金を払わないクレーマーを客扱いする必要はない



法人ビジネスにも個人ビジネスにも言えることだが、金を払わないクレーマーを客扱いする必要はない。

職業に貴賤はないが、客に貴賤はある。

文句ばかりで全く利益にならない客がいる。

悪質なクレーマーへの対応には莫大な労力がかかる割に、得られるものはほとんどない。


常に不満をぶつけずにはいられないクレーマーは

「相手を屈服させるため」

「自分の優位性の強調するため」

「クレームを主張することで自分の重要性を認識させるため」

みたいな、歪んだ目的で文句を発することが多い。


そんなクレーマーの意見を取り入れて何らかの対応をしたところで、嫌味な姑のようにまた別の問題点を見つけて難癖をつけてくるはずだ。


「屈服」はクレーマーへのご褒美なのである。


クレーマー対応の労力は無料ではない。

人件費がかかり、対応メンバーのモチベーションも下がる。


クレーマーには毅然とした態度を取り、

「嫌なら関わらないでください」

と対応できればそれが一番だろう。


もちろん、会社組織の場合は簡単にクレーマーを撃退することはできないのはわかっている。

誰もが「こいつの相手するのは無駄だな...」とわかっていながら、丁寧に応対せざるを得ない。


特に歴史のある企業だとその傾向が強いだろう。

なので、会社で本気でクレーマーを撃退したいのであれば、「チームや部署・会社の方針」として、利益にならないクレーマーに対応コストを割かないと決定しなければならない。

さらに言うならば、そうやって悪質なクレーマーに毅然とした態度を取るためには、自社のプロダクトに優位性が無ければいけないのだろう。

簡単に他社に切り替えられる立場にあるから足元を見られるのだ。

「嫌なら他の会社の製品を使ってください(無理なのわかってるけどね)」

くらいの立場になれば、クレーマーは簡単に撃退できる。

極端な例だが、Googleに

「検索結果が気に食わない!私は傷ついた!許せないから検索結果を変えろ!」

などと言いがかりをつけるクレーマーがいたとしても、100%相手にされずに終わるだろう。


「文句があるなら使うな」

と言えればサービス提供側が強くなる。

コンビニのクレーマー対応もそれでいいと思うのだが...。

「僕のヒーローアカデミア」の「志賀丸太」に殺到したクレーマー



ポリティカル・コレクトネスが騒がれる中、「丸太」の是非を論じるのはこの記事の主旨ではない。

自分は丸太の話を知らなかったし、誰がどれくらい傷つくのかはわからない。


「核兵器を武器に戦う敵キャラクターが『Dr.ヒロシマ』だったら多くの日本人が傷ついてしまうでしょう?」

などの意見もある。

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僕は敵キャラクターがどんな名前でも気にしないので、「Dr.ヒロシマ」で傷つく人間がどれくらいいるかは想像できない。

核で目覚めた怪獣が東京を破壊しまくる映画はめちゃくちゃ面白かったし、『永遠の0』は3回見て3回泣いた。

個人的には映画や漫画のテーマは何であっても気にしないが、ポリコレ警察にとっては大問題なのだろう。


しかしここで問題となるのは、「文句をつけてくるだけの、ファンでもなく、金を落としてもいないクレーマー」に作者がわざわざ対応する必要があるのか?という点だ。

僕はネット上で「無料の娯楽」としてクレームをつけてくる人にいちいち対応する必要はないと思っている。

ネットには「傷ついた私に謝罪しろ」と言いたいだけの人が多いすぎるからだ。


今回は「ヒロアカ」を取り上げたが、ネットのクレーマーの問題は「ヒロアカ」に限らない。

献血をしない人が献血のイラストに騒いだり、
紅茶を買ってもいない人が午後の紅茶の広告に文句をつけたり、
いちいち「傷ついた」と大騒ぎするクレーマーに対処していたらコストが膨れ上がるばかりで利益がない。

謝罪したところで何も変わらない。

クレーマーは客ではないのだ。

クレーマーの文句を真摯に受け止めて対応したところで、その人たちは客にならない。

というより、対応内容に興味すら示さないだろう。

彼ら彼女らにとっては、何かに自分の怒りをぶつけて相手を屈服させ、傷ついた自分への共感を集めることが大事なのであって、商品自体は二の次だからだ。

謝罪させるまでが彼らのゲームだから、謝罪内容や謝罪した後の発信者側の動きには無反応となる。


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「傷ついた」と主張したい人が増えている

インターネット上に「傷ついた」と主張したい人が増えている。

「この表現に傷ついた!」

「私はこの表現を許せない!」

「謝罪を求める!作者は反省しろ!」

と、発信者に文句をつけることを生業としている人がツイッター上で急激に増えている。


飲み捨てられたタピオカミルクティーで風刺作品を作った女子大学生がネットで袋叩きにされたのは記憶に新しい。


仮想敵をみんなでイジメて気持ちよくなりたいだけの連中が、一般女子学生の個人情報を晒そうとしたり、誹謗中傷を日夜浴びせ続けていたのだ。


「私は傷ついた!許せない!」と主張する人たちがツイッター上で増えている。

一人の「傷ついた!」に反応して、

「私も傷ついた!」

「俺も!」

と誰かを叩くために自分が傷ついたように振る舞う人が日々、何かを炎上させている。


こういう「何かに傷ついていたくて仕方ない人」たちは、自分からわざわざ「傷つくネタ」を探しに行き、嫌なら見なければいいのに、ひたすらにネットで傷つき続けている。

断言してもいいが、ネットで他人の投稿に「傷ついた!」などと大騒ぎする人たちの9割は、明日突然恋人ができたり、100万円の宝くじが当たったり、会社で昇進したら、ネットの話など全部忘れる。

ネットの他人事など本当はどうでもいいことなのに、いちいち本気で傷ついた風のプレイをしているだけなのだ。


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悪質なクレーマーと有益なフィードバックの見極め方

悪質なクレーマーと有益なフィードバックを見分ける方法はシンプルだ。

「(金銭に限らず)自分に利益があるものは有益なフィードバック。そうでないものは全部クレーム」

と考えていればいい。

ただ、そうやって自分と意見が異なる人を全部クレーマー扱いして、裸の王様化していったインフルエンサーやアルファブロガーがたくさんいるのも事実だ。

文句や批判している人の目的を想像するのもいいかもしれない。

前述した「傷つきたいだけの人」や「文句を言うことで存在感を誇示したい人」は全てスルーで何の問題もない。

彼らの主張には論理性はなく、感情的にわめいているだけだからだ。

個人にとっても企業にとっても同じである。

一方で、自分の(自分たちの)おかしな内容を冷静に、論理的に批判している意見を見たときは、素直に受け入れて反省したほうがいい。

クレーマーに構う必要はないが、批判の全てはクレームではない。

自分に気付きを与えてくれる意見は有益なフィードバックである。