アニメ『ドラゴンボール超(スーパー)』はドラゴンボールの歴史を汚すひどい作品だ



地球人に出し抜かれドラゴンボールを奪われたときのフリーザのように怒っている。

こんなにひどいアニメは人生で初めてだった。

僕はこれまで何度も何度も記事で書いてきたように、ドラゴンボールを愛している。

小学生の頃はアニメのドラゴンボールを手に汗握りながら見ていた。

部屋で一人、自由帳に悟空の絵を飽きずに描いて遊んでいたものだ。

ドラゴンボールが大好きだった。

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そんなドラゴンボールの「続編アニメ」がAmazonプライム・ビデオで見れるようだったので、早速空き時間に眺めてみることにした。

あのドラゴンボールの続きだ。

ストーリー原案は鳥山明である。きっと面白いに違いない。

期待に胸を膨らませながら第一話を見てみたら、なんと悟空が労働していたのだ。

あの悟空が、地球を救った悟空が、トラクターを運転していたのである。

しかもトラクターを運転するだけ運転して、途中で修行を始め、耕した土地を破壊してしまう。

何がしたいのかわからない。

そして悟空の労働に限らず、何の意味があるのかわからないエピソードが大量に挟まれている。

たとえば、悟天とトランクスがビーデルのために化粧水を取りに行くのだが、その化粧水は何の伏線でもなく、ストーリー上何の意味もない。

ただ川で水を汲んでビーデルに渡しただけだ。

このエピソードは何のために描いたのか?
このエピソードのために一話の半分以上を費やしている。

その他にもベジータとブルマのデートのような描写などがダラダラと続く。

ミスターサタンが悟空に1億ゼニーをプレゼントする描写もあって、もしかしたらこの1億円が何か新しい展開につながるのかと期待したが、マジでただ1億ゼニーを渡しただけで何の意味もなかった。

第二話か第三話くらいでビルスが出てきて、どこかの星で何かを食って、星を壊していた。

そして星の破壊も特に意味があるわけではない。

今回の敵には全く大義がないのだ。

星を破壊するのは「破壊神だから」

それだけ。

未だかつてこんなに魅力のない敵はいただろうか?

「地球を征服したい」
「ドラゴンボールを集めて不老不死になりたい」
「孫悟空に復讐したい」
「全宇宙を支配したい」

今までもドラゴンボールの敵にはちゃんとした目的があった。

そしてその目的を阻止する理由もあった。

破壊神ビルスの場合、何の目的もないのだ。

敵が単純であるがゆえにストーリーも単調で、

  • 破壊神ビルスが地球を破壊しにくる
  • 悟空が超サイヤ人ゴッドになる
  • 闘う
  • 負けそうになる
  • また闘う

みたいな、ツイッター140文字にまとめられそうな程度の話でしかない。

しかも最後は

「ビルス様〜なんとか地球を破壊しねえでくれねえかな」

みたいな、まさに神頼みみたいなことを悟空がやっているのだ。

かつてベジータに地球を破壊されそうになったとき、悟空は敵に情けを乞うような真似はしなかったはずだ。

今までの悟空なら力尽きるまで闘っていたはずだ。

なーにが

「破壊しねえでくれっかなあ」

だよ。悟空がそんなことを敵に頼むなよ...。


ストーリーが無いのも問題だが、中身が全く無いストーリーを無理やり放送しているのも残念だった。

全編通じて無駄な描写が多く、枠を埋めるために尺を延ばそうとしているのがありありと感じ取れて、アニメ製作者の誠意や情熱は全く感じなかった。

とりあえず「ドラゴンボール」って名前にして、悟空やベジータをテレビで動かせばみんな見るだろう、みたいなナメた空気がありありと伝わってきた。

映画の劣化版焼き直しのvsビルス戦。

いつまでやるのかと早送りしながら見ていたらなんと!ビルス戦に15話も費やしていたのだ。

15話だぞ...?

鬼滅の刃だったら15話で既に鬼殺隊の一員となった炭治郎が那田蜘蛛山で鬼と闘っている。

鬼滅の刃と比べたら、いかにドラゴンボール超が無駄な話をダラダラとやっているかがよくわかるだろう。

ナメック星で悟空が超サイヤ人になったとき、その胸熱展開に僕たちは涙を流しながら震えたものだ。

穏やかな心を持ちながら激しい怒りによって目覚めた超サイヤ人。

圧倒的な力を持っていたフリーザを超パワーでボコボコに殴る悟空を見て、少年たちは心踊らせた。


大人になってから見るドラゴンボールがこんなくだらない作品に変わり果てているとは...。

闘いも

「うぉああああ」

と悟空が叫んで、ただ殴り合うシーンで3話分くらい費やしたりもする。

いや、もっとか。

範馬刃牙並にストーリーが進まないのだ。

ドクターストーンや鬼滅の刃のアニメがテンポ良く進んで素晴らしい出来な分、ドラゴンボールのくだらなさが際立つ。

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いや、少し書き方を間違えた。

ドラゴンボールがくだらないのではなく、アニメ製作者が怠慢なのだ。

この記事がアニメ製作者の目に留まる可能性は限りなくゼロに近いと思うが、もし見る機会があるなら聞きたい。

「ドラゴンボール超は本当に真面目に作る気があったのだろうか?」

と。

「とりあえず放送しておけばいいや」

みたいに考えながら作っていなかっただろうか?

僕には作品に対する愛情や、プロフェッショナルの熱意が全く感じられなかった。


ドラゴンボールスーパーはかつてのドラゴンボールファンに対する冒涜だ。

あんなものはドラゴンボールではない。

いっそ改名して

「トラコンポール」

にしてはどうだろうか?

あれをドラゴンボールと一緒にされたらたまらない。

別の作品にしてほしい。

もっとベジータを大事にしろよ

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ドラゴンボールでのベジータは独特のキャラだった。
プライドが高く、サイヤ人のナンバーワンになるためにストイックに修行を続けていた。

強くなるためにバビディに操られたりもしたが、強い敵に恐れをなしたことなどはなかった。

それがなんだ、この体たらくは。

ベジータが破壊神ビルスの機嫌を取り、たこ焼きを作ったり接待したりしていた。

こんなベジータは見たくなかった。

僕がアニメから離れていた間にベジータに何があった...?

どうしてこんなことになっているんだ?

アニメを作るなら、ちゃんとキャラクターの個性を大事にしてほしい。

なんでここにきてベジータのキャラを壊してしまうのだろう。

たこ焼きを焼くベジータの姿を見て悲しくなった原作ファンは多かったのではないか。

ギャグアニメにするならドラゴンボールではなくやはり、「トラコンポール」に改名してスピンオフ作品として作ってほしい。

「ドラゴンボールスーパー」をドラゴンボールZの続編として見てしまうと、多くのファンが失望するのは間違いないだろう。

人生で見たアニメの中で一番の駄作であった。

全くおすすめしない。