自分が選ぶ立場になれば男女のべき論は全て戯言として受け流せる



ツイッターを眺めていると、至る所で「男はこうあるべき」とか「女はこうじゃなきゃダメだ」という「べき論」が交わされている。

お金を払わない女はダメだ。
家事を手伝わない男はダメだ。

いい女は男を支えるべきだ。
育児に参加しない男は何様なのか。

ありとあらゆる人がそれぞれに「男女はこうあるべき」という持論を持っていて、それをネットでぶつけ合っている。


特に衝撃を受けたのが『深夜のダメ恋図鑑』の名シーンである。

「あたしは仕事に家事にオマエの世話で疲れてるけど...
諒くん仕事だけしてそんなに疲れてるの?大丈夫?病気?」

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(深夜のダメ恋図鑑2巻 小学館)


ダメ男の「あるあるネタ」をぶった切っていく尾崎衣良先生の作風はネットで大いにウケて、千鳥佐和子がしょうもない男をコテンパンにするシーンはネットでよく引用されている。

女性が言いたくて言えなかったことをズバズバと言ってくれるところにカタルシスのようなものを感じているのかもしれない。

ただ残念ながらこれは漫画の世界だから成り立つ関係であって、現実では起こりえない。

というのも、現実の世界では間違いなく、女にこんなことを言われて何も言い返さないような男は「格下の魅力なき雑魚」として見限られ振られることになるし、まともな男ならこんなことを言ってくる女をパートナーに選ばない。

良くも悪くも、現実離れした理想を語る漫画なのだ。
男性向け恋愛漫画のメガネの主人公がなぜかモテまくるのと同じように。


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さて、タイトルにもあるように自分が選ぶ立場になれば、「男はクソだ」とか、逆に女性の立場で「女はこうあるべきだ」という話は全て戯言として受け流すことができる。

たとえば、『深夜のダメ恋図鑑』では糞味噌に言われた男が言い返すことなく

「.........」

などと黙っているが、別に他に相手を選べるならば、こんな女を選ばなければいいのである。

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深夜のダメ恋図鑑2巻 小学館


「もっかい聞いていい?仕事だけしかしてない人間がいったい何をしてそんなに疲れるの?まさか息?」

などと言ってきたら、「ハハハ」と笑ってLINEをブロックして二度と関わらなければいいのだ。

男女が一般化されて語られるネットの世界では「男はこうあるべき」「女はこうあるべき」と語られがちだが、現実には色んな人がいる。

「喜んでくれる顔が見たいから」と言って、仕事の後でも全く嫌な顔もせず料理を作ってくれる女の人もいるし、もちろん男だって「育児も手伝う。食事も奢る。僕が君を支える」みたいな人もたくさんいる。

そういう人を選べばいい。
「男女はこうあるべき」という話ではなく、

「自分はこういう人が好きだから、こういう人をパートナーに選ぶ」

でいいのだ。
他人のことはどうでもいい。僕たちは自分の人生しか生きられないのだから。

カップルの幸せはそれぞれで、他人の尺度で決められるものではない。
人はそれぞれ違うのだから、「自分がこうあってほしい」と考えているあり方が、相手にとってストレスにならない人をパートナーに選べばいいのだ。

「女を家政婦みたいに扱う男はクソ」

などとネットで主張する人は山ほどいるが、それは「その人から見てクソ」であって、家事をテキパキをこなしてくれて、かつストレスが溜まらない人を選べばいいだけで、その意味で他人の「べき論」は全て戯言なのである。

何度も繰り返すがこれは男女を逆にしても同じで、「女を家政婦みたいに扱う男はクソ」だと思うなら、家事をめちゃくちゃ手伝ってくれる男の人を選べばいい。

「男をATMみたいにする女はゴミ」

みたいにネットで悪口を言われるが、家族のために喜んで一生懸命働いてくれる男の人だってたくさんいる。

結局は、”自分が”誰を選ぶかの問題なのだ。

価値観は人それぞれ

「家事を嫌がらずにやってくれる女の人だっている」みたいな話をすると、ネットでは必ず

「そんなの相手が我慢してるに決まってる」とか、「相手につけこんで好き放題やるクソ野郎」

みたいに怒る人が現れる。

自分が「ありえない」と感じることは、他人もありえないと感じているに違いないと思っている人だ。

繰り返しになるが、人には人それぞれの価値観がある。

当然、何でもない他人のために家事をしたり、あるいはATMのように扱われるのは皆全員が嫌がると思うが、愛があればそれが苦ではない人もいるのだ。もちろん、それを苦痛に感じる人もいる。

自分が嫌なら、嫌なことを強いてくる相手を選ばなければいいだけだ。
相手を選べるようになるには自分の魅力を高めるように努力し続けなければならない。

世界が滅びて女100人に男が一人だけみたいな状況であれば、その男は努力しなくても100%モテるし、
アナタハンの女王よろしく島に流されて男が30人、女が一人みたいな状況であれば、その女を巡って男同士が醜い争いを始めることになるが、いまの日本にそんな環境は存在しない。

自由恋愛市場では自分の魅力は相対評価。
他の人より魅力を高めるように努力し、かつ自分が最も価値が高い時期を見定めなければならない。

恋なんていわばエゴとエゴのシーソーゲーム

男女は平等だし、平等であるべきだ。
しかし人間は必ずしも平等ではないし、こと恋愛においては男女は必ずしも関係も平等ではない。

恋愛は魅力のぶつかり合い的な側面がある。

当然、魅力のシーソーが釣り合っている状態が理想だ。
二人はお互いを尊重しあい、尊敬しあい、家事を分担し、二人で同じ方向を見てパートナーシップを強化していいく。

しかし魅力のシーソーが片方に偏っているときの恋愛は辛い。

たとえば『深夜のダメ恋図鑑』では「あたしアンタのママじゃないから」などと言われているが、これは男が雑魚ゆえに起こることであり、男の魅力度が高い場合は絶対にこんなことは起こらない。

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深夜のダメ恋図鑑2巻 小学館

現実の世界でこんなことを言われるとしたら、男の魅力がよほど下の場合だけだし、女の方も極度の非モテと付き合っているのだろう。

恋なんていわばエゴとエゴのシーソーゲームである。

長期的に見たら二人の魅力が釣り合っている相手が一番いい。
短期的であれば自分の魅力度が高い方が融通が利く。

こういうことを書くと「恋愛を力関係で語るな」「どちらが上かでしか物を見れないのか」と言われがちだが、自分の方の魅力が低く、相手が圧倒的に輝きを放っている場合は、自分に二人の未来の決定権がなくなることが多く、関係がものすごく不安定になる。

自分の魅力を高める努力を欠かさず、それでいて相手に寄り添うことも忘れず、シーソーを釣り合わせるように心がけ、同じ方向を向いて歩くのが一番なのだろう。
自分が情けない側に立ってしまうのは避けなければならず、特に男の魅力のシーソーが軽い場合は、その恋愛は99%うまくいかない。

『深夜のダメ恋図鑑』のやられまくっている男は近い将来、無残に振られることになるだろう。

深夜のダメ恋図鑑 (5) (フラワーコミックスアルファ)

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