「もっと良い部屋に住みたい」
「キレイな夜景が見えるマンションに住みたい」
という願望は、地方から東京に出てくる多くの若者が抱きがちな夢だろう。
僕も例に漏れず、背の高いマンションに憧れていた。
どんな場所でもいい。
タワーマンションに住みさえすれば人生が変わると思っていた。
というより、モテると思っていた。
タワーマンションに住めばモテるかどうかは別の機会に書くとして、『Think clearly』という本に興味深い記述があった。
「あなたは車を所有しているだろうか?もしくは家(マンション)を持っているだろうか?パソコンを持っているだろうか?
それを持っていることに、どれくらい『喜び』を感じているだろうか?」
心理学者のノーベルと・シュヴァルツ、ダニエル・カーネマンは車を所有している人たちにこの質問をして、持っている車の価格と答えを比較する研究を共同で行った。
すると、
「車が高級であるほど、所有者の喜びも大きい」
という結果が出た。
車や家に多額のお金を投資すると、「喜び」という形で投資に対する十分な利益を受け取ることができるのだ。
心理学者達は少し違う質問をしてみた。
「前回、その車を運転したとき、運転中にあなたはどれくらい喜びを感じていただろうか?」
その結果、車の所有者がつけた喜びの評価と車の価格には全く相関関係は認められなかった。
高級車でも使い古しの車でも、喜びを感じる度合いは共通して低く、最低レベルに留まったのだった。
この質問から、「車の価格」と「喜び」のあいだには相関関係があるが、高級車だからといって運転することに喜びを感じるわけではないことがわかった。
その理由は、最初の
「車を所有することにどれくらい『喜び』を感じているだろうか?」
という質問では「車そのもののこと」を考えるが、
「運転中にあなたはどれくらい喜びを感じていただろうか?」
という質問では「車以外のいろいろなこと」が頭に浮かんでくるからだ。
運転中の電話のやり取りや仕事中のある場面、渋滞や前を走る車の無茶な運転など、様々なことが連想される。
つまり、「車のことだけを考えているうちは喜びを感じられるが、車の運転をしていることまで考えると、その喜びは失せてしまう」のである。
郊外に素晴らしい戸建の住宅を買ったとしよう。
最初の三ヶ月は「自分の城」にある部屋の一つ一つを存分に楽しみ、邸宅内のすみずみまで満喫する。
だが半年もすると、その素晴らしさにも慣れてしまう。
また以前のように日常の雑事に飲み込まれ、もっと急を要することへの対処に追われるようになる。
買い物は歩いては行けず、以前は自動車で10分だった通勤時間はいまや満員電車で往復2時間である。
その素晴らしい邸宅を購入してから、実質的な満足度には損失が出ているのだ。
ものごとを全体的にとらえる
ノーベル経済学賞を受賞した心理学者のダニエル・カーネマンは
「特定のことについて集中して考えている間は、それが人生の重要な要素のように思えても、実際にはあなたが思うほど重要なことでもなんでもない」
と言っている。
人生における「特定の要素」だけに意識を集中させると、その要素が人生に与える影響を大きく見積もりすぎてしまうのだ。
たとえば寒い風が顔に吹き付ける北国に住んでいる人がいたとして、温かいところに住みたいと切に願っているとする。
しかしその人が太陽が燦々と降り注ぎ穏やかな海風が吹くマイアミビーチに引っ越したとしても、幸福度は大きくは変わらない。
その人は北国でもマイアミビーチでも変わらず家を出て、車を走らせ、渋滞に巻き込まれ、職場に着くと大量のEメールを処理して、小言を言う上司に対処する。
朝の通勤から夜のソファでくつろぐまでの一日の流れを追ってみると、天気はその日全体のほんの一部の要素に過ぎないことがわかる。
一週間、一ヶ月、一年、一生と長い目で見てみると、天候などは人生の満足度においてほとんど取るに足らないことになってくる。
特定のことを過度に重視してしまう錯覚を「フォーカシング・イリュージョン」という。
このフォーカシング・イリュージョンを避けるには、特定の要素だけを過大評価しないように、十分な距離を置いて比べてみる必要がある。
仕事、住居、パートナー選びなど、ありとあらゆることにフォーカシング・イリュージョンの考え方は適用できる。
特定の要素だけに意識を集中させることなく、その要素が人生に与える影響を広い視点で眺めるのがいい。
嫌な仕事を我慢してタワーマンションに住むサラリーマンと、貧乏アパートで彼女と同棲する大学生はどちらが幸せだろうか
タワーマンションに住むと良いこともある。
コンシェルジュに頼めばタクシーを呼んでくれるし、マンションのエントランスで宅急便を出したり、スーツをクリーニングに出すこともできる。
各階にゴミ捨て場があったり、シアタールームで映画を楽しむこともできる。
タワーマンションに住んだからといってモテることは一切ないが、便利なこともたくさんあるのだ。
安い給料の中で無理をして、ささやかなタワーマンションに住んだことがある。
タワーマンションに住めば何か素晴らしい人生が待っている気がしたし、引っ越ししたから1ヶ月くらいの間はマンションのエントランスや夜景に感動していた。
しかしながら、夜景やエントランスはやがて「日常」となる。
ディズニーランドはたまに行くから「非日常」なのだ。
ミッキーにしてみたら、ディズニーランドは「自分の家」でしかない。
同じように、タワーマンションの非日常感はやがて消える。
そうして日常の中で、毎月の家賃の引き落としにちょっとヘコんだり、家賃をたくさん払ってもモテない現実に打ちのめされたりと、無理した反動が出てきて、最初の高揚感がじわじわと生活の不安に侵されてくる。
そもそも毎日朝から晩まで会社で働くと、家で起きている時間は一日の10%以下にしかならない。
普通のサラリーマンが無理して「住めるレベル」のタワーマンションを探そうとすると、職場の近くに都合よくマンションがあるわけでもなく、不便な場所から頑張って通勤することにもなりかねない。
タワーマンションの「非日常」は「日常」になり、日常の通勤電車は容赦なく僕たちの魂を削っていく。
木造のアパートに住もうと、夜景が見えるタワーマンションに住もうと、毎日洗濯をして、皿を洗い、風呂に入り、ベッドに入って寝ることには変わりない。
「タワーマンションに住むこと」は自分たちの人生をどれだけ幸せにするのだろう?
余裕がある人が「便利だから」とタワーマンションに住むのは全く問題ないが、
普通のサラリーマンが見栄のために無理して家賃を払い、不愉快な満員電車に乗って、嫌な会社で我慢して働いてタワーマンションに住んでいるのであれば、おそらく人生の「幸せの収支」はマイナスになっている。
思えばタワーマンションに住んでいるときよりも、自由な時間があった学生時代、家賃5万円くらいのボロアパートに住んでいるときの方が幸せだった。
友達がいて、女の子と遊ぶ時間があって、学食の飯はうまくて、仲間とスポーツをして、嫌な会社に通わなくてもよかったから。
タワーマンションに住んでいた頃の僕には何もなかった。
愛と勇気と夜景だけが友達だった。
「どんなマンションに住むか」が幸せに与える影響は思っているほど大きくない。
「タワーマンションに住めば人生ハッピー」みたいな考え方は「フォーカシング・イリュージョン」、つまり錯覚に過ぎない。
高い物を持てば幸せになるとか、高いマンションに住めば人生最高だとか、特定の要素にフォーカスし過ぎることなく、もう少し広い視点で自分の幸せを考えてみるのがいい。
それで本当に自分の幸せがタワーマンションにあるならば、もう迷うことはない。不動産屋に行け!
......最後に責任逃れのようなことを書くが、とてつもなく高級なすごいタワーマンションに住んだらどういう気分になるのかは今の僕にはわからない。もしかしたら幸せがずっと持続するのかもしれない。
Think clearly 最新の学術研究から導いた、よりよい人生を送るための思考法
- 作者:ロルフ・ドベリ
- 発売日: 2019/04/01
- メディア: ペーパーバック