イチローの引退会見を文字起こししてみた



イチロー選手の引退会見がAbemaTVで生中継されていたので、文字起こししてみました。
心に響いた部分は太字にしています。名言がたくさん生まれた会見でした。

引退後は中学生なのか大学生なのか、あるいは小学生なのか、どんな人達と一緒にやるかはわからないけれど、「楽しむ野球」に関心を持っているようでした。

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いつ頃引退を考えたのか。後悔はあるか

タイミングはキャンプ終盤ですね。
日本に戻ってくる何日前とははっきり伝えられないけれど、終盤に入ったときです。

元々日本でプレーするところまでが契約上の予定でもあったということもあるが、キャンプ終盤でも結果が出せずに、それを覆すことができなかった。

(その決断に後悔や思い残すことはあるか)

今日の球場での出来事。
あんなものを見せられたら、後悔などあろうはずがありません。

もちろん、もっとできたことはあると思いますけど、結果を残すために、自分なりに重ねてきたこと。
人よりも頑張ってきたなどとは言えないけれど、自分なりに頑張ってきたとははっきりと言える。
これを重ねてきて、重ねることでしか、後悔を生まない、ということはできないんじゃないかと思います。

少年にメッセージを送ってほしい

野球だけでなくてもいい、自分が熱中できるもの、夢中になれるものを見つけてほしい。
夢中になれるものが見つかれば、自分の前に立ちはだかる壁に向かっていくことができる。
それが見つけられないと、壁が出てくると諦めてしまう。
色んなことにトライして、自分に向くか向かないかよりも、自分が好きなものにトライしてほしい。

キャリアの中で一番印象的だった場面はあるか

時間が経ったら今日が一番真っ先に浮かぶことは間違いないと思います。
今日を除けば、MVPやオールスター出場、10年200安打は小さなことに過ぎない。

今日のあの舞台に立てたことは...。
去年の5月以降のゲームに出られない状況にあって、チームと一緒に練習を続けてきた。
それを最後まで成し遂げられなければ、今日という日はなかった。

残してきた記録はいずれ誰かが抜いていく。
でも去年の5月から今日までの日々はひょっとしたら誰にもできないかもしれないと、ささやかな誇りを生んだ日々だった。

それがどの記録よりも、自分の中ではほんの少しだけ、誇りを持てたことかと思っている。

ファンの存在はイチロー選手にとっていかがでしたか

ゲーム後にあんなことが起こるとは想像してなかったけど、実際にそれが起きて。
普段はなかなか日本のファンの方の熱量を感じることは難しい。

久しぶりに東京ドームに来て、ゲームは基本的には静かに進んでいくんだけれど、
日本の人は表現するのが苦手だと思っていたけど、それが完全に覆った。

内側に持っている想いが確実にそこにあるということ。
それを表現したときの迫力はこれまで想像できなかったものです。

あるときまでは自分のためにプレーすることがチームの為になるし、見てくれる人も喜んでくれるかなと思っていたけれど、
ニューヨークに行った後からは、人に喜んでもらえることが一番の喜びに変わってきた。

ファンの存在無くしては自分のエネルギーは全く生まれないと言ってもいいと思う。

貫いたもの、貫けたものは何か

野球のことを愛したことだと思います。

これは変わることはなかったですね。

おかしなこと言ってます?僕?笑

野球への捉え方が変わったことはあったか

ない。
子供の頃からプロ野球選手になることが夢で、それが叶って。
最初の二年は一軍に行ったり二軍に行ったり。

そういう状態でやってる野球が楽しかった。
94年に仰木監督と出会ってレギュラーで初めて使っていただいた。

楽しかったのはこの年までだった。
その頃から急に番付上げられちゃって、それはしんどかった。

やっぱり力以上の評価をされるというのは、とても苦しいこと。
だからそこからは純粋に楽しいというのはなかった。
もちろん、やりがいや達成感を味わうことはたくさんあった。
ただ楽しいかというとは、それとは違う。

将来はまた楽しい野球がやりたいなと。
プロ野球選手になりたいという夢が叶ったあとは、そうじゃない野球をやりたい。

その気持ちは中途半端にプロ野球生活を過ごした人間には、持っていないもの。
やっぱりプロ野球でそれなりに苦しんだ人間でないと、その先を楽しむことはできないのではないかと思っている。

これからは(楽しむことができるような)そんな野球をやってみたいなということです。

大きなギフトをもらったのは私達の方だった。これからどんなギフトをくださるのでしょうか?

ないですよそんなの。
無茶言わないでください。笑

これは本当に大きなギフトで、去年3月の頭にマリナーズでオファーをいただいて、それからの今日までの流れがあるんですけど、あそこで終わってても、去年の春に終わっていてもおかしくなかった。

今のこの状況が信じられない。

あのとき考えていたのは...自分がオフの間、アメリカでプレーするために神戸の球場で準備をしていて。

寒い時期に練習していて、ヘコむ。心が折れる。
そんなときも仲間に支えられてやってきた。

最後は、今まで自分なりに訓練を重ねてきた神戸の球場で、ひっそりと終わるのかなって、あの当時想像していたので、今の状況が夢みたいだった。

これも僕にとっては大きなギフトです。

笑顔が多いように見えたのは、開幕シリーズが楽しかったということか?

純粋に楽しいということではない。
やっぱり誰かの想いを背負うということはそれなりに重いこと。

そうやって一打席一打席に立つことは簡単ではない。

すごく疲れました。

やっぱり一本ヒット打ちたかったし、期待に応えたかった。

感情がないって言われることもありますけど、感情あるんです。

だから、最後は結果を残して終わりたかった。

それは叶わずで。
それでもあんな風に球場に残ってくれて。

そうしないけど、死なないけど、

「死んでもいい」

という気持ちはこういうことなんだろうなと思いました。
死なないですけど。

そういう表現をするときって、こういうときなのかなと思います。

最低50歳までは現役のために、日本に戻ってきてプレーする選択肢はなかったか

なかったです。

(どうしてでしょうか?)

それはここでは言えないなぁ。

最低50歳までは本気で思っていた。

有言不実行の男になってしまったけれど、その想いを表明してなかったら、ここまで来れなかった。

難しいかもしれないけれど、言葉にして表現することは目標に近づく一つの方法じゃないかなと思います。

膨大な時間を野球に費やしてきた、これからの時間をどう使うか

今はまだわからないけど、たぶん明日もトレーニングしてます。
ゆっくりしたいとか全然ない。動き回っていると思う。

日本人としてイチロー選手を誇りに思っている人は多い。生き様で伝わっていたら嬉しいなと思うことはありますか?

生き様というのは僕にはよくわからないですけど、生き方という風に考えれば、先ほども話したように、人より頑張ることなんてとてもできない。

あくまでも秤(はかり)は自分の中にある。

それで自分なりに秤を使いながら、自分の限界を見ながら、ちょっと超えていくを繰り返していく。
するといつの日か「こんな自分になっているんだ」という状態になって。

少しずつの積み重ねしか、それでしか自分を超えていけないと思うんですよね。

一気に高みに行こうとすると、今の自分の状態とギャップがありすぎて、それは続けられないと僕は考えている。

地道に進むしかない。
進むだけではないですね。
後退もしながら、あるときは後退しかしない時期もあるが、でも自分がやると決めたことを信じてやっていく。

それが正解とは限らない。
間違ったことを続けてしまっていることもある。
でもそうやって遠回りすることでしか、本当の自分に出会えない。

自分なりに重ねてきたことを、ファンの方はそういうものを見ていてくれたのかなと思っている。
そうだとすればすごく嬉しいし、そうじゃなくてもあれは嬉しいです。

現役選手を終えたら監督や指導者になったり、タレントになったりすることはあるが、イチロー選手は何になるか

そもそもカタカナのイチローはどうなんだろう?
元カタカナのイチローになるのかな?

どうなるんだろう?
どうしようか。何になる。

監督は絶対に無理ですよ。
これは絶対がつきます。人望がない。本当に。

人望がないですよ、僕。

(そんなことはないと思います)

それくらいの判断能力は備えているので。
プロの選手、プロの世界というよりも、アマチュアとプロの壁がどうしても日本の場合は特殊な形で存在しているので、
今日をもってそのルールってどうなんだろうか。

今まではおかしいじゃないですか。

自分に子供がいたとして、高校生であるとすると、教えられなかったりというルールがあったはず。
そういうのって変な感じじゃないですか。

今日をもって元イチローになるので、小さな子どもなのか、中学生なのか、高校生なのか、大学生なのかはわからないけれど、そこには興味がある。

引退を意識したことはこれまであったか

引退というよりは、クビになるんじゃないかは毎日思っていた。
ニューヨークとマイアミでは特に。

ニューヨークもマイアミも特殊な場所だった。

だから毎日そんなメンタリティで過ごしていた。
クビになるのはそのときだろうと思っていた。

(引退を意識することは)しょっちゅうありました。

そういう時期が続く中で、今回引退を決めた理由を聞きたい

マリナーズ以外に行く気はなかった。
去年シアトルに戻してもらって本当に嬉しかった。

先ほどキャンプの前に、オファーがある前の話をしたけれど、その後5月にゲームに出られなくなる。

あのときでもおかしくなかった。

この春に「まだ可能性がある」と伝えられていたので、自分なりに頑張ってこられた。

菊地雄星選手が号泣していたが、どんな会話をしたのか

号泣中の号泣でしょう!
こっちは笑ってしまった。

プライベートなので、雄星が伝えるのは構わないが、僕からここで言うことはできない。
二人の会話だから。しかも僕から声をかけているので。

僕が「こんなことを僕は言いました」って馬鹿ですよね。
そういうことを言う人は絶対信頼されないから、ここでは言えない。

(お人柄がわかる言葉でした。ありがとうございます)

アメリカのファンにメッセージはありますか

19年ですよ。
アメリカのファンの方々は、最初は厳しかった。
2001年のキャンプなんかは、日本に帰れとしょっちゅう言われてきた。

だけど、結果を残したあとの敬意というのは、評価するのかはわからないけど、手のひらを返すという言い方もできてしまうので。

言葉ではなく行動で示したときの敬意の示し方というのは、迫力はあるなという印象がある。

なかなか入れてもらえないけれど、認めてもらったあとはすごく近くなるという印象。
がっちり関係ができあがる。

シアトルのファンとはそれができたような気がする。
それは僕の勝手な印象だけど。

ニューヨークは厳しいところだった。
でもやれば、どこのエリアの人よりも熱い。

マイアミはラテンの文化が強い印象で、その圧はそれほどないけれど、でも結果を残さなかったら人が来てくれない場所だった。
それぞれの場所で特徴があって、それぞれの場所で関係を築けた。

アメリカは広いなというか、ファンの人の特徴を見るだけでアメリカは広いなという印象だった。

やっぱり最後にシアトルのユニフォームを着て、シアトルでは姿をお見せできなかったのは申し訳ない想いがあります。


イチロー選手のユニークなTシャツが話題になりますが、あれは心情を表していたのでしょうか

そこは言うと急に野暮ったくなるから、言わないほうがいい。
見る側の解釈だから、そう捉えるならそれでいい。

いちいちそれを説明するのは野暮。言うと無粋であることは間違いないでしょう。

弓子夫人への言葉を聞くのは野暮かなと思いますが、あえて今日は聞かせてほしい

いやー頑張ってくれました。
一番頑張ってくれたと思います。

アメリカで3,089本のヒットを打ったわけですが、妻はおよそ、僕はゲーム前にホームのときは妻が握ってくれたおにぎりを食べる。
その数が、2,800くらいだった。

3,000いきたかったみたいですね。
そこは3,000個、握らせてあげたかったなぁと思います。

妻はとにかく頑張ってくれました。

僕はゆっくりする気はないですけど、妻にはゆっくりしてほしいと思っています。

愛犬の一弓は17歳と7ヶ月。
今年で18歳になろうかという柴犬。

さすがにおじいちゃんになってきて毎日フラフラなんだけど、懸命に生きてる。

その姿を見てたら、それは俺頑張らなきゃなって。
ジョークとかじゃなくて、本当に思いました。あの懸命に生きる姿。

2002年にシアトルの我が家に来たわけですけど、まさか最後まで一緒に、僕が現役を終えるときまで一緒に過ごせるとは思ってなかったので、大変感慨深い。

妻と一弓にはもう、感謝の想いしかない。

3月の終盤に引退を決められたということだが、打席内での感覚の変化はあったのでしょうか

それはここではいらない。

これまで数多くの決断の中で、一番考え抜いて決断したものは何だったのか

これは順番がつけられない。
それぞれが一番だと思います。

ただ、アメリカでプレイするために当時、今とは違う形のポスティングシステムだったんですけど、自分の想いだけではそれは叶わないので、
球団からの了承がないと行けない。

じゃあそのときに誰を、球団にいる誰かを口説かないといけない。説得しないといけない。
そのときに、一番に浮かんだのが仰木監督だった。

その何年か前からアメリカでプレイしたいという想いは伝えていたこともあったんだけど、
仰木監督なら美味しいご飯とお酒飲めばうまくいくんじゃないかと思ってたら、まんまとうまくいって。

これがなかったら何も始まらなかった。
口説く相手に仰木監督を選んだのは大きかった。

またダメだダメだと言っていたものが、お酒でこんなに変わるのかと、お酒の力をまざまざと見たし、洒落た人だった。
仰木監督から学んだものは計り知れない。

イチロー選手が現役時代に一番我慢したものは何か

僕は我慢が苦手で、楽なことを重ねている感じだった。

自分ができること、やりたいことを重ねているので我慢の感覚はない。
とにかく身体を動かしたくて仕方がない。
こんなに動かしちゃダメだといって、身体を動かすことを我慢することはたくさんあった。

それ以外はできるだけ自分にストレスがないように行動してきたつもりだ。
家では妻が色々と考えて料理を作ってくれるけど、ロードに出ると我慢できないから食生活がめちゃくちゃになる。

聞かれたような趣旨の我慢は思い当たらない。

台湾のファンに伝えたいことがありませんか?

チェンが元気か知りたい。
チェンは元気にしてますか?

(Yes)

それが聞けて嬉しいです。
今のところ台湾に行く予定はないが、以前に行ったことがあって、すごく優しい印象がある。

菊池雄星選手や大谷翔平選手が入りました。後輩に託したいものはあるか

雄星のデビューの日に引退を迎えたというのは、なんかいいなぁと思っている。
「ちゃんとやれよ」っていう思いです。

短い時間でしたが、すごくいい子で、やっぱり色んな選手を見てきたけれど、左投手の先発って変わっている子が多い。
天才肌が多いという言い方もできる。アメリカでも変わった人が多い。

こんなにいい子がいるのかなって感じ。今日まで。

でも、キャンプ地から日本に飛行機で移動してくるわけですが、チームはドレスコードで、服装のルールがある。
黒のジャージのセットアップでオッケーというもの。

「じゃあ雄星、俺たちはどうする?
さすがにメジャーリーガーとしてジャージで日本に行くのはダメだろ」

って二人で話をしていた。

「そうですよね。イチローさんどうするんですか」

って言うから、

「僕は中はTシャツだけど、まぁセットアップで。一応ジャケットにしようかな」

って言ったら、「じゃあ僕もそうします」って雄星が言うんですよ。

日本に着いた時に

「いや雄星、これやっぱダメだよな。メジャーリーガーこれじゃダメだろ」

ってバスでも言っていたんですよ。

「いや、そうですよね」って。

そしたら

羽田着いたとき、雄星まさかの黒のジャージだった。

ぶったまげました。
本人にまだ真相は聞いてないんですけど。
何があったのかわからないけど、やっぱり左投手は変わってるやつが多いなと思いました。
でもスケール感は出てました。頑張ってほしいです。

大谷翔平はサイズもアメリカの選手に劣らない。
あのサイズであの機敏な動きができる選手はいない。

大谷翔平は世界一の選手にならなきゃいけない。

野球の魅力はどんなところか

団体競技なんだけど、個人競技でもあるところ。
チームが勝てばそれでいいかというと、そういうわけではない。

個人として結果を残さないと生き残ることはできない。
チームとして勝っていればいいわけではない。

その厳しさが魅力であることは間違いない。

あとは、同じ瞬間がないということ。
メジャーに来てから今に至るまで、全く違うものになった。

頭を使わなくてもできる野球になりつつあるような、これがどうやって変化していくのか、次の5年、10年。
しばらくはこの流れは止まらないと思う。

本来は野球というのは、いや、ダメだな、これを言うと問題になりそうだから。

頭を使わなきゃできない競技なんですよ、本来は。
でもそうじゃなくなってきているのがどうも気持ち悪くて。

ベースボールの発祥はアメリカだから、その発祥がそうなってきていることに、危機感を持っている人はけっこういると思う。
日本の野球がアメリカに追従する必要は全く無い。

やっぱり日本の野球は頭を使う面白いものであってほしい。

アメリカの流れは変わらないので、せめて日本の野球は大切にしなければならないものを大切にする野球であってほしい。

夢を叶えて成功して、何を得たと思っていますか

どこからが成功で、どこからがそうじゃないのかは判断できない。

だから成功という言葉は僕は嫌いなんですけど、
新しい世界に挑戦するということは大変な勇気だと思うんですけど、ここはあえて成功と表現しますが、

成功すると思うからやってみたい、それができないと思うからやらない、という判断基準では後悔を生むだろうと思う。

やりたいならやってみればいい。

できると思うから挑戦するのではなく、やりたいと思うなら挑戦すればいい。

そのときにどんな結果が出ようと後悔はないと思う。

自分なりの成功を勝ち取ったところでじゃあ達成感が残るかというと僕には疑問なので、基本的にはやりたいと思ったことに向かっていきたい。


何を得たかというと、「こんなものかなー」という感覚ですかね。
それは200本もっと打ちたかったし、できると思ったし、1年目にチームが116勝して、その次の二年間も93勝して。
勝つのは難しいものじゃないなと思ってたけど、大変なことです。

勝利するということは。

この感覚を得たことは大きいかもしれないですね。

神戸に恩返ししたいなどはあるか

神戸は特別な街です。
僕にとって。僕は選手としてしか恩返しはできないと思っていたので、できるだけ長く現役に留まっていたいと思っていた。

神戸に恩返し...税金を少しでも払えるようにがんばります。

制度について

制度については詳しくないけれど、でも日本で基礎を作る、自分が将来MLBで活躍するための礎を作るという考え方であれば、
できるだけ早くという考え方はわかるけど、日本の野球で鍛えられることはたくさんある。
制度だけに目を向けるのはよくない。

基礎の動きって、メジャーリーグの選手より、日本だったら中学生レベルのほうがうまい可能性がある。
チームとしての連携は、日本の野球は言わなくてもできる。

アメリカでは個人としてのポテンシャルは高いが、連携には苦しんだ。
苦しんで、諦めた。

大谷翔平投手と対戦したかったか。今後に期待することはあるか

(大谷翔平は)世界一の選手にならなきゃいけない選手だ。

僕がピッチャーで、大谷翔平がバッターで対戦したかった。

そこは誤解なきように。

大谷翔平はどのようなメジャー選手になると思うか

そこは占い師に聞かないとわからないが、僕はワンシーズンごとに、ワンシーズンはピッチャー、次は打者として、サイヤング賞とホームラン王をとってほしい。
普通はそんなことを考えることすらできないが、そういうことを想像できてしまうのが大谷翔平。
この時点で明らかに人とは違う選手であると思う。

ピッチャーとして20勝する年があって、その次の年はバッターで50本打ってMVPとったら化物ですよね。
そういうのが想像できてしまうのがすごいところ。

野球選手じゃない自分を想像してどうか

違う野球選手になっていると思う。
草野球の話をしたように、そっちの方でいずれ楽しい野球をやっていると思う。
もし草野球に行ったら、真剣に草野球を極めようとするようになるだろう。

プロ野球人生を振り返って一番誇れることは何でしょうか?

これも先ほどお話しましたね。
集中力切れてるんじゃないの?笑

小学生時代の卒業文章に「僕の夢は一流のプロ野球選手になること」と書いていたが、当時の自分に伝えたいことはあるか

「お前契約金に1億ももらえないよ」と言いたいです。
夢は大きくと言うけれど、なかなか難しいですよ。

「ドラフト1位の1億」って掲げてましたけど、全然遠く及ばなかったですから。
ある意味では挫折ですよね。

孤独を感じながらプレーをしていると言ってたが、孤独感はずっと感じていたのか

現在は全くその孤独感はない。
それとは少し違うかもしれないけれど、アメリカに来て、メジャーリーグに来て、外国人になったこと。
アメリカでは僕は外国人ですから。

このことは、外国人になったことで、人の心を慮ったり、人の痛みを想像したり、今までなかった自分が現れた。

この体験っていうのは、まぁ、本を読んだり、情報を取ることができたとしても、体験しないと自分の中からは生まれないので。
孤独を感じて苦しんだこと、多々ありました。
ありましたけど、その体験は、未来の自分にとって、大きな支えになるんだろうと、今は思います。

だから、辛いこと、しんどいことから逃げたいと思うのは当然のことなんだけど、エネルギーのある、元気な時にそれに立ち向かっていく。
そのことはすごく、人として重要なことなんじゃないかと感じています。

締まったね〜最後。

長い間ありがとうございました。
眠いでしょう?皆さん。

じゃあ、そろそろ帰りますか。

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【追記】
記者会見の動画を見つけたので貼っておきます。
ぜひ生の声を聞いてみてください。