自分の本心がわからない人は、毎日手帳に感じたことをメモすればいい



「あなたが本当に望んでいるものはなんですか?」

という質問には、なんだかスピリチュアルみたいな、胡散臭い響きがある。

しかし実際のところ、

「自分が本当は何がしたいのか」
「自分はどんな状態になっているのが幸せなのか」

を言葉にして表現できる人は少ない。

というのも、僕たちは普段から忙しすぎて、考えなければならないことは山積みで、自分の内面を振り返る暇などないからだ。


それに厄介なことに、「自分が望んでいること」を見つめようとすると、「今の環境上の制約や固定観念」が邪魔をして、自分の心に素直になれない。


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いまの自分の箱の中で考えてしまう

「(いま、自分は◯◯の会社にいるから)5年後は部下を10人率いるプロジェクトマネージャーになっていたい」

みたいに、会社のレールの上で物を考えてしまったり、
世の中の多くの人が「カッコいい、素敵だ」と称賛したくなるような道を選びたくなってしまう。

「Googleで働きたい」

という人は山ほどいるだろうが、

「Googleでどんな仕事がしたいのか」
「そもそも自分はどんな仕事をしているときが幸せなのか」

を本心から語れる人は少ない。


私たちは他人のことはよく見えても、自分のことはよくわからないからだ。


就職活動の自己分析は無意味

就職活動のときには散々、自己分析をやってきたと思う。

たまたま就活がうまくいった意識の高い大学生(社会人になってからの実績は不明)が、

「ノート50冊分の自己分析をしたのが就活勝利の秘訣です」

みたいに、ドヤ顔で語っていた。

「本気でやれよ、死なないから」と就活生を叱咤して実際に命を落としたカリスマ就活アドバイザーの杉村太郎氏は、その著書『絶対内定』で自己分析の大切さを説いていた。

大量のワークシートの質問に答えまくり、「自己分析をやってやったぜ」みたいな気分になれる。

テンションが上がり、「頑張って自己分析した」という自信にはなるが、就活の自己分析なんていくらやっても自分のことなど全く見えやしない。

本気で自己分析した人ほど反論したくなるだろうが、就職活動の自己分析には何の意味もない。

なぜなら、就活の自己分析は、

「企業が求める人物像」と「自分の過去のエピソード」をつなげる作業だからだ。

就活の自己分析で見えてくるのは、志望動機と整合性の取れる自分の行動だけであって、それは決して自分の本音を反映したものではない。


君が女の子を口説いていたとしよう。

女の子をホテルに誘うと、

「一晩だけの関係なんて嫌」

と言われた。

すると君は頭をフル回転させて、過去の都合の良いエピソードを引っ張り出して、

「一晩の関係になんてならないよ。なぜなら過去にもなったことがないから」

みたいな話をして、女の子を納得させるだろう。

自分は大丈夫だから、と。


就活の自己分析はそれと同じ。

就活に都合の良いエピソードを切り貼りしているだけだ。


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山ほどエピソードを漁っても自分は見えない


自分の感情を分析し続ける

自分の本心は時間をかけないと見えてこない。

たとえば「今日の仕事」がとても嫌だったとしよう。

「なぜ自分は今の仕事が嫌だと感じるのか?」

「何をしていたときは楽しかったのか?」

を日々手帳に書き出していく。

「なぜそう感じたのか?」

を日々書き溜めていくと、自分がどういうものに対して嫌悪を感じるのかが見えてくる。

逆にどういう仕事をしていたときは楽しかったのか。
それはなぜ楽しかったのかも一緒に手帳に書き留めていく。

日々の感情の動きに対して、「なぜ」を掘り下げていく。

その上で、「では自分が幸せになるにはどうしたらいいか?」手帳に書き出していく。

現時点で実現できるかできないかは気にしない。

その代わりに、

「実現するには何が必要か」
「どんな行動を積み重ねたらいいか」

も書いておく。


自分を理解するコツは、

「何が起こったか」
「どんな仕事か」

だけを見るのではなく、

「どんな状況だったら楽しいのか?」
「自分はどんな状態でいたら快適なのか」

という切り口で自分を見つめ直すことだ。


私自身の例で考えてみる。

私は高校時代と大学時代でバスケットボールをやっていたのだが、高校時代はものすごく楽しかったのに、大学時代の部活は正直言って楽しくなかった。

就職活動では

「チームに貢献している瞬間が一番楽しかった」

みたいなエピソードを話したが、それは本音ではない。

試合にも出ていたし、チームに貢献もしたけど、楽しくなかった。


違いはなにか?

就活時代は全く考えることもなかったし、社会人になってからも気付かなかった。


何が違うんだ?

同じ部活動なのに?

やってることは同じ部活動なのに?


と、内面を見つめ直してみたら、

「自分の考えで何かを自由に決められるかどうか」

「自分が主役かどうか」

が自分にとってはとても重要なものだと気付いた。

ガチガチのフォーメーションを組んで、官僚組織のように凝り固まった大学の部活は肌に合わなかったのだ。

それはつまり、多くの手順が定められ、序列が決まっている会社組織には「合わない」ということでもある。


人によっては

「しっかり手順が決められた、秩序だった組織が好き」

という人もいる。

「誰かをサポートするのが好き」

という人もいるし、

「仲良い友達と一緒にいれたらいい」

という人もいるだろう。


就職活動になると、そんな内面は全部無視して、「チームに貢献した美談」を面接で語ろうとするだから、何が本音かわからなくなるのだ。


自分だけの手帳に思ったことをメモしよう

自分が何を感じたか。

自分はなぜそう感じたのか。

どういう状態になったら自分は幸せなのか。

そのためには何をすればいいか。


自分の内に秘めた想いは、全て手帳に書き出すのがいい。

悶々と頭の中で反芻しているうちは、自分の感情は見えない。

言葉にすることで初めて、自分がどういう人間かを客観的に見つめることができるのだ。

感情を言葉にするのはものすごく難しい。

自分の感情ならなおさら難しい。

でも粘り強く、言葉にし続けているうちに、

「あ、俺ってこういう人間だったんだ」

と見えるときが来る。


社会規範的に正しくないワガママな自分が見えるかもしれない。

「モテたい」「褒められたい」「チヤホヤされたい」みたいな、世間的には薄っぺらいとされて、隠したほうが美徳とされるような本音が見えるかもしれない。

そういう世間の声を遮断して、自分だけのノートに自分の内面を記録しよう。

誰かに見せる、見られると考えると、絶対に本音は書けない。

絶対に誰にも見せないノートや手帳に、自分のことをメモしよう。


私は10年間、ほぼ日手帳を使い続けてきて、自分の行動を記録し続けてきた。

処分に困るくらい、自分の内面を記録し続けた。

それでも「自分の感情のなぜ」を記録する有用性に気付いたのはここ2年くらいの話だ。

ものすごく意味があることだったと思う。

自分の性格を言葉にして把握しなければ、ずっと日々の生活に流されるがままに、自分の幸福が何かを考えることもないままに、年を取っていってしまっていたと思うから。


この記事を読んでくれた人も時間があれば、

「自分が何が幸せなのか」

「どんな状態が楽しいのか」

を考えてみてほしい。

100円ノートでも書くことはできるが、ショボいノートだとモチベーションが上がらず、途中で捨ててしまう可能性も高い。

僕もコクヨのノートを大量に買ってきたが、最後まで使えたのは1%に満たない。


「ほぼ日手帳」か「ニトムズ」に記録するのがいい。



ノート・手帳は今まで散々試してきたが、

  • 手帳は「ほぼ日手帳」
  • ノートは「ニトムズ」
  • iPad&Apple Pencilで書くなら「GoodNote」

がすごく書きやすくて使用感が良い。

良いノートを探している人、大事に使えるノートが欲しい人にはぜひ使ってみてほしい。


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