【感想】『わたし、定時で帰ります』は「会社あるある」を大袈裟にしたもの



火曜22時から始まったドラマ『わたし、定時で帰ります』は会社にありがちな話をかなり大袈裟に表現したものだ。
僕は小説で一通りの話を読んでいるのだが、読みながら

「いるわ、こういう奴。マジでいる」

と何度も頷いた。

ドラマは若干小説と雰囲気が異なる感じはするが、それでも古き良き日本企業に勤める会社員に響くものはあるだろう。

主人公はウェブ系IT企業の中堅ディレクターの東山結衣。
彼女の父は「24時間働けますか」と言わんばかりの会社人間だった。

その反動からか結衣は

「必ず定時で帰る」

を信条とする。

入社以来コツコツと自分の生産性を高め、自分のタスクはさっさと終わらせて定時で帰ることを心がけてきた。
退社後は「上海飯店」で美味しい中華を食べながら他愛もないひとときを過ごしている。

さて、そんな「定時帰りの結衣」を怪訝な目で見る同僚は少なくない。
特に「絶対に会社を休まない女」三谷佳菜子はたびたび、結衣の定時帰りを責める。

「前から思ってたんですが なぜ定時でお帰りになるんですか?」

というセリフはツイッターでも話題になっていた。

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そりゃあ「定時だから」に決まってるだろうと。


でもこの三谷が醸し出す空気はよくわかる。
残業が当たり前になっている職場では「定時で帰るのはサボっている証拠」のように捉える人間がたくさんいるのだ。

定時で帰りたくない人

三谷は若手社員の気合が足らないとたびたび叱責する。
三谷が就職活動をしていた時期はちょうど就職氷河期で

「とにかく一生懸命働いて、誠意と忠誠心を示さないと居場所がなくなる」

と考えているのだ。

後に現れるモンスター上司・福永にも同様の想いがあるのだが、それについてはドラマを見ていくうちに明らかになるだろう。

僕は三谷の行動や思想に小説で触れながら、ふと会社にいた人々に思い出した。
とにかく帰るのが嫌いな人達だった。

「仕事が多くてやってられないなァ!くっそォ!」

とか、

「どうせ夜中まで帰れないから平日に予定なんて立てれないよハハハ」

などと自虐的な発言を飲み会でしていた。

それを聞きながら僕は「じゃあ定時で帰ればいいじゃないか」と思っていたけど、彼らは絶対に定時では帰らない。
それどころか、「忙しい自分」を愛しているようにも感じた。

「いつも忙しくて、自分がいなければ仕事が回らず、チームに無くてはならない自分」

が気持ち良いのだ。

社会人になって聞かされる三大自慢は「テレビ見ない自慢」「寝てない自慢」「忙しい自慢」だろう。
中でも入社したての頃の若手社員は「自分が忙しいこと」をことさらにアピールしようとする。

「暇 = 無能」と言われているような気分になるのはよくわかるが、どうせ給料が変わらないなら暇な方が自分の時間を持てて得だろうし、できる限り作業を省力化して暇になるように努力するのは悪ではない。

その気になれば暇になった時間で新しい仕事をすることだってできるのだ。

Larry Wallという偉大なプログラマーは「プログラマーに絶対必要な美徳」として、

  • 怠慢
  • 短気
  • 傲慢

であることを挙げている。
労力を減らすために手間を惜しむな、ということだ。

しかし会社員の中にはまるで逆の行動を取る人が多くいる。
穴を掘って埋めるような、やっている意味があるのかわからない作業に延々と時間を費やし、夜遅くまで残業して気持ちよくなってしまう人だ。

残業が根付いた職場では、仕事ができる人もできない人も等しく長時間残業する。
残業しないのは空気を読まない人か、副業をしている人か、出世を諦めたおじさんだけだ。

ただ、仕事ができる人の残業と、仕事ができない人の残業はその背景が異なっているように感じる。
できる人には仕事が大量に集まってくるため、業務過多で残業せざるを得ない状態になる。
できない人は仕事もたいして集まってこないのだが、無能のレッテルを貼られたり、居場所がなくなることへの不安感から、忠誠心を示すために残業する。

『わたし、定時で帰ります』の三谷佳菜子の残業は後者である。


関連記事:書評『ドイツ人はなぜ、1年に150日休んでも仕事が回るのか』

残業インフルエンサーの影響力

『残業学』と呼ばれる日本の雇用慣行を研究した本で「残業インフルエンサー」という概念が登場する。
残業はできる人に「集中」し、文化として「遺伝」し、そして「感染」していくというのが『残業学』の主張だが、残業の感染を広めるのが残業インフルエンサーである。

出世株とされている「できる上司」や「できる先輩」に若手は憧れる。
社内で表彰され、上司に頼りにされ、輝いているエース社員が周りに与える影響は大きい。

しかし彼らは当然、エース中のエースなので、仕事がどんどん集中し、業務量がかさみ、残業が増える。

残業は長いが抜群の活躍を見せるエース社員はそうやって「残業インフルエンサー」となる。
残業インフルエンサーがいる職場で問題なのは、めちゃくちゃできる人がめちゃくちゃ残業しているため、

「残業しないで早く帰る社員は仕事ができない無能」

の烙印を押されがちということだ。
そうやって職場に「帰りにくい雰囲気」ができあがり、その空気を読んだ若手社員が残業することになり、結果全員に残業が感染する。

仕事ができる社員に罪はないが、彼らはあまりにも優秀すぎるがゆえに残業インフルエンサーと化してしまう可能性もはらんでいるのだ。

『わたし、定時で帰ります』には向井理演じる種田晃太郎という超絶仕事ができるエースが存在する。
彼は紛れもなく残業インフルエンサーである。

何時間働いてもパフォーマンスが落ちることなく、長時間働けば働くほどエンジンがかかって仕事にのめり込んでいく。
長時間働くと脳からアドレナリンが放出される体質のため、深夜まで働いても仕事への集中力が途切れることがない。

小説版『わたし、定時で帰ります』では、以前ワーカホリックだった男が結衣にこう語っていた。

「お前も奴らにつきあって『向こう側』を見てきたらいいじゃん」

「向こう側って?」

「種田がいるとこ。俺も油断すると行きたくなる。仕事中毒はイイぞ。女より気持ちいいかもしんない」

パーソナル研究所が一般従業員5000人に対して行った調査では、残業時間が月に80時間を超えた社員は、残業時間が45〜60時間の社員よりも幸福感や満足度が上がっているという結果も出ている。

仕事中毒は気持ちがいいのだ。


関連記事:なぜ私たちは定時で帰れないのか

真に恐ろしいのは無能な上司なり

『わたし、定時で帰ります』では太平洋戦争で決行されたインパール作戦に言及するシーンがある。
インパール作戦とは、昭和19年に日本軍が敵の連合軍の拠点インパールを攻略するために決行された作戦で、無理に無理を重ねた戦いの結果、日本軍は3万人を超える死者を出して敗退した。

インパール作戦ではビルマとインドの国境を山々を超えて行軍させるというのに、牟田口廉也司令官は食料を必要量の10分の1しか確保できていなかった。
精神論で作戦を遂行しようとしたのだ。

その結果、何の成果も挙げられず、大量の死者を出し壊滅的な敗北を喫した。

『わたし、定時で帰ります』で牟田口廉也のような無能な上司として描かれるのは福永清次である。ユースケ・サンタマリアの役柄と合っている。

合理的な考え方ができず、無駄な作業を増やし、現場のメンバーを疲弊させ、精神論で乗り切ろうとする無能な上司はどこの職場にもいると思うが、福永の無能さは異常だ。

どのように異常なのかはドラマを見てほしいが、会社に苛立つ人たちの中には既視感を抱く人もいるかもしれない。

下に強く当たり、顧客や上役に怒られるのを恐れ、デスマーチを強いる無能上司。
そんな無能に苦しめられた経験がある人は、きっとこのドラマを楽しめると思う。

会社は幸福になるための手段にすぎない

会社は目的ではなく、幸福になるための手段にすぎない───。

これは橘玲さんのどこかの著作に書かれていた文である。

会社は単なる手段にすぎないはずなのに、会社に溶け込み、会社で認められ、会社とともに過ごしていくことが目的になっている人は多いように感じる。

とにかく人生の全てを会社を中心にして考えているのだ。
それが楽しくて仕方ないなら全く問題ないが、日々居酒屋で愚痴を言い、虚ろな目をして会社に行っているなら、一度自分の人生について問い直してみるのもいい。

会社は自分の目的をかなえるための適切な手段になっているのか?
会社を前提とした生き方に囚われすぎて、自分の本音を見失っていないか?

人生は退屈な仕事をして過ごすには長すぎるが、夢を追いかけるにはあまりにも短い。

人生の大半を費やすことになる労働が、自分の人生の幸せに寄与しているか振り返ってみるのといい。
『わたし、定時で帰ります』には様々なキャラクターが登場し、それぞれが働き方のモデルを提示してくれる。

このドラマは現在岐路に立たされている日本型雇用のターニングポイントにもなり得るし、働き方を見直すきっかけにもなるドラマだと思う。

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あらすじ

最後に『わたし、定時で帰ります』のあらすじを紹介する。
ネタバレは読みたくない人もいると考えて、最後に持ってきた。

* * *

定時帰りを死守する女・東山結衣がダメ上司・福永清次が無理に取ってきたプロジェクトのチーフを担当することになる。
プロジェクト開始当初は「メンバーを定時で上がらせる」と意気込んでいた結衣だった。

そのためにメンバーを説得し、周りを変えていこうと努力した。

様々な問題を抱えるメンバーがいる。
あるメンバーは深夜まで残っているが、全く生産性が上がっていなかった。

念のため新人を横につけて様子を見てみると、深夜まで全然仕事しないでサボってばかりいる。
彼が深夜まで働く理由は、

「昼間に頑張って自分の無能さを人に見られたくないから」

だそうだ。
メンバーは不安なのだ。

女性役員を狙う賤ヶ岳八重も曲者だ。
役員になるために上司に取り入り、

  • 残業上等
  • 育休は甘え

の精神をチームに持ち込もうとする。
全ては出世のためだ。

「なんでみんな面倒くさい方向に進もうとするんだろう」

結衣は会社に潜む魔物に思いを馳せる。


愚かな上司・福永の愚かな提案により、次第にメンバーの作業量は増えていく。
いつしか「残業しない主義」を貫いてきた結衣も残業せざるを得ない状況に陥っていた。

疲弊が募るメンバーを精神論で鼓舞しようとする福永。
そしてプロジェクトが追い込まれれば追い込まれるほど爛々として仕事に向かう元婚約者でワーカホリック種田晃太郎。

「この二人をなんとか変えなければ」と意気込む結衣は決死の作戦に出る───。

キャスト

「会社にいそうなキャラクター」を作者の朱野帰子さんの視点で生き生きと描いた作品である。
ドラマはどうしても吉高由里子の可愛さばかりに目がいってしまうが、小説は人物の心情により集中して読むことができる。

個人的には種田晃太郎は向井理のようなイケメン優男ではなく、もっとがっついた感じの体育会っぽい人が合っているように感じる。

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種田晃太郎のイメージ

結衣の現恋人の諏訪巧が向井理のイメージが合っている。
残業もせず、どこか甘えた部分がある人だからだ。顔も甘いほうがいい。

福永はユースケ・サンタマリアがぴったりだ。
ユースケ・サンタマリア本体は仕事ができるかもしれないが、顔はなんとなく無能そうに見えるからだ(褒めている)

東山結衣は吉高由里子が演じているのだが、この人はちょっと可愛すぎる。
その可愛さが罪である。残業してほしくない。
無理せずさっさと帰ってよく寝てほしい。