄なのだ。
みんなイチローが大好きだ。

メジャーに乗り込み数々の記録を残した。
日本人から飛び出た侍のアメリカでの大活躍を見て、胸を躍らせなかった日本人はいなかっただろう。

僕たちはみんな、イチローのすごさを知っている。
イチローは日本の誇りだ。

そんなイチローが現役で試合に出ている姿を日本で見ることができるのは、おそらく今年が最後だろう。

イチローはノーヒットで持ち上げられるような男ではない

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マリナーズ対巨人戦、4回1死二、三塁の大チャンスにイチローの打席が回ってきた。
対する投手は26歳の戸根千明。イチローより19歳も年下の選手だ。

イチローならこのチャンスに必ずヒットを打ってくれるはず。
観客の誰もがそう思っていたはずだ。

そこで最後の最後、まさかの見逃し三振。

バッターボックスでがっくりとうなだれるイチローを見て思った。

「全盛期のイチローなら...」

「いや、262安打を放った2004年の頃のイチローでなくてもいい。せめて日本にいた頃のイチローなら、絶対に見逃し三振なんかしないはずなのに」

正直、悔しかった。
テレビで見ている僕でさえ悔しいのだ。

イチロー本人の悔しさは想像もできない。

45歳。262安打の記録を打ち立ててから15年も経っている。
まだ現役でプレーしていることが一つの奇跡なのだ。

動体視力も筋力も反射神経も衰えている。
外野の守備ではそこまで動体視力や反応速度が求められるわけではないが、一瞬の反射で勝負が決するバッティングは難しいのだろう。


実況も台本があるのかわからないが、イチローを持ち上げるようなことばかり言っていた。
3回の守備でのレーザービームばかりが繰り返しテレビで流れた。

でも本来は、3塁の送球ばかりが放送されて、年齢を気遣われながら語られるような選手ではないはずだ。
機械のように次から次へとヒットを生み出し、その素晴らしいヒットを打った姿が繰り返し放送されるのがイチローではなかったか。


「45歳なのにすごい」

と解説されているイチローを見て悲しくなったのは僕だけではないだろう。

「45歳なのにすごい」「45歳にしてはすごい」ではなく、「イチローは本当にすごい」と言われたかったのだ。

だってイチローは日本の誇りなのだから。

マイケル・ジョーダンの復帰戦

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マイケル・ジョーダンはNBAの伝説的なプレイヤーである。
シカゴ・ブルズを計6回の優勝に導き、数々の伝説を残した。

2001年、ウィザーズのフロントに就任していたものの、チームの成績の低迷に危機感を覚えたジョーダンは3度目の復帰を宣言。
ジョーダンの復帰戦に世界が注目した。

僕の高校生ながらにジョーダンの復帰戦を手に汗を握りながら見ていた。
世界のジョーダンの復帰戦は、当時の日本でも放送されたのだ。

実況は最初から最後までジョーダン尽くしだった。7年ぶりに日本に帰ってきたイチローのように。
台本が用意されているみたいにジョーダンを褒めまくっていた。

「現役の頃を思い起こさせるプレーです」

みたいに。

しかし試合を見ている僕たちからすると、ジョーダンはボロボロだった。
得意のフェイダウェイは決まらず、2桁得点の連続記録も途絶え、興奮気味でしゃべる実況とジョーダンの暗い表情が対照的だった。

高校生ながらに、「実況、無理してんな」と思ったものだ。

チャレンジによる失敗はジョーダンの栄光を汚すものではない。
むしろチャレンジに年齢は関係ないと示す好例とも言える。

だが、本人のチャレンジを応援するのは良いが、周りの持ち上げ方ももう少し自然なものに抑えることはできないだろうか。
テレビに映る姿と実況が語る姿があまりにもかけ離れていると、胡散臭く感じてしまうのだ。

イチローだって年を取るのだ。
ヒットを打てなくなった。
加齢による衰えに触れてもいいはずなのに、昨日の解説の人は意図的にそこは避けていたように感じた。

人間はいつまでも若くはいられない。
どんなに素晴らしい選手だって、心臓一つの人間一人。

悪魔だの怪物だの言われようとも、いつまでも“最強”ではいられないのだ。

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彼らはかつて“最強”だった。

でも年を取って、衰えたのだ。
それが人間だ。

実況も台本を読むかのように実態とかけ離れた賛美を送るのではなく、等身大の今の彼らを見つめ、ありのままの姿を語った方がよいのではないだろうか。

「たられば」を語っても仕方ないが、居酒屋で野球を見るおじさんのように、

「全盛期のイチローだったら」

みたいに語ってくれても全然いいと思う。

今の衰えたイチローも僕は好きだ。
メジャーに6人しかいない40代選手となってもなお現役でのプレーを渇望するイチローを、「打てなくなったイチロー」を、これからも応援したい。



【追記】
2019年3月21日、イチロー選手が現役引退を発表しました。
引退会見の内容は下の記事に文字起こししてみました。イチロー選手らしい名言・至言に溢れていました。
イチローの引退会見を文字起こししてみた

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事実上の引退と言われた今だからこそ学びたい「イチローの考え方」