ロジカルシンキングの時代からエビデンスの時代へ



10年前の就活生にとって、ロジカルシンキングの習得は学歴や実績に次いで重要な課題であった。

照屋華子の『ロジカル・シンキング』に始まり、バーバラ・ミントの『考える技術・書く技術』を読み込むまでが就活生のマナーであった。

ロジカルさよりもノリと勢いが評価されるのが大学生活である。

そんなノリと勢いしかない大学生が付け焼き刃でバーバラ・ミントを読んだところで、急に論理的になれるわけがない。

就活が始まるまでバーバラ・ミントとキス・ミントの違いすら知らなかったのだ。


結局、なんだか小難しいロジカルシンキングの用語だけ少し覚えて、肝心の中身は全て忘れた。

とりあえず結論から話し、理由をつけて、まだ話しても良さそうだったら具体例を話す。
いわゆるPREPと呼ばれる、論理展開の型に従うくらいが精一杯で、面接中の会話でさえ筋が通っていたかは疑わしい。


意識の高い就活生の間ではコンサルタントが書いたロジカルシンキング本が流行っていた。

やれMECEだ、やれロジックツリーだと皆がこぞって「思考の分析ツール」を使い、グループディスカッションで誇らしげに「分析のフレームワーク」を吹聴する輩が次々と現れた。

フレームワークのバーゲンセールの様相であった。

付け焼き刃のフレームワークの効果は怪しく、面接官に“それっぽさ”をアピールするくらいにしか役に立たなかった記憶がある。
正直、4Pだろうと3Pだろうとどちらでもいいし、僕は3Pの方が好きだ。


はじめに断っておくが、この記事は全体的にブーメランとなっている。

「ロジカルシンキング重視の雰囲気が、エビデンス重視に変わっていくんじゃないの?」

という内容をエビデンスなしで語っている。


とりあえず僕とケンの思い出を語りたい。

ロジカルよりもエビデンス

ロジカルシンキングが流行りまくっていたあの頃、コンサルティング界の神として大前研一が崇められていた。
大前研一を知らないビジネスマンは少ない気もするが、簡単に経歴を紹介する。

  • 1972年、経営コンサルティング会社マッキンゼー・アンド・カンパニーに入社
  • 経営コンサルティングの現場で書き溜めたノートを『企業参謀 戦略的思考とはなにか』のタイトルで出版。世界的ヒットとなる
  • マッキンゼー・アンド・カンパニーでは日本支社長、アジア太平洋地区会長を務めた


マッキンゼー退職後は伝説のコンサルタントとしてビジネス・ブレークスルー大学を設立し、2005年12月にマザーズ上場を果たした。
コンサルタントとしても、起業家としても、投資家としても、作家としても人並みはずれた結果を残した現代ビジネス界の巨人である。

そんな大前研一氏がライフワーク的に出版しているのが『日本の論点』という本で、幅広いテーマを取り上げながら、持ち前の大前節での分析を繰り広げている。

2020〜21年版の『日本の論点』が出たようなので、本屋で立ち読みしてきた。

目次に「財務省は令和の徳政令を企んでいる」みたいな項目があったのでザッと読んでみると、

「財務省が新札の発行を急ぐのは足りないお金の埋め合わせをするためである」

みたいな主張であった。

主張自体は面白い。

それで、何かその主張を裏付けるエビデンスがあるのかと読み進めてみたのだが、どうも大前研一氏の推測や予測に沿って持論を展開しているだけであって、明確なエビデンスが示されることはなかった。

統計データすらもなかった。

尖った主張を打ち出すのはいいが、根拠がないのだ。


「ケン...お前、どうしちゃったんだよ...」

と思わずにはいられなかった。


一昔前ならこれでもよかったのかもしれない。

「○○だから、△△と考えられる」

この「○○」と「△△」をロジックでつなげることができれば、主張に説得力を持たせることができた。

が、最近は統計学の流行もあり、個人的な感覚かもしれないが、

「論理的でもエビデンスがない主張」

には納得しづらくなってきている。


たとえば、自社の製品のウェブ広告を打つとする。
担当者は広告案Aと広告案Bで、どちらが効果が高いか迷っていた。


昭和であれば、勘と経験とロジックで、

「こういう施策を打てばうまくいくんじゃないか」

と知恵を絞ればよかったのかもしれない。

でも今では、広告Aと広告Bを実際に市場に出してみて、効果を測定し、その結果を見てどちらが良いかを判断できる。

いわゆるA/Bテストだ。

Googleの意思決定は全てデータを元に行っているという。
担当者の勘と経験ではなく、ユーザーの動きを統計的に解析して、意思決定に活かす。

もちろんテレビ広告などは簡単に実験ができないため、まだまだ勘と経験が大切だとは思うが、少なくともウェブの世界では「実際のデータ」が何よりも重要だ。100の論理よりも、1のエビデンスの方が信頼に値する。

論理的に考えて正しそうな方を選んだり、勘と経験で最後にエイヤと決めるのではなく、実験した結果を元にアクションを決定するのだ。

oreno-yuigon.hatenablog.com

何を根拠にするか

全ての事例でA/Bテスト(ランダム化比較試験)を実施するのは難しい

コンサルの帝王・大前研一風の「論理的な思考」と「入手できるエビデンス」の掛け合わせで分析していくのが現実的だろう。

下記を「エビデンス」というのは大げさかもしれないが、A/Bテストができない場合は、

  • 統計データを活用する
  • 小規模な実験からデータを取る
  • 論文を引用する
  • 過去の歴史的な事例を参考にする
  • (個人のブログレベルなら)専門書籍を引用する

などを根拠にするのがよいかもしれない。

「過去の歴史的な事例を参考にする」はもはや、「年配者の経験則に学ぶ」に近い。

余談だが、メンタリストDaiGoさんは自分に都合の良い論文を引っ張ってきて、都合よく解釈していたことが問題になった。
論文を引用しているからといって、信頼できるとは限らない。

専門書だからといって正しいとも限らない。

そう考えるとやはり、リーン・スタートアップよろしく、小さく始めて市場の反応を見ながら改善していくやり方が効果的に思える。

oreno-yuigon.hatenablog.com

統計学は文系・理系問わず学んでおきたい

2019年にベストセラーとなった『FACTFULNESS』や名著『科学立国の危機』は統計データを豊富に使い、筆者の主張に説得力をもたせていた。

「こういうデータがある」そして「このデータが示す事実はこうである」

という流れで筆者の主張を展開してくれるため、違和感なく読み進めていくことができた。


偉大なるコンサルタント、ケン・オオマエをいじるのは勇気がいることだが、やはり「論理的に正しそうなだけ」では、相手を納得させるのは難しくなってきているように思える。

ケンはたしかに論理的だ。ロジック界の帝王とも言えるだろう。

その上、彼の実績が錯覚資産となって、エビデンスがなくても「あのケンが言うんだから間違いなさそうだ」と思えてしまう。

しかしどんなにすごい人でも、頭の中のロジックだけで未来は予測できない。
何が起こっているかをデータを元に理解し、そこから考えうる将来の可能性を提示するしかない。

そして、「そこにあるデータ」から正しい知見を引き出すには、統計学の知識が必要だ。

僕が好きな『「イノベーターのジレンマ」の経済学的解明』に以下のような記述がある。

何が言いたいのかというと、放っておいたら「データは何も語らない」ということだ。
むしろ私たちは積極的に

「データに耳を傾ける」

必要がある。

そのための基本チェック・リストは次のようなものである。

①データ化されている指標は、正しく測られているのか。
②それらは本当に意味のある変数なのか。
③生のデータが生成される過程、すなわちデータの背後にある現実は、どのようなものなのか。
④それらの文脈に鑑みて、データ分析上、どのような問題が起こっている可能性があるか。
⑤だとすれば、どのような分析手法が望ましいか。その分析が論理的に成立するためには、背後にどのような過程が必要か。

我々はデータと向き合い、対話して、問題解決に活かさなければならない。

そのためには、「データとの共通言語」を学ばなければならず、それが統計学だと思っている。

「エビデンス主義の時代へ」というのは、ある人にとっては当たり前すぎるだろうし、ある人にとっては大げさすぎるかもしれない。

それでも自身の主張に説得力を持たせるために、データを活用する術を身に付けて損はない。

勘と経験だけでは意思決定の材料にならない時代が来るかもしれない。
少なくとも、ケンの権威だけでは僕は納得できない。

ロジカルシンキングは基本として、これからはデータを上手に活用するためにも統計学を学んでおきたい。


「イノベーターのジレンマ」の経済学的解明

「イノベーターのジレンマ」の経済学的解明

  • 作者:伊神 満
  • 出版社/メーカー: 日経BP
  • 発売日: 2018/05/24
  • メディア: 単行本