なぜBullsit Jobs(クソつまらなくてくだらない仕事)を一生懸命やらなければならないのか



橘玲さんの『働き方2.0 vs 4.0』を読んでいる。
「働き方X.0」という表現は独特だが、それぞれは以下のように定義されている。

  • 働き方1.0は「年功序列・終身雇用の日本敵雇用慣行」
  • 働き方2.0は「成果主義に基づいたグローバルスタンダード」
  • 働き方3.0は「プロジェクト単位でスペシャリストが離合集散するシリコンバレー型」
  • 働き方4.0は「フリーエージェント(ギグ・エコノミー)」
  • 働き方5.0は「機械がすべての仕事をこなすユートピア/ディストピア」

安倍政権が進める「働き方改革」は働き方1.0を強引に2.0にバージョンアップしようとするものだとする一方で、
GoogleやNetflixなどの最先端の働き方は働き方3.0から4.0に向けて大きく変わりつつあるので、世界の潮流には全然追いつけないと述べられている。


『働き方2.0 vs 4.0』の170ページに「ブルシットジョブの大騒動」という項があった。

文化人類学者のデヴィッド・グレーバーは2013年、ロンドンの『Strike!』という雑誌に"On the Phenomenon of Bullshit Jobs(ブルシットジョブという現象について)"という短いエッセイを寄稿した。

世の中には部外者から見てなんの役に立っているのかまったくわからない仕事がものすごくたくさんある。
HR、コンサルタント、PRリサーチャー、コーポレート・ロイヤーなど、本人たちでさえなんの意味があるのかわからない仕事に膨大な時間を費やしている。

様々な調査によると、世の中の37%から40%の人が自分の仕事がなくなっても何も世の中に影響がないと考えている。
仕事自体は意味があったとしても、「意味のないタスクをしていると感じている人」を入れれば、「仕事全体の50%は意味がない」ことになるそうだ。

Bullshit Jobsについては、こちらの記事(書評|クソくだらなくて意味のない仕事が増えている|Bullshit Jobs by David Graeber【2018年夏休み読書週間】)が詳細に解説してくれているので、一度読んでみてほしい。


グローバーのエッセイにはこう書かれている。

「ものすごい数のひとたちが、内心では“こんなものなんの役にも立たない”と信じている仕事をするために、何日も費やしている」

「まるで何者かが、俺たちを働かせるために無意味な仕事をわざわざつくりだしているみたいだ」

「この状況が生み出す道徳的・精神的なダメージははかりしれない。それは俺たちの魂に刻まれた傷だ。だがそのことを、誰も言葉にしようとはしない」

「内心では自分の仕事が世の中に存在すべきではないと思っているときに、どうやって労働の尊厳について語りはじめることができるだろう」

この話を読みながら、自らの会社員生活を振り返った。

たしかに、会社には大量のBullsit Jobs(クソつまらなくてくだらない仕事)があった。
大量の社内向け資料、山のような承認会議、読み上げなければならない報告、何も決まらない会議、怒られないためだけに作った成果物。

「クソつまらなくてくだらない仕事」だと思いながらも、それら全てを無くすことはとても難しい。
もしかしたら自分が「意味がない」と考えているだけで、他の人にとっては意味がある可能性もあるのだ。
意味のない仕事を生み出すことを仕事としている人からそれを奪ってしまうと、その人の存在意義が無くなってしまう。

それに組織で働いている以上は「意味がない」と決めつけて目の前の作業を放棄することはできない。
クソつまらなくてくだらない仕事だって、最初は何らかの意味を持って生まれてきたのだ。
たとえそれが穴を掘って埋めるような仕事だったとしても。

会社では「これ、ホンマに無駄なんちゃうか」と感じながら仕事してきたことが多かったが、それに対して疑問を口にする人は周りにはほとんどいなかったし、どちらかというと会社では無駄(と感じる)ルールを次々と増やしていく傾向にあった。

年々ルールが増えていき、最後は自分たちで作ったルールの鎖に縛られて身動きが取れなくなってしまっていたようにも思えた。
ルールに従ってきっちりやることは大切だが、増えすぎたルールは生産性を奪ってしまう。

そのうえ、一度作られたルールはなかなか廃止されない。
ルールを廃止して何かが起こったら責任を負わねばならず、その結果として「やらないよりはやった方がいい」という理屈がまかり通り、費用対効果を無視したルールが積み重ねられていくのだ。

何よりルールを守っている限り、それがたとえ非効率であろうと、組織では正しい行いと見なされる。
「人に怒られないこと」を至上命題とする会社員にとっては、「ルールを守ったこと」は免罪符になるのだ。

調査によると世の中の40%程度の人は内心「意味ないんじゃないかコレ」などと考えながら黙々と仕事をしているらしいが、その作業自体が付加価値を生まないとしても、「怒られないために」やっておかなければならない仕事がたくさん存在しているのである。

ここからは、「どうして内心意味がないと思いながらも無駄な仕事をやめることができないのか」を考えていく。

慣例に従わなければならないという圧力

歴史の古い企業では特に「前例を踏襲する」ことに対しての圧力が強い。
まず前例に従って、前例がなければリスクを説明し、納得できるリスク回避策がなければ承認されないことが多い。
失敗を減らすために、前例に従うのは組織としては真っ当だ。

未来のことは誰もわからない。
やったことのないことを始めて何が起こるかもわからない。

だから過去の事例を参考にして、将来を予測しようと努力することは間違いではない。

ただ、長い歴史の中で前例や慣例があまりにも多く積み重なった結果、「現代にそぐわないルール」や「非効率な勝ちパターン」が温存されてしまうこともある。

そこで温存された非効率はBullshit Jobs(クソつまらなくてくだらない仕事)と化していくのだが、これら「当たり前とされてきたこと」を廃止するには「やめる理由」を周りにしっかりと説明し、何か問題が起こったらその責任を取らなければならない。

それだけの覚悟を持ってBullshit Jobsを消し去ろうとする人はあまりいないので、無言で黙々と「意味ないよな...」なんて思いながら仕事をこなすことになるのだ。

もちろん、単に思考停止していて「これ、無駄なんじゃ...?」みたいな疑問を一切持たずに働く人もいる。

忠誠心を示すため

それぞれの人の仕事の範囲が曖昧な日本企業では、成果よりも会社への忠誠心が評価される傾向が強いと言われる。
チームで仕事をしている限り明確に成果を測れる仕事ばかりではないし、数字で見えない価値もある。

クソつまらない仕事でもサボらず真面目にこなし、「やるべきことをしっかりやる」ことで「一生懸命仕事している」ことをアピールすることができる。
単純な作業に時間をかけすぎているとツイッターでよく話題になるVBAおじさんのような悲惨な目にあってしまうかもしれないが、会社に温存されている「クソつまらなくてくだらない仕事」は人間同士の調整が必要なものが多く、それらは自動化できない。


少なくともクソつまらない仕事だからといって手抜きしてサボっていると周りからは白い目で見られるし、浮いてしまうだろう。
会社はイエのような機能を有しており、イエのルールに従わない人間には厳しいのだ。

また終身雇用で定年まで働くことを前提とする場合は、無駄に対して「こんなのおかしいだろ」と波風を立てて反論するよりも、
周りの空気を読んで、人間関係を崩さないように配慮して、一緒に我慢しながら仕事を続けるほうが合理的なのである。

会社ではクソつまらない仕事を誠実にこなせる人がやっぱり強い

小さな組織や個人でビジネスをやっている人が無駄なことばかりやっていたら全く競争に勝てず、早々にビジネスを畳むことになる。
市場は無駄を評価してはくれないからだ。

一方で人の数が多い大企業ではどうしても社内プロセスが多くなり、そこに大きな無駄が生じる。
「無駄なことばかりしていては競争に勝てない」のは大企業にも当てはまるのだが、既存のお客様やブランドに支えられている面もあるので、無駄が許容されるだけの余裕はあるのだ。

それで、そんな無駄が必要なプロセスとして組み込まれている組織で優秀なのはどんな人かというと、

「つまらないことでも士気を高く保って、すばやく真面目に誠実にこなすことができる人」

である。

これは皮肉で書いているのではなく、本当に優秀なのだ。
もちろん不要な仕事はどんどん削り、組織の生産性を劇的に向上させるような人が”本物”なのかもしれないが、そんな人はほとんどいない。

目の前にある仕事が無駄に見えたとしても腐ることなく、すばやく真面目に真摯に取り組むことができる人が組織では重宝される。
特に大きな組織でチームに貢献し、成果を上げることができるのは、他人が嫌がる仕事を前向きにこなせる人だと僕は思う。

日本の大企業に入社する若者は忍耐力があって一生懸命な人が多い。
地味で退屈でつまらなく、市場価値のあるスキルが身に付かないような仕事でも誠実にこなし、嫌がらずに取り組んでくれるような人ばかりにも見える。

正直、僕個人としては無駄な仕事はクソだと思うし、嫌な仕事はどうにかしてショートカットを探してしまうゴミ社会人なのだが、退屈そうな仕事にもしっかりと向き合い、綿密に計画を立ててコツコツとこなしていける人は組織人として本当に優秀だと思う。

残念ながらこういう優秀な若者たちも、専門性が身に付かない社内向け定形業務ばかりをずっとこなしていたらいつの間にか凡庸な管理職になっていってしまうのだが、それでも次から次へと才能煌めく優秀な若者が入社してくるという点で、日本企業はまだまだ捨てたもんじゃないなと感じている。

こういう見方が既に自らのおっさん化を認めてしまっている気がしてならないが...。

働き方2.0vs4.0 不条理な会社人生から自由になれる

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