安田善次郎に学ぶ、勤倹貯蓄の大切さ



安田善次郎は明治時代の大富豪である。
一代で国家予算の8分の1に匹敵する資産を持つに至った巨人だ。

幼い頃から質素倹約を旨として、20歳でおもちゃ屋や両替商に奉公し、商売のイロハを学ぶ。
26歳で独立し、貯めた金を元手に安田屋を開店した。

善次郎が独立する際に誓ったのは以下の3つであった。

  • 他人の力を当てにしない。女遊びをしない
  • 嘘は言わない。誘惑に負けない
  • 支出は収入の10分の8にとどめ、残りは貯蓄する

好きだった煙草を辞め、酒を断ち、毎朝4時に起きて働いた。

善次郎のお金の使い方は傍から見ると異常に見えたかもしれない。
彼は無駄遣いは一切しなかった。

善次郎は嫁をもらう際にも3つの条件を出していた。

  • お客様を大切にすること。お客様は出世の神様なのだから、かりそめにもお客様を粗末にするような女性であっては、私の立身の妨げとなるから、そんな人は嫁さんに来てもらうわけにはいかない
  • 夫婦共働きで稼ぐこと。一生懸命働くこと
  • 倹約に努めること。着物は当分の間綿服ばかりであるのは当然のことである

この条件を理解した上で嫁いだ善次郎の妻は、大実業家の補佐としての役割を全うしたそうだ。

その後善次郎は安田財閥を築き上げ、現在のみずほ銀行の礎を作った。
東京大学に安田講堂を寄付し、日清戦争では戦費の3分の1を引き受けた。

善次郎は明治新政府の利付国債を引き受けたり、日清・日露戦争の戦費を引き受けたりと、救国の英雄ともいえる人物ではあるが、世間からは「ケチ野郎」と言われていた。

それは彼が人知れず善行を積むことを是としていたためであって、他人の承認を求めなかったからである。

天災や戦災の被害者に匿名で寄附を行い、弱き者を助け続けた。
実は人に優しく、温情深い人物であった。


そんな善次郎が著書で何度も強調しているのが「勤倹貯蓄」の大切さである。
勤倹貯蓄とは、よく働いて倹約し、お金をためるという意味だ。

勤倹貯蓄は生活の基盤であり、信頼の元でもある。
商売の花を咲かせる種でもある。


この記事では善次郎が説く勤倹貯蓄について考える。

善次郎は「ワイのやり方は凡人でも確実に実践できる成功の道やで」みたいに語っているが、どう考えても善次郎は凡人ではないので、そこは注意しておきたい。

さきほど、下記のツイートを見てハッとしたのだが、善次郎は心の底から「大成功したい」と思っていた。
だから志を貫徹できたのだ。


大商人になれば身分の差も乗り越えられる。
江戸で一旗あげるために、当時は犯罪となる脱藩までしようとした。

強い意志があったからこそ、勤倹貯蓄を徹底できたのだ。

貯蓄はどうして必要なのか

安田善次郎は勤倹貯蓄の大切さを強調していた。

なぜ貯蓄が大切なのか。

「どうして貯蓄が必要であるかという根本問題について、徹底的に理解して貯蓄をする人と、徹底的に理解せずに貯蓄をする人とでは、その結果において非常に大きな差が出るのだ」

と善次郎は述べている。

貯蓄の必要性の根本は何か。

善次郎の言葉を引用したい。

貯蓄の必要性の根本はなんであるかといえば、それはすなわち、

「個人的または社会的に優越となる、生存の基礎を確定すること」

である。

貯蓄こそがより優越な生存生活を確立し、職務を完成させるための土台であり、基礎であり、根底となるのだ。

「貯金なんてするな!有り金は全部使え」などと主張する成功者も世の中にはたくさんいるが、善次郎はそういう生き方をはっきりと否定している。

「資本などはどうでもよい、頭脳が優れていることこそ重要だ。
つまり計画、運用、積極的で素早い行動こそ必要であって、これさえあれば資本などは最初から問題にする必要などないのだ」
などといって、あたかも冒険小説のようなことを言う人もいるようだが、私はそれに賛同することはできない。

なぜならば、私はやはり、どこまでも資本こそが一番の問題となるものだと信じているからである。

仮に、上の説のように資本は二の次で、第一は計画・運用・行動であるとしても、結局は資本の問題を避けて通ることはできないだろう。

資本を無視しては、いかに雄大な計画があったとしても、実現することはできない。
いかに巧妙な運用方針があったとしても、それを実行することはできない。
いかに優れた行動ができたとしても、所詮は優れた行動にとどまって、具体的な結果をもたらすことは難しい。

また仮に、資本を第二とし、計画・運用・行動を第一として、それで立派に成功し、目的を達成できる人があったとしても、それは稀有な人であってこそ可能になることであって、一般的な方法とすることは間違いである。

誰にでも実行できる万人向けの方法であるとは、とても言えない。
よほど傑出した非凡の人物でなければ、到底不可能である。

一般の人々が取るべき方法は、やはり一般的方法でなければならない。

一部少数の非凡人でなければ不可能な方法を、一般の人にもそうしろというのは、できないことをやれと言っているのと同じだ。
できないことをやれというのは、百害あって一利なしである。

善次郎の本を読みながら、僕は一人の男を思い出した。

前澤友作だ。

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「金は限界まで使え」と吹聴し、YouTuberとして初めての投稿は

「【YouTube初投稿】1000億円を通帳に記帳してみた」

だった。さすが友作、ぶっ飛んでる。

www.youtube.com


「お金を限界まで使うことが自分の成長につながる」

と語る成功者は多い。

成功者が「金は使っていいんだ!それは未来の投資なんだから!」と力強く言ってくれると、なんだか許された気になってしまう。

「ああ、お金、使っていいんだ」と。

それを凡人が勘違いして、単に物欲を我慢できていないだけなのに、

「これは将来に向けた投資だから......」

と自分を納得させてしまうと、無駄遣いをやめられなくなってしまう。


我々は友作ではないのだ。
剛力彩芽と付き合えないし、宇宙にも飛べない。

散財は経験にならない。ただの浪費である。

それなのに、

「点と点がつながって線になる。connecting the dotsさ」

などとスティーブ・ジョブズみたいなことを言って、ただの散財を「未来につながるdot(点)」のように語ってしまう人は、さすがに自分に甘すぎだろう。

気晴らしで金を使っていると理解しているなら良いが、謎の自己正当化は避けたほうがいい。

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隠匿を積む

善次郎の話に戻ろう。


善次郎はたしかにケチに見えたかもしれない。

普段銀行に出勤する際は、和服なら紬の着物、洋服ならば年に二回ずつ、銀行員全員に渡すものと同じ背広を着用していた。
行員には毎年新調してやっていたが、自分は二年も三年も一着で通したそうだ。

現代で考えるならば、ユニクロで買った一着の服を3年も着続けるようなものだろうか。
これはなかなかできることではない。

だがこれほどケチ臭く見える善次郎も、よく計画を練り、考え抜き、「これは有益である」と判断した事業に対しては思い切ってお金を使った。

彼は自分の贅沢のためではなく、天下にとって有益な事業のために金を使おうとしていた。


日清戦争の際は、軍資金の約3分の1にあたる金を引き受けた。
政府の歳出が7000万円の時代に、2300万円を一人で引き受けたのだ。

ただのケチ野郎にはこんな真似はできないだろう。

善次郎は名声も承認も得ようとはしなかった。
寄附はほぼ匿名で行っていたため、世間からは吝嗇家に見られることが多く、誤解されたまま生涯の幕を閉じたといっていい。

最期はしょうもないテロリスト・朝日平吾に「富豪の責任を果たしていない」と難癖をつけられ、暗殺されてしまった。

人生何をやってもうまくいかない、何一つまともにやり遂げられない糞みたいな「無敵の人」に逆恨みされ、凶刃に倒れた善次郎は今際の際に何を思っただろうか。

世間は善次郎を殺したテロリストを祭り上げ、「朝日のために善次郎よりも豪華な葬儀を行おう」と呼びかけまでしていたという。

庶民の嫉妬ほど醜いものはない。

金持ちを叩いたところで自分の人生は変わらない。
嫉妬せず、自己を省みて、一つずつ課題を解決し、世のために何かしらの価値を生み出していくしかない。


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貯蓄は信用を生む

「世の中には立派な才能や知識を持っている人材がとても多い。

しかしそれらの人材にどれほど信用があるかということを考えてみると、怪しい人も多いものだ」

と善次郎はいう。

才能や知識があっても信用を置くことを躊躇してしまうのは、「確実な人物ではない」からである。
勤倹貯蓄をなす人は真面目、几帳面、確実主義などの特徴を備えており、信用を重要に考え、死活問題として捉えている。

信用があれば事業の成功につながる。
信用があれば商売がやりやすくなるからだ。

要するに善次郎は、

「勤倹貯蓄が信用を生む。普段から散財しているような人間は信用できない。信頼されない人物が事業で成功するのは難しい」

と言っているのだ。

「信用は資本以上なり」と善次郎は説く。

信用経済という言葉が出てきたのは2000年以降だが、善次郎は明治時代から既に「信用の大切さ」を強調していたのであった。

贅沢をやめ、貯蓄に励む者は周りから信用されるのだと。人から信用される人間になれと。

どうやって貯金すればいいか

善次郎の暮らしは質素であった。

朝は一椀のお粥、昼は行員と一緒に11銭の弁当を食べる。
夜は少し御馳走だが、一般から見れば質素なもので、珍味などを食べることもない。
出されたものは全て残すことなく平らげる。

銀行の弁当も「不味い不味い」と新人の若者が小言を言うくらいであったが、善次郎だけはいつでもうまそうに全部食べていたそうだ。
食いしん坊か。

彼は日本一の資産家に上り詰めてからも質素な生活を貫いた。
オマハの賢人、ウォーレン・バフェットにも通じるものがある。


『金の世の中』の第八章で善次郎は「貯金ができる生活方法」を紹介している。

まずは一家の経済における予算の編成を作り、その編成された予算によって厳格に生活していくことが必要である。

具体的には下記のように費用を分類し、予算を決めて、それを厳密に守っていくのだ。

  • 経常費(家賃、食費、日曜必須品の費用など)
  • 義務費(税金、寄付金など)
  • 家族給与費(家族に渡すいわゆるお小遣いの額)
  • 積立金(冠婚費、保険料など)
  • 予備費(純財産としての貯蓄金)

常識外れの域まで生活を低下させよというわけではなく、積立金は「いつまでも続けられると確信できる程度の額で行うべきである」と善次郎はいう。


善次郎は小さな積み重ねの大切さを強調している。

「地理も積もれば山となる。大海も一滴の水より成り、千里の道も一歩より始まり、地球も一塊の土・一滴の水より成るものである」と。

コツコツ貯めなさい。昇給しても生活の程度を急に上げなさるな。
人は習性の動物なので、どんな境遇にも慣れていくものだ。

徹底的に勤倹するならある程度の諦めも必要だ。
少しずつでも継続的に貯蓄せよ。

自分がどれくらいのお金を使っているのかを正確に把握する

自分が普段からどれくらいのお金を使っているのかはきちんと記録しないとわからない。
支出と収入を数字で把握しないと、なんとなくの印象で「今月はたくさん使ったな」「いっぱい我慢した気がする」と判断してしまう。

数字よりも感情の方が頭に残りやすいので、感情の振れ幅で支出の多寡を見積もってしまうのだ。

言うまでもなく、支出と収入は感情と切り離して数字で押さえておかなければならない。
しかし、忙しい中で毎日家計簿をつけるのは面倒くさいのも事実だ。

だから、現代のテクノロジーを活用しよう。

僕は5年以上前からマネーフォワードMEでずっと支出と収入を管理している。
いくらお金が入って、そのお金はどれくらい使っているのかが自動的に集計される。
確定申告のときはマネーフォワードに入っている情報をそのまま活用できる。

マネーフォワードで月々の支出を把握しておけば、「どれくらい収入があれば問題なく生きていけるのか」が数字でわかる。

「自分も家計を数字で管理したい」と感じた人は思い立ったが吉日。アプリをインストールして自分の支出を確認してみてほしい。

はじめて使った時は「こんなに便利なのか...!」と感動するはずだ。

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天引きで貯金しなさい

月収の中から天引きで貯金しなさいと善次郎は説く。

会社員だろうと商人だろうと、天引きで貯蓄しなさい、と。

酒を我慢して、煙草をやめて、収入の2割を天引きする。
運用するなら絶対に潰れない大きな会社に投資する。

昔よりも利率が大きく下がっている現代では「運用による利殖」は難しくはなっているが、それでも「天引き貯金」は極めて真っ当な蓄財方法だと僕も思う。

同じく明治時代に大金持ちになった本多静六にも通じるものがある。

oreno-yuigon.hatenablog.com


こうやってみると、安田善次郎が語る教訓に難しいものはない。
勤倹貯蓄は短期間なら誰にでもできる。ずっと続けるのが難しいのだ。

さすがに善次郎の成功が「勤倹貯蓄だけにある」とはいえない。
運も良かった。時代も良かった。善次郎には度胸も行動力も根気もあった。

とはいえ、勤倹貯蓄が善次郎の人生において大きな意味を持っていたことには違いなく、凡人である自分もせめて「贅沢せずに質素に暮らす」点だけは真似したいと思っている。


安田善次郎の本はKindle unlimitedで無料で読めるようになっていたので購入しました。

『金の世の中』
『金持ちになれる道』

の両方が無料で読めます。