かつて優秀だった高学歴の若者はなぜ「手順書おじさん」になってしまうのか



新卒で入った会社は頭の良い人が多かった、と思う。

ここでの「頭が良い」というのは、世間一般の「頭が良い」の定義と同じで、「偏差値の高い大学を出ていて、試験に強い人」という意味だ。

仕事の合間に勉強して、難しそうな資格試験にちゃんと合格している人がたくさんいたし、何より

「長時間机に向かい続けても我慢できる根性」

を僕以外のほぼ全員が兼ね備えていた。

「長時間のデスクワークを苦にしない」というのは、偏差値が高い人間が多い職場の特徴でもある。

そんなわけで、いわゆる「頭の良い人」が多い職場でもあったのだが、社会人生活が長くなると疑問に感じる機会も増えてきた。


「偏差値の高い大学を出て、優秀な若者だったはずなのに、なんでこのおじさんはこんなにアホなんだろう?」

と。


2020年春、在宅勤務が急速に広がっている。
各企業が尻を叩かれるように在宅勤務を導入する中、新たな問題が発生しているらしい。

自分のパソコンにZoomをインストールできないのだという。


Zoomに限らず、SlackやBacklogも同じで、とにかく新しいことを始めるのが嫌な人がいる。

そういう人は、ほぼ全ての作業について「手順書」がなければ手を動かさない。
インストールの方法からプロキシの設定まで、1から10まで手順を教えてもらえなければ使えないのだ。


リモートワークのツールであれば、正直小学生でも使えるし、インストールだけなら猿でもできる。

Zoomを使えない「手順書おじさん」は年収1000万をもらう猿なのだろうか?
高偏差値の大学を出て、将来を期待されて入社したかつて若者だった男は、どうしてこんなおじさんになってしまうのか?

僕は会社でそういうおじさんをたくさん見てきて、ずっと疑問を抱いていた。

「この人は馬鹿ではないはずだ」

と。

「手順書が間違っていたら、それは手順書を作った奴の責任だ」

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「Zoomをインストールできない」はさすがに大袈裟だが、もう少し作業が複雑になると、手順書なしでは一切物事を考えない人はたくさんいる。

ただ、手順書の存在自体は否定されるようなものではない。
誰がやっても同じ作業ができるように、ドキュメントを残しておくのは決して間違いではない。

とはいえ、手順書至上主義が行き過ぎると、「手順がなければ何もしない人」になってしまう。

僕が新人のとき、ある年配社員はこんなアドバイスをしてくれた。

「作業は全て、手順書に書かれている通りにやれ。
それでうまくいかなかったら、それは手順書を書いた奴の責任だ」

前半の「作業は手順書通りにやれ」というのは間違っていないと思う。

定型作業で謎のオリジナリティを発揮する必要はない。

しかし後半の「手順書を作った奴の責任だ」にはいささか疑問が残る。

手順書でも何でもそうだが、ドキュメントは陳腐化する。
かつて作られた“最新のドキュメント”は、メンテナンスされなくなると、いずれ現状と合わない部分が出てくる。

異動やチームの再編は会社員につきものだ。

手元にある「手順書」がいつでも正しいとは限らない。
手順書を作った人が近くにいるとも限らない。

「手順書を作った奴の責任だ」という発言に悪気はないとは思うが、「自分の責任ではない」というのは違う。

いかなるときも、自分の作業には自分が責任を持たなければならない。

間違いを恐れ続けると、手順書おじさんになってしまう

翻って手順書おじさんを考えてみよう。

かつて優秀だった若者は、なぜ手順書おじさんになってしまうのか?

この問題については僕なりに答えが出ている。

  • 失敗を詰める文化がある組織では、社員が失敗を恐れるようになる
  • 勇敢な社員は失敗を恐れないとしても、失敗すると面倒なのが目に見えているから、皆が失敗を避けたがる
  • 100%失敗を避けるのは無理。それなら責任を取らないためには「前例」に答えを求めるしかない
  • 前例を踏襲して失敗したならば、その責任は「仕方がない」
  • 新しいことを始めて失敗したら、たくさんの人に詰められて、「失敗を繰り返さないための会議」を大量にこなさなければならない
  • 失敗すると面倒になるので、誰かが正解を用意してくれないうちは、自分で新しいことをやりたくない


こんな風に「失敗を詰める文化の組織」の中で失敗を避けているうちに、「自分で物事を考えない癖」みたいのがついてくる。

間違いを恐れる姿勢が身に染み付いてくると、最終的には「答えがないと動けない人間」になる。


Zoomをインストールできないレベルの愚物はさすがにまともな組織には少ないはずだが、もう少し問題を延長するとZoom問題は他人事ではない。

「手順がないと何もできないおじさん」は「自分の頭で何も考えない中堅社員」の成れの果てであり、「失敗を過度に詰められ、チャレンジを抑制された優秀な若手」の行き着く先に姿なのである。

「今の生き方」は自己強化されていく

組織には慣性の法則が働くと思っている。
「組織は同じ状態を継続しようとする性質がある」ということでもある。

人間は本質的に怠惰なので、同じルーティーンで業務を続けられるならそれに越したことはない。

「同じ作業を続けたい」という潜在的な欲求は、歳を取れば取るほど強化されていく。

巷では「歳を取ると新しいことに挑戦しなくなる」などと言われるが、正しくは、

「新しいことに避けたまま歳を取ると、“新しいことに始めない生き方”が強化されてくる」

のだと思っている。

新しいことを始めるのは本質的に面倒くさいもの

新しいことを始めるためには、新しい何かを学ばなければならない。

チャレンジが好きな人には楽しいかもしれない。

だがずっと新しい学びを避けて、イヤイヤ仕事をしながら給料をもらってきた会社員にとっては、どんなに業務が便利になろうと、新しいことを始められるのは迷惑でしかないのだ。

同じ時間勤務すれば同じだけの給料がもらえるのだから。

...と、ここまで書いてきて、さすがにこんなひどい奴は少なかった気がするな...と考え直しつつまとめに入る。

自分の頭で考えない人の進化(退化)の過程は...

初期→上司の許可なしで何もしない若手
中期→責任回避に腐心する中堅
終末期→新しいことに何かと文句をつけて抵抗するおじさん
最終形態→Zoomをインストールできない手順書おじさん

みたいなイメージとなる。


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