新型コロナウイルスの感染拡大を抑えるため、多くの企業がテレワークに踏み切った。
今回の措置が企業にテレワークが浸透するきっかけになると考える人は多い。
一方で、ツイッターなどでは
「こんな事態でもテレワークを導入できない会社はイケてない会社。就職してはいけない」
という意見を発信している人も多い。
危機に柔軟に対応できず、旧態依然とした対面の業務“だけ”を強制する会社は、たしかにイケてない会社なのだろう。
「イケてない」というのは「選択肢が少ない」という意味だ。
僕は自分の経験から、テレワークは良い面ばかりではないと思っている。
もちろん手段としてテレワークを選択できる環境は整えた方がいい。
テレワークするか、出社するかは仕事の状況に応じて自由に選べるのが理想だ。
しかし、テレワークを選ぶ自由があるのと、
「テレワークは素晴らしく、万能で、テレワークで何でもできる」
と考えるのは話が違う。
どうもネットの意見は偏りがちだが、仕事やチームの状況、個人の事情を踏まえた上での「選択肢の一つ」としてテレワークを活用するべきだ。
テレワークの導入は大いに推進されるべきだし、活用されるべきだが、
「なんでもオンラインで済ませる会社こそがイケてる会社」
と捉える人も多い。
そういう人は現場の悩みが見えていないのだ。
チャットを運用するにはルールの整備も必要
チャットは便利なツールである。
メールのようにいちいち「お世話になっております」と書かなくてもいいし、返事も絵文字で簡単に済ませられる。
会話のログが残るため、議論の経緯を振り返ることもできる。
一度チャットを使い始めると、ThunderbirdやBecky!のメール検索機能をいちいち使ってログを探していた時代にはもう戻れないだろう。
しかしチャットの便利さに隠れて、多少のデメリットがあることも忘れてはいけない。
全てのチャットに寄せていくならば、それと同時に「何でも気軽に書き込める空気」も醸成しなければ、情報が十分に出てこなくなる可能性もある。
だからといって、「なんでもチャットに書いていいよ」と好き放題書き込むように運用してしまうと、今度はチャンネル(スレッド)が乱立し、逆にどこに何の情報があるのか訳がわからなくなってしまう。
チャットを有効活用するためには結局、チャンネル運用のルールを定め、何の情報をどこに書くのかを整理して、チーム内で共有しておかなければならないのだ。
チャットで全てを終わらせない
「対面こそが重要だ」などと言うつもりはないが、チャットは万能ではない。
業務は全てが合理的に進むわけではない。
人間には感情がある。
表情が見えて、声が聞こえる環境で会話した方がコミュニケーションが円滑に進む場面もたくさんある。
特に何かトラブルが起きている状況だったり、進捗が思わしくないときはチームの雰囲気がものすごく悪くなる。
声が聞こえ、顔が見える環境を用意するのはとても重要だ。
文字だけだとどうしても「要件だけ」になって、冷たい印象を与えてしまうこともあるからだ。
人は自分の感情を含めて全てを文字で伝えられるわけではない。
チャットとオンラインミーティングを組み合わせながら、人間の感情にも配慮しなければ、チームはうまくまとまらない。
チャットだけでは人の感情は見えない。
完全テレワーク3週間目くらいなんだけど、面白い事?に気づいた。小さな小競り合いやコンフリクトが多発。人間関係があちこちで悪くなってる。FtFでの無駄に見えるやりとりやノンバーバルなコミニュケーションが人間関係の親密さ、信頼感には実はかなり大事なのかもしれない。
— 𝕄𝕚𝕜𝕒 (@gen_gen83143799) March 25, 2020
オンラインミーティングも万能ではない
テレワークをするときは、ZoomやGoogleハングアウトを使ってオンラインで会議することも多いだろう。
オンラインミーティングは場所を選ばず会議ができて、とても便利だ。
チャット、オンラインミーティング、ウェブでの進捗管理は個人的にはリモートワーク三種の神器だと思っている。
オンラインミーティングはたしかに便利だが、正直言うと、同じ空間に集まって会話した方が早いと思うこともある。
一番困ったのは、ホワイトボードで何かを書いて、その内容を共有するときだ。
ホワイトボードに問題点を書いて、図示して、その場で問題を共有するような作業とオンラインミーティングは相性が悪い。
もしかしたらApple Pencilなどで何かを書いて手書きの情報を共有するツールもあるのかもしれないが、目の前でメンバーが揃ってホワイトボードの前で議論した方が早くてわかりやすいケースもある気がする。
アジャイル開発でよく行われるように、タスクを書いた付箋を貼って状況を共有したり、ブレインストーミングするにもリモートでは都合が悪い。
どんなにテクノロジーが発展しても、人間の脳は変わらない。
目の前の人と話す方が早くて手軽なケースもたくさんあるのだ。
0.5秒のタイムラグが及ぼす影響
「どうですか?」
「...」
「私はですね」
とオンラインミーティングでは0.5秒ほどのタイムラグが発生する。
1対1でのオンラインミーティングならタイムラグを感じることは少ないが、6人以上でミーティングするときは微妙なタイムラグが発生して、それが微妙なストレスになる。
あと、多拠点でミーティングすると、たまに「うまく接続できない人」や「突然通信が切断される人」が現れる。
そういう人のために毎回会議を止めて待つのは非効率だ。
このようなテレワークの細かいデメリットは現場にいないと見えてこない。
「好きな場所で好きなように働くスタイル」は万能ではないのだ。
同じ場所に集まって、近い距離で仕事をする意味もある。
僕は「働き方を自由に選べること」は大事だと思うが、
「テレワークこそが先進的!テレワークやらないやつはアホ」
みたいに思考停止で考えてしまう人は現場の実態が見えていないと思う。
ツールの進化は場所の制約を消すのか
iPadのペンが使えたり、書いた内容がリアルタイムに参加者に同期されるようなサービスも増えている。
Zoomのホワイトボード、MSホワイトボード、miroなど様々なツールが使われている。
私個人は、現時点ではオンラインのごくわずかなタイムラグが気になるのだが、そういうタイムラグも消滅し、ごく自然に、普通にオンライン上での共同作業ができるようになるかもしれない。
その世界を知らないのは、私が古臭い業界にいるからだ。
人間関係に及ぼすデメリット
自分がいた職場はいわゆる大人な職場だったので、テレワークしている人に対して、
「サボっている」「不公平である」
と表立って言う人はいなかった。
しかしテレワーク導入の過渡期には、たとえ言葉に出さなくても、
「出社せずに自宅で作業している人」
を「苦労しない、不真面目な人」と捉えてしまう人はどうしても出てくるだろう。
「自分が満員電車を我慢して通っているのに、苦労せずに自宅で作業している人」
に対して不満・不公平感を感じてしまうのは、人間がそもそも全てを合理的に考えて物事を割り切れるわけではないからだ。
だからテレワークの推進は現場のボトムアップに任せるのではなく、トップが強い号令を発する必要がある。
「テレワークは正義」
「テレワークは悪くない」
「テレワークは積極的に利用するべき」
という文化がないと、「制度があっても使うのは気まずい」となりかねない。
また、テレワークを利用するのにいちいち上長の許可を得なければいけない会社もある。
「上司に確認しなければテレワークを使えない」というのは、テレワーク利用の心理的な障害となるだろう。
そもそも「『テレワークをやっていいかどうか』程度の問題を社員個人に判断させない会社」はおそらく、「プロジェクトに関わるほとんどの判断を上司に相談しなければならない会社」であり、個々人の裁量が小さく、年次が低い社員の成長機会が乏しいに違いない。
そういう会社に「成長したい若手」が行くならば、おそらく理想と現実の葛藤に苦しむことになる。
テレワークのサボり防止問題
「テレワークをするとサボってしまうから、テレワーク中の社員を監視するシステムを導入する」みたいな会社もある。
自由に働く場所を選べても、自由な作業は監視される。
本末転倒もいいとこで、社員を子供扱いし、常に性悪説で物事を考えようとする会社は居心地が悪いだろう。
とはいっても、自宅で作業するとどうしても気が抜けてサボってしまう人もいるかもしれない。
テレワークを導入したら「成果物で人を評価する」という評価制度も取り入れるべきだろう。
サボりに対して評価を下げるのではなく、成果によって評価を決めないと、「テレワークサボり問題」を解決するのは難しい。
自宅での働き方を完全にコントロールすることはできないからだ。
「働き方は好きにしていいから、成果を出してくれ」
と言えば、サボりは自己責任になる。
「真面目に働いているかどうか」で人を評価しようとするから、「テレワーク中の社員がちゃんと働いているかどうかを監視する」みたいな意味不明な施策を導入したくなるのだ。
また、
「たいした仕事をしていないのに会社にいるだけで存在感を発揮していた人」
などはテレワークが浸透すると存在意義がなくなってしまう。
会社にはそういう人がたくさんいる。
「特に仕事をしないで座ってるだけの人」にとって、テレワークが当たり前になった会社は居心地が悪い。
かといって、何の成果もなく座ってただけの人に給料を払い続けるのは会社としても辛いため、最終的には解雇規制の緩和にまで踏み込む話になるのかもしれない。